愛のある人、その愛は限定的。でもその理由は...
推しの言葉は、いつもハラハラする。それ、誤解されちゃうからさ、こう言い換えたらいいのに、と。
・・・まったく、オタクで大人で器用貧乏の凡人は、余計なことばっかり考える生き物である。そういうのも含めて、推しにはどうでもいいし、自分にとって不要なもの、と選別されるだろう。
でもだからこそ、そういうところに惹かれ応援し、彼を支えていく人たちが周りに溢れるのだろう、というお話。
きっかけは、推しが家族同様に愛する仕事仲間の言葉。
Tさん「俺にとってはカードゲームも愛すべきもの。何があっても変わらない。たとえ納得のいかない変更があっても、やめることはない」
Yさん「知らない人でも、隣で泣いていたら可哀想だと思う。自分が代われたら、と考えてしまう」
Mさん「・・・(ここはなにも言わない方がいい、隣にいる彼がきっと、、、)」
推し「俺は違う。知らない人なら可哀想とは思わない。カードゲームもきっとやめる。自分のことを大事に思ってくれる人、自分を応援してくれる人だけ愛す。だから、簡単に愛してると言葉にするけど、愛してない人には別の言葉にしてる」
Mさん「・・・(やっぱり、そういうことを言うと思ってた)そうだよね」
推し「(しまった、正直に話しすぎた)わかる人にはわかると思う」
めずらしく、心を許す人しかいない空間だったからだろうな、というのは分かる。でも「正直に言いすぎた」って顔に出すのは珍しい。そういう迂闊なことはしないタイプの人だから。あぁ、彼が安心感を感じられる共演者達に心から感謝した瞬間である。
誤解を恐れない、心を許した相手には、とことん信頼と愛情を寄せる人。だからこそ、まったく正反対なことを思っていても、彼を愛さずにはいられない、憧れてしまう存在。
余計な心配でした。あなたはあなたのままでいてください。これからもそんなあなたの周りには素敵な人が溢れて支えてくれるから。
凡人はこれからも心配し続けます。たぶん。
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