「デスストランディング」考察その10:ヒト・クジラ戦争説#4
では彼らがDSの犯人であったとして、なぜこれほど混乱があったのだろうか。超常的な現象と思われたDSが、ある動物種のおこした種族間の戦争行為だとすれば、もっと様々なことがシンプルに描かれているはずだ。
これももはや想像によって補うしかない部分だが、おそらく彼らの戦略はその誤算によってご破算になった。なってしまったと思われる。
おそらくクジラ種の進化を担うための存在、クジラ絶滅体は既に宣戦布告として、あるいはこれまでのボイド・アウト攻撃によって人間たちを圧倒したとして、人間種の代表にも降伏を迫ったであろう。
それはもちろん、人間の言語ではなく、何かしらのイメージでという形でである。
しかしそれを受けた人間種の代表者は、まったくクジラ側の想定しなかった策に出た。それは人々の中でボイド・アウトが起こりにくいような政策を行いつづけ、しかし秘密裏にはそうしたボイド・アウトのリスクのある実験をさらに繰り返し始めたのだ。
これはクジラたちにとって、予想外の出来事だったと思われる。しかし人間側が降伏を行わない以上、彼らは攻撃を行いつづける必要があり、本編へと至ったのだろう。
その間、人間側は自衛によって様々な社会的行動を改めたが、基本的には自分たちの集落を維持し続けており、時雨によって消耗しながらも機械によってインフラを維持し続けた。このような圧倒的な危機状況においても、群れを分散させたり、それまでの生活圏を移動させようとした個体は、むしろ少数にとどまった。
人間側の絶滅体がいるアメリカ以外がどうなっているのかは不明だが、基本的には他の国々もそうだろう。今までの生活は一変しても、政治の部分ではそれはそれ、これはこれ。自分たちの社会的な最大利益のために、今までの行動はなるべく変えようとはしなかったはずだ。
これもクジラたちには理解しがたい事だったが、人間は言語やテクノロジーといった存在により、もはや生物的な本能とは別のロジックによって生きていた。恐怖や不安に支配されながら、しかし意識的にはまったくあべこべな態度を取り続けた。
そもそもが自分たちに対する他種族からの攻撃だとも考えず、これらが純粋に自然的な何かに由来する現象だと考え続けた。どうにかすればこの現象を阻止できるだろうと考えはしたものの、その原因はあくまで自分たちの種族そのものか、人間種代表の個人的なにかにとどまるものだと考え続けたのだ。
彼らにいくら恐ろしい景色を見せても、いくらクジラたちのDOOMS能力を誇示しても、人間は恐れはしてもすぐにそれを克服しようと、彼らのロジックで解釈を始める。それが間違った仮説からでも、その解明のために驚くような感情の制御を行って、意地になってやり遂げようとした。
クジラたちはもはや人間を止めるには、人間そのものを絶滅させるほかないと考えただろう。彼ら自身の死のイメージを具現化させたDOOMS能力で、人間側を襲い続けるしかなかったのだと思われる。
人間種の代表への送信先として使った繋がりから、彼女のビーチへと侵入し、人類絶滅作戦を決行しようとしていたのだろう。
しかし事態がようやく好転したのは、人間側の誤った仮説による作戦が、もう一つの別の結果をもたらし始めたからだった。
人間側も様々な手段によって、クジラ側DOOMS能力による現象であるBTの解析を行っていた。それはどちらかと言えば人間側にとっては場当たり的な対処だったが、BTの存在を探知するオドラデク機能によって、クジラ側との折衝を行えうる人類が誕生し始めたのだ。
とはいえBTを単なる障害としか見なしていない人間側にとって、彼らあるいは彼女らは、その危機を知らせるセンサーの一部でしかなかったし、その機能が果たされれば殺処分される程度の存在でしかなかった。
またそもそも彼らによってBTの存在を知れば、迂回して通ればいいだけのことで、彼らによってビーチの向こうの存在と繋がろうとは考えもしない事だった。
彼らの一人とクジラ側が折衝を持てると気づいたのは、人類が一か八かの彼らの仮説にもとづいたある賭けに出たからであった。しかもその賭けはこれまで考察した限りでは、全くの見当違いだったというほかない。
ともかくその過程において、彼ら新人類の一人が何度も座礁地帯を行き来したことで、彼らとクジラ側のコミュニケ―ションが図れたのだと考えられる。その事によって「デス・ストランディング」のストーリーの裏で、この種族間の戦争終結の交渉がなされ、無事和解が出来たのであろう。
そのためにこのゲームにおけるエンディングはいささか唐突なようにも見え、またその結末へとつながる過程も不明瞭なままだったと思われる。
しかしこうした理解し合えないはずの誰か、あるいはまったく触れ合う機会のなかった存在と、なにかを繋ぐというのはこのゲームの重要なテーマの一つだろう。そしてそのためにはむしろ互いの距離を保ったまま、その間にある程度の遊びを持たせていたほうが、上手くいくだろうということも。
このヒト・クジラ戦争が数多の犠牲を生み出しつつも、どちらかの絶滅によって終結しなかったことは、幸いなこととは言えるだろう。もしも彼らが互いの存在を認識し、正面から衝突した場合を考えれば、はるかに穏当にことが進んだともいえるかもしれない。
彼ら種族間の橋渡しとなった存在は、小さな存在ながらに互いの種族のために大きな一歩をすすめ、この世界にとって重要な役割を遊ぶが如くこなしていった。
OPに描かれる、宇宙のどこかの惑星でカイラルグラムのクジラとともに、旗を立てる宇宙飛行士の姿。”ルーデンス”つまり”ルー”というのは、和解した彼らの未来の姿を描いたものではないだろうか。
2022/12/21
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?