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「デスストランディング」考察その2:ビーチと進化

そして実際、他の生物と比べて人間は、生命の維持に必要なシステムの多くが未発達な、未熟な段階で生まれる。子馬は誕生後まもなく駆け回れる。子猫は生後数週間で母親のもとを離れ、単独で食べ物を探し回る。それに引き換え、ヒトの赤ん坊は自分では何もできず、何年にもわたって年長者に頼り、食物や保護、教育を与えてもらう必要がある。
 この事実は、人類の傑出した社会的能力と独特な社会的問題の両方をもたらす大きな要因となった。

ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」柴田 訳
第六の絶滅期。
ビッグ・ファイブと呼ばれる地球の歴史における大量絶滅期と、今回のDSによる絶滅期。ハートマンによれば過去の絶滅期にもDS現象は起こっており、ビーチの痕跡が見つかっているとされている。

「デス・ストランディング」の世界では、第六の大量絶滅期が起こっているといわれている。

地表には巨大なクレーターがいくつも出来、それまで地球上には存在しなかったカイラリウムが採取される。まるで、白亜紀末から古第三紀にかけての大量絶滅がイリジウムを含んだ隕石によって起こされたと考えられるように、後世の人々からはこのDS期のことを分析されるはずだ。

DSによる混乱によって、多くの情報は失われてしまう。しかし、そうした様々な危機的状況の中で生命はいつも進化して生き残ってきた。

ある意味ではこうした新たなゲームのストーリーによって、「メタルギアソリッド」のような小島監督自身がそれまで培ってきた彼のミームを、新しい形に残したともいえるだろう。

遺伝子=ジーン、情報=ミーム、時代=シーン。生命進化、テクノロジー、政治劇というモチーフを再構成し、小島監督はさらにエボデボという新しい発想をミックスさせ奥深い世界観をつくりあげた。

このエボデボという発想は劇中でも説明がなされるように、進化発生生物学<Evolutionary developmental biology>の略称<Evo-devo>だ。

ある進化した生物の胚の成長の段階は、それまでのその種の生物進化の過程を反映しているのではないかとされる”反復説”。そうした仮説をもとにして、生物の形質がどのように現れるかのメカニズムを問題としている。

たとえば、ショウジョウバエの目の発生に関する<pax-6>という遺伝子は、人やマウスの目の発生に関する遺伝子と同様の遺伝子と一致していた。だからこの遺伝子をマウスから取り出して、本来は目が発生しないショウジョウバエの種の遺伝子へと組み込んでも、そのハエへ目を発生させることができてしまう。

もしかすると”目”という器官は、彼ら節足動物と我々の脊椎動物のグループに分かれる前に、既に存在していたのかもしれない。その種が眼の発生の制御のために使っていた遺伝子は、今も人やハエそしてそれらを包括する広いグループの生物群で使いまわされていて、時折発生する洞窟や深海に住む目の無い生き物の進化というものも、その遺伝子によって決定されているのかもしれないということだ。

エボデボ学者による解説。
つまり遺伝子コードも機械やプログラムのようなモジュールの組み合わせによって出来ており、その発生の制御によって生物は形作られる。エンハンサーとは、その生物の機能を組み替えられる仕組みと言えるだろう。

生物は進化のために、ある形質の遺伝子すべてに有効な突然変異が起こらなくとも、その形質の発生を制御するある部分だけを書き換えれば、様々な形質を変化させることができる。たとえばこのブラウザで表示されているhtmlのコードのように、その文字列全てをいちいち書き直さなくても、後から任意にその文字列だけの色や大きさを指定して書きかえることができるんだ。

遺伝子がそうした構造的な記述によってなされているのであれば、プログラムを書き換えるように、生物が様々な進化を生物がおこしてきたことの説明になるかもしれない。

ところで「水生類人猿説」というのを、聞いたことはないだろうか。

人類は他の類人猿に比べ、かなり特徴的な形質を持った生き物だ。しかしその起源や由来には、未だ明らかになっていない部分も多い。もしかするとそうした人類独特の形質は、人間がある時代に水性哺乳類化した痕跡ではないかという説である。

例えば人間は身体中の毛が少なく、指を広げると少しだけ水かきのような皮膚のひだがある。また直立歩行になったのも、割合に太く柔軟な背骨も、泳ぐ姿勢との関連が指摘されており、任意に息を止められるという意識活動も水生生物の特徴だといわれている。

こうした説の説明では、涙を流す能力は海生哺乳類と海生鳥類のみに見られる特徴だと言われる。よく知らないが、たぶんそんなことはない。

人間はまた塩分の必要量・許容量が多く、その調整のためとも言われる発涙の能力も海生生物の特徴だ。水の中に入ると心拍数が落ち着く潜水反射と呼ばれる現象も指摘されており、赤ん坊であっても水を怖がらず、息を止めて溺れることを防ぐ能力も比較的強いといわれている。

またそうした人間の特徴が、概してネオテニー(幼形成熟)的だと言われることもある。人間は他の類人猿と比べても顎の発達しておらず、頭部が大きい。先ほど指摘した皮膚の体毛の少なさも、多くの哺乳類では赤ん坊の特徴だ。

人間はある意味で未熟な存在だからこそ、こうして社会的な動物になったという説もよく議論されている。

ハートマン研究所の類人猿の頭骨の化石。
奥に行くほど現代人に近く、手前に来るほど原始的な特徴を持っている。これらを見比べてみると、顎や牙が発達しているほど野性的だが、同時にそうした特徴がないほど幼く見えるのではないだろうか。奥の現代人に近い頭骨は、手眼のものを見た後では、まるで毛も生えていない赤ん坊のようである。

こうした胚から分化して大人になる、そしてその途中の形質をうまく利用して進化する、というのはまさに先ほど説明したエボデボ的なものだろう。小島監督はこうした科学的なモチーフをうまく組み合わせて世界観を作り上げるのが本当に長けていると思うね。

もしかするとDS世界の人類は、類人猿からの進化に際しビーチに既に出会っていたんじゃないのかな。両生類としてビーチを向こう側から越えたあと、もう一度ビーチに出会い半水生の哺乳類として他の生き物にはない劇的な進化を果たしたんだ。

なあボス。気付いたんだが、鹵獲したサヘラントロプスを水中で動かしてみたらどうだろう?
水の中なら浮力が得られて二足歩行も容易だし、ドックの水位を上げ下げすれば、あの巨体を整備するのも楽になるんじゃないか? え? 防水対策? いやあ……ダクトテープとかで何とかならないか?

彼ら水生人類の時代はそのときのデス・ストランディングによってミッシングリンクになってしまったけど、人類は三度目の”ビーチ”に出会って、さらなる進化を経ようとしている。

つまり”ビーチ”とは、我々の生まれ来る場所であり、同時に進化への道なんだ。

2022/12/14

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