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「モチベーターは。」

 私は小中学生でサッカー少年団、サッカー部に所属し高校生で一度サッカーをやめ、大学で再度サッカー部に入部しました。中学生の時点で特段上手い選手でもなかったため、私は初心者同然でサッカー部に入部しました。なので入部当初から引退するまで、技術や体力、戦術理解等なにもかもが周囲よりも劣っていることへの情けなさ、自己嫌悪と、初心者同然がゆえに日々できることの幅が増えていく嬉しさというネガティブポジティブ両方のモチベーターが常にありました。両方のモチベーターがあるといっても日によって比率などは変わり、自己嫌悪が強く自身の技術未満のプレーしかできない日があったり、ボールが思い通り動かせることを楽しむあまり戦術的な行動をとれない日があったりしました。
「常に」この苦しさと楽しさが同居する状態であったため、私は練習前後やプライベートでの遊びのようなもの、リフティング合戦やボール回し等も常に半ば練習のような気持ちで臨んでいました。遊びであるので、普段は共にプレーのする機会の少ないAチームの選手とも一緒にできます。なので練習のような気持ちで臨めばAチームの選手と共に練習をすることと似た経験を得られたと思います。そのように考えると、この半練習のような心持で遊びに参加することは、Aチームの選手と共に練習する機会を増やす手段とも考えられると思います。

 それらの経験から私は、自己嫌悪と楽しむ気持ちが半々、1:1であるのが最良の状態、最も成長できる状態なのではないかと思っています。先ほども述べましたが、片方のモチベーターに偏った状態であると他方が疎かになってしまいます。しかし半々の状態であれば、自身の技術に合った強気なプレーをすることや十分な冷静さを残してサッカーを楽しむことができ、その適当な強気さや楽しさがより良い技術や戦術理解へつながると思います。また四年間の自身のサッカーを振り返り最も後悔することを挙げるとすれば、この最良の状態を日々の練習で保つことができなかったこと、もっと成長できる余地があったこと、ではないかとも思っています。それほどこのモチベーターの成分、内訳、ある種の「気のもちよう」は日々の練習や試合により自身の成長に関わっていると私は思っています。

 気のもちようのひとつとして「常に練習」と考えて遊びも練習も、苦しさと楽しさを感じながら行うことで、上手い選手との練習の機会を増やし、より成長することも期待できるというものもある、というのが私の四年間のサッカー部での活動振り返り伝えたいことです。

 最後に、松尾さんをはじめスタッフの方々、日々部活動を支えてくれたマネージャーさん、種々の部内の役員の方々、共に活動した部員たち、部活動をすることを許し支えてくれた両親のおかげで四年間静岡大学体育会サッカー部で活動でき、無事に終えられました。ありがとうございました。
これからも静岡大学体育会サッカー部を熱く応援しています。

2021年度卒業生 高橋昂輝