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「サッカーを愛し、最後にちょっとだけサッカーに愛されました。」

 こんにちは。12月26日分を担当させていただきます。
 田中友大(たなか ともひろ)です。
 このブログももう残り半分を切ってしまいました。早いですね~。そしてまたみんな良いこと書きますよね。なんか細かいところに神様宿っちゃったとか。ホンマかいなって思います。僕もいい文章を書きたいところですが、色々ありすぎてまとまらないのでダラダラ書こう思います。
 
 
 

 まずは過去編!僕は5歳の時にサッカーを始めました。憧れの選手はブラジルのロナウドとクリスティアーノ・ロナウド、そして中山雅史選手です。めちゃめちゃフォワードですね。小さい頃はとにかくシュート打っていたと思います。ご存じの通りこの頃からパワー型でした。強いシュートを求め、ひたすら壁にぶち込む日々です。本当にもっとドリブルとかリフティングとか練習すればよかったと思います。そして憧れのフォワードでプレーすることなく、気が付けば大学ではフォワードから1番遠いセンターバックでプレーすることになっていましたね。

↑伝説の片山寮です笑笑
 
 
 

 4年間を振り返って、一番心に残っているのはやっぱり東海リーグです。中学3年生以来、約7年ぶりのスタメンの相手は中京でした。恐ろしかったです。だけど右のセンターバックから見る景色は最高でした。すいすい相手を抜いていく人がいれば、いつでも元気にオーバーラップするやつもいるし、足がつるまで走って跳んでる人もいるし、さらにはゴールを本当の神様が守ってくれました。味方にだーーーいぶ助けられましたが、それでも強豪を倒したときは人生で一番感動したし、多分一生忘れないと思います。一生自慢すると思います。笑
 
 

 というのも僕は3年までずっとBチームにいました。今の1年生にとっては意外かもしれませんが、めちゃくちゃ県内リーグに思い入れがあります。たまに上げてもらうこともありましたが、ずっとAにいるような選手じゃなかったんです。もちろん東海リーグに出ることを目標にやってきましたし、なんなら全国に行くことも目標でしたが、最後の年は自分がチームを率いて、もう一度エコパみたいなでっかいスタジアムで今度は優勝することがあの時思い描ける最高の終わり方だと思ってました。僕が試合に出れるようになったのは監督が代わってからです。人生何が起こるかわかりませんね。でも一個だけ言わしてください。僕は続投派でした!笑


 もういっちょ、後輩に伝えたいことだけ書かせてください。ありがたいことに静岡大学ではAもBも経験させていただいたので、どっちの気持ちもわからんことはないはずです。そんな僕から1つだけ。気持ちの準備は常にしておいてください。ずっと朝と昼を行ったり来たりした経験からいえることはこれにつきます。チャンスってのはいつ転がってくるかわからないし、たいてい後になってあれはチャンスだったと気づきます。緊張したり、ミスして萎縮したりしてしまいがちです。俊輔も言ってましたが自信を持つことがとても大事です。それは試合に出るときもAチームに昇格して試されているときも変わりません。僕は4年目でようやく少しだけ克服できた気がします。方法は人それぞれですが、まあ練習するしかないでしょう。笑 
 一緒に長くプレーした人とか県内リーグでくすぶっている人は特に応援しているので頑張ってください。ファイト!!
 
 

 最後に静岡大学サッカー部、そして僕に関わりサポートしていただいた家族、監督、コーチ、先生、スタッフ、先輩、同級生、後輩の皆様、本当にお世話になりました。特に松尾監督、最後の引退試合に体調を崩して行けなくて本当にすみませんでした。手紙もちゃんと受け取りました!
 5歳からサッカーを始めて17年も続けてきましたが、最後の1年でようやく日の当たる舞台でプレーできました。最後の最後にサッカーに愛された気がします。タイトルはそういう意味です。あとは仲間にも!なんかジャンプの最終回みたいになってしまいました。笑
 僕はまだまだプレーします。100年間サッカーをするという目標があります。第一線を退くだけです!またどこかで一緒にサッカーしましょう。静岡大学サッカー部が友情・努力、そして多くの勝利を手にすることを期待しています。長々とお付き合いありがとうございました。

2021年度卒業生 田中友大