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「たくさんの思い出」

12月14日の卒部ブログを担当させて頂きます、門脇建幸です。
遂に自分も卒部ブログを書くときがきてしまいました。
4年間を振り返るとあっという間だったなと感じています。
あっという間の4年間の中には、色々な思い出があります。

・1年生の時に、練習参加4日目で怪我をして歩けなくなり山北と尚純とひろきにアパートまで運んで貰ったこと。

・新人戦で中京大学にミドルシュートを決めたこと。

・膝を痛め、靱帯損傷しているかもしれないと言われ手術をしたら靱帯にはきれいさっぱり損傷はなく、軟骨が腫れていただけだったこと。

・日曜日のサカテニで負けてジュースをたくさん奢ったこと。

・たくさん試合に負けたこと


たくさんの思い出が掘り返すと出てきますが、その中でも一番の思い出となるのはやはり東海リーグにスタメンで出場し、得点することができたことです。

私は大学4年の前期リーグの途中からスタメンで出場することができました。それまでは、1年生の時はベンチ外、2年生の時1回だけベンチ入り、3年生から途中交代で出場していました。スタメンで出場したい思いはありましたが、正直それを実現するのはかなり不可能に近いと考えていました。その時私は中盤をしていて、選手層が厚く、自分よりもテクニック、フィジカル、センスがある選手がたくさんいました。また途中交代で試合に出場するにしても、流れを変えるための交代ではなく交代選手が足を攣ったから、怪我したから交代させるという応急処置のような交代だったと感じていました。自分としても悔しかったし、松尾さんに本当に必要な選手だと思わせることができない自分の実力のなさに苛立っていました。



しかしそんな私に転機が訪れました。前期の名古屋経済大学戦に後半の頭から左サイドで起用されました。その試合では特に結果を残すことができず、負けてしまいましたが、自分の中で中盤と違った左サイドというポジションのやりやすさを見出しました。
そして次の試合からスタメンで出場するようになりました。試合を経験する度に、左サイドでプレーすること、特に自分のサイドで相手をはめてボールを奪ってそこからカウンターで攻めることが自分の武器となっていました。
 中でも、前期の日本福祉大学戦では、チームの狙い通りの形で自分のサイドでボール奪うことができ、そのまま運んで自分で点を決めた時は最高に気持ちよかったです。点を決めた後の自分の喜び方が陰キャ過ぎてみんなに笑われていたこともいい思い出です。
最終的には引退するまでスタメンで出場し続けることができました。
チームメイトや松尾さんから必要とされていると感じることができ、また今までの自分のサッカー人生からは考えられないような対戦相手と試合をしたこと、Jリーグ内定選手と試合できたことで自分自身を最大限成長させることができ、一生忘れられない思い出となりました。

4年生へ
このメンバーで4年間過ごせて最高でした。
サッカーの話、就活の話、誰かの別れ話、語り尽くせないほど思い出があります。
卒業旅行楽しみです。
来年からそれぞれの道を歩みますが、お互い頑張りましょう。
社会人になってからも定期的に会って飲み会しましょう。

後輩へ
来年から東海2部リーグで戦わせることになり本当に申し訳ないです。だけど、みんななら絶対に1年で東海1部に復帰できると思うので頑張ってください。
あまり試合は見に行けないとけど、遠くから応援しています。
みんなの成長した姿を見るのが楽しみです。
ご飯食べに行きましょう。

両親へ
大学4年間サッカーができるようにサポート、応援してくれて本当にありがとう。
最後の試合に見に来る予定だったけど、自分がインフルエンザになり、サッカーしている姿を4年間で1回も見せることができませんでした。本当に親不孝者です。来年からは社会人となりますが、少しずつ恩返ししていきます。これからもよろしくお願いします。

最後にスタッフ方、先輩方の支えがあり大きく成長することができ、感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。

2023年度卒業生 門脇 建幸