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"良いチーム"のみんなへ。

 
  どうも。本日の卒部ブログを担当させていただきます、池上です。引退して数週間が経ち、大学4年間のサッカー生活を振り返ってみると、辛いことの方が多かったように感じます。ありがたいことに、辞めてしまおうかと真剣に悩むようなことはありませんでしたが、「これならサッカーを辞めた方が楽かもしれない」そんな考えが一瞬よぎるような時期もありました。それでも4年もの間サッカーを続けてこれたのは、周囲の人達の支えがあってこそだったのかなと、今では感じています。僕の卒部ブログはそんな人達に感謝を伝える場とさせていただきます。普段はくさいことなど意地でも言いたくない僕ですが、二度とない機会なので、恥を忍んで文字にしたいと思います。後日、この卒部ブログの内容にふれるようなことはやめて下さい。とても長い文章になると思うのですが、適当にかいつまんで読んでください。ちなみに3000字超の大作です。

   実奈
真面目すぎる人です。マネージャーという立ち位置でありながら、誰よりも危機感を持ち、誰よりもチームのことを考えて行動してくれました。その反面、きっと誰よりも苦悩や葛藤が多かったかと思います。僕達の代は腰が重く、だらしのない代でしたが、そんな僕らに、行動するきっかけをくれるありがたい、欠かせない存在でした。ありがとう。
 
 悠輔
ワンピースの人です。最初の頃は何を考えてるかが全くわからず、仲良くなるのには少し時間がかかりました。仲良くなって分かったのは、何も考えていないということでした。歯に絹着せぬ物言いには若干憧れがありました。悠輔は歯に絹着せぬ物言いの意味わかるかな?毎週のワンピース考察は死ぬほど楽しかったです。ありがとう。
 
 はかた
感情激しめの人です。練習中にはチームで一番ボール拾いをする人でした。バイト先では近頃色々な人と話している場面を見ることが増え、嬉しく思います。僕が落ち込んでいる時には、部室から駐輪場までの間、不器用ながらも励ましてくれることが多く、その気持ちに救われました。ありがとう。そろそろ車校に行きましょう。
 
 康平
うるさい人です。県内リーグから始まり、最高学年次の東海リーグまで、一緒に数多くの修羅場を乗り越えてきました。気が緩みがちだった僕を後ろから鼓舞してくれる、貴重な存在でした。プレー中にはいつも僕を気にかけ、練習でも試合でも後ろから声をかけ続けてくれました。時には、執拗なまでに声をかけられることもありました。ありがとう。
 
 まつ
一番キャプテンが似合う人です。2年生の時に練習試合でのプレーが悪く、Bに落ちてしまった際「腐るなよ、3年になったら一緒に東海リーグに出よう」と声をかけてくれました。少し遅くなってしまいましたが、まつと一緒に東海リーグで戦えたことを嬉しく思います。大事な試合の前日には無言で背中を叩いてくれる、口下手で頼れるキャプテンでした。ありがとう。
 
 翔
一緒に走った人です。2年の12月、朝方に出発した浜松旅行で仲良くなりました。今では一切気を遣わずに、どんな話もできる仲になりました。4年次には、同じ控え選手である翔のプレーに、密かに刺激を受けていました。先日優斗から「琢也と2人でいるとき面白いんだよね」と翔が言っていたと聞きました。気持ち良かったです。ありがとう。
 
 優斗
上手く生きる人です。サッカーが上手くいかず僕が落ち込んでいる、ここぞと言う時に毎回声をかけてくれました。一番キツい時期に「最近元気ないらしいけど大丈夫か?」と聞かれた際には、涙を堪えながら急いでトイレに行きました。難しいこと、キツいことを避けながら上手く立ち回る、優斗の生き方を実は参考にしてました。ありがとう。
 
 万尋
憧れの人です。友人でありながら、同じポジションを争うライバルであり、そのプレーに強い尊敬と憧れを抱いていました。そんな万尋が怪我や実習で抜けたピンチを救うのは自分でありたいと思い、プレーしていました。引退間近で怪我をしてしまった僕に「また琢也と出たい」と言ってくれたことは大きな力になりました。機会は多くなかったものの、東海リーグという舞台で一緒に戦えたことを誇りに思います。ありがとう。
 
 竜三
変な人です。1年生の頃、寺の生まれと聞いて妙に納得したのを覚えています。そんな変な竜三とする、小難しい話が好きでした。振り返ると、面白おかしく貶しあうことが多かったかと思いますが、「嫌いは好きの裏返し」という言葉もあったりしますよね。ただ、竜三にハマっていないことは紛れもない事実です。ありがとう。
 
