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「デスストランディング」考察その3:神話のモチーフ

「どうかお前、母と子の切れない縁にかけて、お前の弓矢の快い痛手に、その焔の蜜のように甘いやけどにかけて、頼むからお母さんの仇を取っておくれ、 <中略> あの小娘が世界でいちばん卑しい人間と、この上もなく烈しい恋におちるようにね、で、その男というのは地位も財産も一身の安全さえも運の神様に見放されて、世界中を探してもこれほどみじめなものはあるまいというくらい(ひどい)人にしておくれ」

アープレーイユス「黄金の驢馬」呉・国原 訳


いいねをするBB。
このあと画面はこの青いBBに飲み込まれ、サムはビーチからの帰還を果たす。死の世界からの帰還というものは、非常に神話的なモチーフである。

「デス・ストランディング」開始時に、生年月日を入力したのを覚えているかい?

発売当初、星座占いで初期に繋がるユーザーの相性を比べているんじゃないか、とも言われていたが結局のところよくわからなかった。

DOOMS能力値が高いと言われる、蟹座、魚座、鯨座、イルカ座、巨人座というのは、そもそも十二宮とは関係の無いものが混ざっている。どうやらこの巨人座というのはオリオン座のことらしく、ポセイドンの息子である彼を含め、海に関係する星座を並べたもののようだ。

星座の元に生まれるということの意味が不明確ではあるが、黄道十二宮とは関係のないイルカ座、鯨座、巨人座(おそらくオリオン座)と人の生まれとは現代ではあまり関連付けられることはない。ちなみに僕は魚座です。

ゲーム内で誕生日を祝ってもらえるのはうれしいサプライズだったが、別段それによってサムの能力値が変わったりということはないらしい。

しかしこうした小ネタ以外にも、なにか神話や伝説を模したと思しき要素は無数にある。劇中でとくに説明される、エジプト神話以外のものも多いようだ。

例えば指名なし依頼の説明で、サムが食料として座礁地帯の魚や時雨で育った小麦からのパンを配達しているのに気付いただろうか? また彼はセーフハウスに戻り血を分けあたえて、BTと戦う助けとしている。

これらのサムの特徴は、イエス・キリストをイメージしたものだろう。聖書を読んでいないとあまりピンとこないかもしれないが、彼の奇跡には集まった人々五千人にパンと魚を分けて食べさせたというものがある。

イクトゥスと呼ばれる二本の弧を組み合わせた魚のマークが、彼のシンボルとされることもあるくらいだ。

こうした彼のイメージをゾンビ映画と合体させた「Fist of Jesus(イエスの拳)」というショートフィルムが、一時期話題になったことを覚えているかもしれない。

キリスト教的な救い、つまり天の国での復活の教義のために、多くのキリスト教圏で棺桶に入れての土葬が主流であることは、映画やドラマで見ている人も多いだろう。しかし同時にそうした文化背景では、死んだ身体が蘇るゾンビという怪物が非常に醜悪なものとして語られる。

「Fist of Jesus」では、なんと聖書の時代に起こったゾンビパニックで、キリストが魚を武器にゾンビたちと戦うのだ。信者ゾンビ、異教徒ゾンビ、ローマ兵ゾンビにカウボーイゾンビ。対するイエスも新鮮なカツオやカジキマグロ、ピラニアやノコギリザメを手に彼らと血みどろの戦いを繰り広げる。

聖書の内容を知っていればクスリと出来るシーンもあるが、真剣に読んでいる方ならば笑えないし、見ていると憶えていたことも吹き飛んでしまう。ショート・フィルムであり有志の日本語字幕版も見られるが、スプラッタな表現も多くて安易に人にはすすめられない。

それでもこの作品を見た人は、思わずづ呟くことだろう「Oh Jesus…」と。

また聖書での話をするのなら、全体としてこのストーリーはノアの箱舟をイメージしたものと言えるかもしれない。雨のふる座礁地帯には街が沈んでおり、ブリッジズの施設はまるで半分沈んでしまった舟のような形をしている。

