「We are player, not prey, don`t pray.」
自分は高校生の時、チャンピオンズリーグの決勝(14-15シーズン)を見たのが、ちゃんとサッカーを観た初めての試合でした。テレビの中でシャビとピルロの2選手は他の選手が考えていることを考えて先読みしているように見え、他の選手とは異質な動きをしている様に感動しました。幼い頃に思い描いていたサッカーとは後ろの選手が大きく蹴り、お団子サッカーが繰り広げられるものと思っていたので、自分にとってはコペルニクス的転回でした。サッカーとはこれほどまでにクリエイティビティに溢れたものだったのか、こんなにも思考を巡らせるスポーツだったのかと感銘を受け、それ以降サッカーの試合を観戦、戦術を勉強するようになりました。また、それと同時に大学生になったらサッカーを始めようと思っていました。
その後、静岡大学へ入学し、サッカー部へと入部しました。しかし、そこはサッカー経験者 ばかりな上に兵庫から来た自分でも知ってるような強豪校出身の選手が数多くいました。入部してからは自分はサッカーに関して何も出来ない素人だったので、ボールを蹴ることもままならず、皆の動きにはついていくことも出来ませんでした。毎日毎日疲労困憊な状態で家に帰宅していました。入部から2ヶ月ほど経ってから漸く少し練習にも慣れてきて、ボールもゴールの枠より高く蹴れるようになってきました。しかし、周りは経験者ばかりです。突出した個性も無ければ、全ての面で劣っている自分では到底試合に出れるはずもないです。そのため、ボールを蹴る技術と筋トレをひたすら磨いていました。そうしていると、あっという間に4年間が過ぎ、初めよりも幾分かマシになった技術のおかげで、サッカーの試合をとても楽しめるようになりました。
4年間を振り返ると、自分のサッカーへの思いはとても強かったのだなと感じました。大学からサッカーを始めたと言うと、すごいとよく言われますが、自分は不思議に思っていました。自分がやりたいことがあって、それをするのが何が凄いのか理解できずにいました。しかし、客観的に見ると、競技人口が多く、幼い頃からやっている人が多く、自分は文化部出身と。なるほど諦める理由はたくさんある。しかし、そんな状況をもサッカーへの好奇心、面白さが吹き飛ばしていてくれました。
自分には好きな名言が2つあります。
1つはかの有名なLewis Wolpert博士の「It is not birth, marriage, or death, but gastrulation which is a truly the most important time in your life.」で、もう1つがタイトルにもなっている、とあるアスリートが試合前に言っていた「We are player, not prey, don`t pray.」というものです。
「私たちは選手である。(相手の)エサでもなく、祈るわけでも無い。」
皆さんはサッカーをしていて、祈ったことは無いでしょうか?
いわゆる宗教のような、神に祈りを捧げるわけではなく、自分たちがピンチの際にシュートを外してくれと祈ったり、誰か止めてくれと願ったり、多くの人は何度もそんなシーンがあったのではないでしょうか。しかし、これは間違いだと自分は思っています。仲間のクリアやシュートを外すことを祈るのならば、それよりも急いでゴールに戻って、ボールが弾かれたりポストに当たった後に掻き出せるように準備するべきです。
祈りとはある種、諦めの行為だと思います。自分ではどうすることも出来ないから、誰かに願いを託す。
僕たち静岡大学サッカー部に所属している人は皆さんサッカー選手です。
prayせずに、playしましょう。
自分はピッチ外でもピッチ内でも迷惑をかけることが多くて大変だったとは思いますが、幾度となく支えて下さりありがとうございました。自分が無事に大学サッカーを出来たのは先輩方、後輩、チームスタッフの皆さん、スポンサーの方々と家族の支えのおかげです。
ありがとうございました。
2021年度卒業生 上田恭平