 あつむ
ちょっかいをかけてくる人です。1年生の頃、朝練後に銀杏のテラスでパンを食べつつ、朝の空気に浸りながら、1時間ほど話したことがありました。今思うととんでもなく変な時間でした。あつむのダル絡みにはうんざりしていましたが、実はわりと嫌いではなかったりします。特に感動的な話はありません。いつか一緒に長所を見つけましょう。ありがとう。
 
 匡汰
腐れ縁の人です。実は大学でサッカーをやるか迷っていたのですが、匡汰が半ば強制的に誘ってくれたこと、感謝しています。おかげさまでとても多くの貴重な時間を過ごせました。自分からアクションを起こさない僕を、飲みに誘ってくれること、ありがたく思います。ただ、出席率は今後も変わりません。行きたい時だけ行きます。ありがとう、今後もよろしく。
 
 こうたろう
行動力の人です。テストやレポートではとてもお世話になりました。授業以外の面も含め、同じ学科だったのがこうたろうで良かったと思っています。4年間の中で辛い時期もあったと思いますが、最後まで努力を続け、全てを全力でやりきった姿には尊敬を感じます。社会人になってからの活躍が楽しみな1人でもあります。BIGになって下さい。ありがとう。
 
 たいき
不器用だけど努力を欠かさない人です。4年間で一番会話をしたのが、たいきだと思います。ピッチ外では、誰がやっても難しいような仕事を、不器用なたいきが全力で全うしていたことに意味があったと思います。ピッチ内では中々難しい立ち位置だったこともあり、最後の最後まで苦悩は続いたかと思いますが、共に成長をしながら引退を迎えられたこと、嬉しく思います。ありがとう。

   しょうま
いきなり自分の名前が出て本人も驚いているでしょう。しかし、それだけ僕にとって大きな存在でした。3年の冬、「これならサッカーを辞めた方が楽かもしれない」という考えがよぎった時期、しょうまはAチームのスタメンとして試合に出るようになっていました。僕の実力以上に僕のことを評価し、慕ってくれていたしょうまは、Bチームで情けないプレーを続ける僕に対して「何してんすか、琢也さん。いつか東海リーグで一緒に出ましょうよ。2人でスタメンになりましょう」と本気で言ってくれました。早くから試合に出ている才能あふれる後輩が、時にはそのプレーに尊敬や嫉妬すら覚える選手が、決して天才などではない僕のことを本気で認め、僕の活躍を本気で信じてくれました。いつしか「自分を信じてくれる人のためにも」と思い、気付けば僕の目標は「しょうまと東海リーグに出て勝利をすること」になっていました。そこからは決して楽な道のりではありませんでしたが、4年生になり、その目標を二度も達成することができました。達成した瞬間の喜びと感動は、間違いなく人生で一番のものでした。あの時しょうまが鼓舞してくれたから、これ以上ない最高のサッカー人生になりました。ありがとう。
 
 
ここまで相当長い文章を書いてきましたが、ここに書ききれなかった部分で感謝を伝えたい方々も沢山います。例えば両親。送り迎えや朝練時の朝食、落ち込んだ時に話を聞いてくれたことは感謝してもしきれません。僕は高校で試合に出ることはなかったのですが、最後に晴れ舞台を見せられて良かったです。就職してもしばらくは実家暮らしだと思うので、もう少しだけお世話になります。もちろん翔也もよろしく。
そして後輩。基本的には後を任せられる頼もしい後輩ばかりですが、中には今後が心配な後輩もいます。竹内、てつ、かぶ、ひろや、神田、しょうたろう、ようた、れん、らいあ、須本。特に心配です。胸を張って最高だったと言える、そんな大学生活を送ってくれると嬉しいです。あと、色紙にいっぱいメッセージ書いて下さい。
他にも、先輩方、マネージャー、松尾さん、池ヶ谷さん、平嶋先生、佳祐さん、優吾さん、大竹さん、杉本さん、藤田さん、有馬さん、水谷先生と、お世話になった方々の名前を挙げるとキリがありません。沢山の人に支えられた4年間でした。関係者の皆様、本当にありがとうございました。
 
 
最後に、大学生活を一言でまとめるとすると、人と環境に恵まれた、最高の4年間だったなと思います。入学時はサッカー部に入ろうか迷っていましたが、今ではサッカー部に入って良かったと、心の底から感じています。
 
 
4年の11月、運営という立場で東海リーグを外から見ていたことがありました。その際、相手チームである岐阜協立大学の方がふと、こんなことを言ってくれました。
 
「静大って良いチームですよね」
 
文字通り、死に物狂いの戦いを繰り広げてきたライバルからのこの言葉は、僕にとって、とても重みのあるものでした。僕はそんな"良いチーム"で、みんなと一緒に戦えたことを誇りに思います。

良いサッカー人生だった!!