ブリッジズの施設は、流線型の船のような姿をしていることが特徴。
雨が降り世界が沈んでしまう洪水神話は世界中に見られ、ある少数の家族や一組の男女が船に乗ってその洪水を逃れるという型がよく知られる。中世の西洋世界では地層から出る貝や恐竜の化石などは、旧約聖書のノアの時代の痕跡だったとされていたらしい。

ノアの物語で神は人々の悪徳を彼らと一緒に洪水で一掃してしまおうと、大雨を振らせて世界をしずめてしまうんだ。しかしノアという善人だけは残すことにして、彼には小舟を作らせつがいとなった動物たちをその船に乗せる。

このゲームの最後のシーンが、青色を取り戻した虹を描くことでDSの終わりを告げるというものなのは、明らかにこのノアの箱舟における神の約束の虹を意識して選んだシーンだと思う。あの青の抜けていない虹の表現によって、DSは終わりをつげ人類は助かったのだと暗示されている。

一方でさきほどの愛を説く救世主の他に、もう一つの愛の神というモチーフが「デス・ストランディング」には存在する。

それがQpidつまりクピドである。物語の終盤ではそのシステムがBB達を組み込むことで実現したカイラル通信のネットワークだと判明する。このシステムの名前が赤子の姿をした神の名を冠しているというのは、偶然ではないはずだ。

Qpidシステムのカギとなるアイテム。
しかし実際のこのカイラル通信のコアの部分は、BBと同様の赤子のポッドによって働いていた。後の描写を見ると、むしろBTへのセンサーとしてのBBは、アメリの能力で代替可能なようでもあった。クピドとは、またギリシャ神話ではエロスとされる。

そのほかにも、この愛の神と同一視されるエロスが射る二種類の矢じりが、撃たれるものに二種類の作用を与えるんだ。

この神に金の矢じりで撃たれたものは、そのときに見ていたものに猛烈な愛情を抱いてしまう。しかし鉛の矢じりによって撃たれてしまうと、その人は目にしていた人を嫌悪するようになってしまう。

ある時この愛の神が自らの弓の腕前を同じく弓に秀でた神であるアポロンに貶された時などは、彼その報復としてアポロンが美しい河の神の娘ダプネを見ているときに、彼のほうには金の矢を、ダプネには鉛の矢を撃ってしまったんだ。

恋に落ちたアポロンは嫌がるダプネを追いかけて、とうとう彼女を追いつめた。しかし彼女は父である川の神に助けを求め、自らを月桂樹に変えてしまった。理性的な男神として知られる太陽神アポロンも、愛というものには敵わなかったということだ。

しかしこうしたモチーフを考えると、なぜカイラリウムにコーティングされた金の弾丸がBTに有効で、通常の鉛の弾では効かないのだろうか。本来は鉛の弾丸こそが、お前は嫌えというような敵対の意味を持つもので、金の銃弾は愛を伝えるためのもののはずだ。

サムの血液にしたって、それはいわばイエスの人類への愛によって流された血だと考えられる。聖餐式ではその記念、また彼の福音を信じ受け入れる儀式として、聖別されたブドウ酒という形で受けるものだ。

つまりBTにとっては人間の愛に類するものが弱点で、嫌悪や敵意の攻撃では傷つかない。

なぜこのような逆転が起こり、BTにとってはこちらからの愛ととられるべきモチーフが、彼らへの攻撃へなってしまうのだろう? BTとはいったい、私たちにとってどのような存在なんだろう?

この何らかの法則が分かれば、デス・ストランディングの解明に大きな助けとなるかもしれないね。

いいねをするBB。
そう言えば細かいことだが、通常赤子というのは、母親の胎の中で下を向いたかたちで眠っている。そして死者の世界というのも、様々なものがあべこべに配されているという民間信仰も多い。
このあと画面はサムの口から吐き出され、彼は通常死後の世界へと行くことができない。

2022/12/15


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