勝手に映画評2 だってその時は好きって思っちゃったんだもん -緻密な演出のなせる技『寝ても覚めても』考
さて、第2回目の勝手に映画評は、濱口竜介監督
『寝ても覚めても』です。
濱口監督は、突然、カンヌ映画祭に彗星のごとく現れた新進気鋭の監督、というのが世の評判のようですが、黒沢清監督の元で映画を学び、5時間強の超大作『ハッピーアワー』、震災後の東北を描いた『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』等でその名を知られている実力派の監督さんです。
と、ここまで書いておいて、諸々で忙しく、過去作品の上映をやっていたキネカ大森にも、イメージフォーラムにも行けていない、、
激しく反省。
濱口監督の過去作品については、また観た後、書いてみたいと思います。
さて、本題ですが、あらすじは、突然失踪してしまった東出昌大演じるかつての恋人麦とそっくりな恋人亮平と唐田えりか演じる朝子のラブストーリー。柴崎友香さんの『寝ても覚めても』が原作です。
*以降はネタバレ的な部分もあるので、ご覧になっていない方は観た後に読んで下さることをオススメします。
というと、ああそう、って感じですが(自分も観る前はこんな大どんでん返しの話だとは思いませんでした)、この朝子が終盤、あのいい男東出氏相手に、「ゆ、許せん、、」と多くの女子が思うであろう裏切り行動に出ます。
すごく好き、賛否両論ある、主人公の女性に全く共感できない、種々の評判のある本作ですが、どちらかと言えば、後者に近いのが自分の感想です。ハイ。
朝子みたいな女子って本当にモテますけど。
勝手に映画評1で取り上げた『彼女がその名を知らない鳥たち』の十和子のように、この映画の主人公朝子も吸い寄せられるように麦に惹かれ、二人の交際はスタートします。
ちなみに、麦は『彼女が〜』の水口を彷彿とさせるわがまま勝手ないい男。
なんだか女子ってこんな男にひざまづいてしまうのですよ。
『彼女が〜』の十和子と朝子はいわゆる同ジャンルの男バキュームカーかつ吸い寄せられ上手の恋愛メンヘラなのですが、朝子の方がその技量は一枚上手。
十和子のいかにもビッチな振る舞いに対し、朝子は、「私、処女なんです、あなただけ愛してます」みたいな顔をして、件の行動に出る訳です。
んでもって、ここに至るまでのセリフ回しが絶妙。
処女の顔をしたメンヘラ(と言っては言い過ぎか)の朝子に亮平が言う言葉。
「お前のそういうところが俺にやる気を起こさせんねん」
一方で、麦を裏切った朝子の親友の春代の言葉。
「あんたは最初からそうすると思ってた」
朝子の一途さは簡単に亮平以外の人間に向けられてしまう。
濱口監督は、その一途さ、永遠さ、みたいなものは一瞬にしてなくなってしまう、ということを東北の被災地や今は寝たきりとなってしまったかつての友人、そして、シャンデリアが割れる音に重ねているのかもしれません。
壊れてしまった東の被災地、体の動かなくなった西のかつての友人。
同じ顔をした、東へ向かうかつての恋人、西へ向かう今恋(する)人。
その中心にある東京で新たな命を誕生させた
かつての親友。
この映画は、対をなすものの間を行き来する朝子を通して、世界は儚く脆く、しかしながら、その中心にいるのは自分で、そしてどのような形であれ他人を求めること、人と一緒にいることは素晴らしい、と語りかけているような気がしてなりません。
共感できないけど心に残る、何故か目が離せない、という感想は、こうした人間の本質に訴えかけるストーリー構成、演出にあるのかも。
映画を観て数週間が経ちましたが、以前として、朝子にはキモい!ズルい!甘え過ぎ!女としてありかもしれないけど人としてどうなんかい!という気持ちは拭えません。
しかしながら、濱口監督の力量には脱帽しました。
次回作も楽しみ。
できれば濱口監督オリジナル作品が観たいです。
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