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「後悔などあろうはずがありません」

 本日の卒部ブログを担当させていただきます、神原悠輔です。中学生の頃、朝読書をする時間に本を開きながら、時計を見て過ごしていたくらい文章に疎いということを考慮した上で読んでいただければ幸いです。


 11月19日、最後の公式戦を終え、引退しました。そこから今もなお、引退した実感はありません。そんな中病院のベッドで卒部ブログを書いていますが、引退という言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだ言葉があります。


「後悔などあろうはずがありません」


元プロ野球選手のイチロー選手の言葉です。

大学サッカーを振り返ってみると、私にはこの言葉が一番合っていると思います。

イチロー選手くらい名誉と実績があれば納得する言葉ですが、自分が言うと「なに言ってんだこいつ」ってなりますよね。でも実際にそう思っています。

その理由について書いていきたいと思います。


【自信をつける】
4年間の始まりは一番下のチームからだった。入部前から予想はしていた。

入部してから2ヶ月経ち、転機が訪れた。その日は木曜日で練習は紅白戦。練習後、次の日からAチームだと言われた。次の日の金曜日の練習も終え、土曜日のリーグ戦でベンチ入り。土曜日の東海リーグ、後半10分から途中出場。とにかく緊張した。いつも通りのプレーが出来ず、逆転負け。試合後には、池谷前監督に「お前がマークを外したから最後に失点した。」とまで言われた。

次の日からは一番下のチーム。せっかくのチャンスに自分の力を出せなかったのが悔しかった。入部して2ヶ月ちゃんと練習していたのに、緊張して何もできなかった。自分のせいでチームが負けた。とにかく悔しさだけが残る東海リーグデビュー戦。しかし、悔しかったからこそ、這い上がって、東海リーグで活躍したいと思えた。

この経験から、サッカーが上手くなるだけでなく、試合で実力を発揮するメンタルも重要だと学んだ。それからは、自分の長所を伸ばし、短所を克服するために、とにかく自主練。1対1やシュート、今の自分に必要なことを考え、練習。周りと差をつけるために、みんなが帰っても残って、練習。段々とうまくなっていくのを実感し、自信もついた。

 その努力が報われ、1年の後期には、再び東海リーグに出場し、得点。さらに自信がついた。結局1年の後期はこのゴールだけだったが、10試合程出場できた。

 この自信はずっと自分を後押ししている。苦手な右ウィングをやった2年の時も監督が代わって、サッカーが変わった3年の時も最高学年となった4年の時も変わらず自信をもってプレーすることができた。

「良いプレーは自信から」

私が4年間で学んだことです。

自信があったからこそ、ピッチ上で自分を表現出来ました。自分のサッカーが出来ました。

【サッカーを楽しむ】
自分「大学ではサッカーやらんの?」
友人「やらん。プロになれないってわかったからもういいかな」


 大学の4年間、自由な時間も多く、何でもできる。プロになれる可能性はゼロに近い。なのになぜ、週6日もサッカーをしているのか。

「サッカーが好きだから。」

好きでサッカーをやっているのに、楽しまないのはもったいない。私は、大学4年間、とにかくサッカーを楽しんだ。ドリブルで相手を抜くこと、止められること、パスでアシストすること、カットされること、シュートで点を取ること、止められること、きつくても走り続けること、サッカーの全てを楽しんだ。緊張した東海リーグのデビュー戦もうまくいかないことが多かった右ウィングの時もサイドに張っていたら怒られた3、4年の時もとにかくきついフィジカルトレーニングも楽しんでいた。

 また、その楽しさは周りのレベルが高ければ増し、試合に勝てばさらに増す。静大は、東海1部リーグで一番下手だと言っても過言ではない。そのため、東海リーグで勝った時は、言葉では言い表せない感情になる。特に今年は常葉、去年は静産に勝った。2年の時の練習試合でボコボコにされたのに。本当に最高でした。

  大学でもサッカーをやったのは、サッカーが好きだから。こんなに最高の経験が出来て、自分の選択は間違えていなかったんだと改めて感じました。大学サッカーは、今まで経験してきたサッカーの中で一番楽しかったです。


 理由が長すぎて忘れているかもしれませんが、私が大学サッカーに対して後悔がない理由は、この2つです。

4年の夏、膝を怪我して、後期は思うようなプレーが出来なかった。それでも後悔がないのは、それまでに、やることをやったから。もちろん怪我をしない方が良かった。でも怪我に負けず、最後までプレーし続けた。最後の試合では、ゴールを決め、勝利。自分がゴールを決めると試合に負けるという今シーズンの謎のジンクスも破った。最後をこんなにも最高の形で終えることができて幸せなサッカー人生でした。

最後に、こうやってサッカーができたのも、周囲の支えがあったからです。

4年間共に過ごした同期
たくさん構ってくれた先輩方
生意気な後輩達
自分を起用してくださった池谷前監督、松尾監督
サッカー部のサポートをしてくれたマネージャー
コーチや移動の際サポートしてくださった
平嶋先生、高宮さん、優吾さん、大竹さん、水谷先生
ドクターとしてサポートしてくださった藤田さん
様々なアドバイスをしてくださった杉本さん
応援してくださってるスポンサーの方々

そして、愛知の試合では、毎回大量の差し入れを持ってきてくれた父さんと母さん

多くの人の支えによって、最高の経験ができた4年間でした。本当にありがとうございました。




私は4年間の大学サッカーに




「後悔などあろうはずがありません」