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「本物の全力。」

 新年あけましておめでとうございます。2022年1月1日の卒部ブログを担当します、静岡大学体育会サッカー部安木晃平です。今回は4年間を振り返りながらタイトルの「本物の全力。」を伝えていければ良いかなと思います。自分で言いますが、私は熱い男です。私の4年間の大学サッカーすべて、そして私の気持ちすべてをこの文章に記しました。長々とした文章ですが飽きずに読んでいただけたら幸いです。よろしくお願いします!!



 たしか2018年3月30日に初めて静岡大学体育会サッカー部の練習に参加した。ドキドキした気持ちで参加した事を覚えている。練習の感想として全く何もできなく、1人の帰り道、私は今まで何をやってきたんだと考えていたと思う。こうして私の静岡大学体育会サッカー部での挑戦が始まった。
 1年生の時はとにかくきつかった。全くうまくいかなかったり、ミスしたり、めっちゃ怒られたりした。そのような自分が本当に悔しくてたまらなく、練習以外の自主練に励んだ。
 何が足りないのか家で振り返り、SNSで調べ練習した。その時から当時の4年生に教わりながら筋トレも始め、4年次には体重が11キロUPした。
 だが、練習を繰り返しても1番下のチームでプレーしていた。同期はどんどん東海リーグに出て活躍していていた。練習の意味があるのか何度も考えたが、同期の頑張り、励ましによりさらに頑張れた。
特に同期の池上翔也は練習終わりいつも私を励ましてくれ、お互いに切磋琢磨した。



 そして2年生は徐々に県内リーグで試合に出ることができた。だがそれは前期のみ。それ以外はずっと下のチームでプレーした。そんな自分が情けなく、苦しかったと今でも覚えている。
 その当時は全くサッカーが楽しくなかった。もうサッカーは楽しむものではないなとまで思っていた。うまくいってなかったのは下手くそなこともあるが、楽しくできていなかったことも原因にあると思う。
 そのような時期から、今も続く同期の長谷川と辻村と部活以外の時間一緒にいる事が多くなった。彼らは東海リーグで活躍していて、勝つ事の喜び、スタメンで出ることの苦労、試合の反省など様々な話をしてくれた。私はそんな話を聞き、ものすごく刺激をもらった。本当に2人はかっこよかった。そんな彼らと別れた後の家の中で私は、


「2人と一緒に試合に出たい。必ずやってやる。」


と何回も自分に言い聞かせた。そして彼らとの関わりにより私生活はできるだけサッカーの事を考えない方が良いと思い始めた。
 私は1日中サッカーのことばかり考えていた。それが自分自身を追い込み苦しめていると感じるようになった。そしてそのような状態のサッカーは違うと思い、私生活はサッカーの事をできるだけ考えないように過ごした。
 そのおかげか、徐々にサッカーを楽しめるようになったと思う。


 そして3年生では自粛生活からスタートした。部活もグループ練習になり、それが2ヶ月半続いた。私はその期間チャンスだと捉え、課題であったアジリティをあげるためのトレーニングをたくさん行った。
またグループ練習は自粛により1人1人のモチベーションに違いがあった。その生ぬるい雰囲気がとても嫌だった。

「今がチャンスだ。ここでチームメイトとの差を縮めることができる。」


 その思考をグループメンバーも巻き込んでうまくなりたかった。だから私は喝を入れた。そして5人しかいないグループの雰囲気を少し気まずくした。だが最終的には良いトレーニングをしたと思う。グループメンバーだった、桐山、高味、長縄、特に長田、あの時は自分の気持ちを押しつけてごめんなさい。こうして自粛が明け、私は練習のおかげか動きが良く成長を感じながら過ごせていた。
 ある練習後の自主練、当時のキャプテンである溝さんが声をかけてくれて一緒に私の練習をやった。やり終わった後溝さんが、


「方向性は間違ってない。頑張れ。」


と言い、私は大きな力と自信を得た。
 溝さんは下手くそな自分の事を気にかけてくれた。また一個上の先輩たちも多くのアドバイスをしてくた。
 そんな先輩たちの最終節の東海リーグは今でも覚えている。すごくかっこよかった。あの試合でさらに私の心は熱くなった。
 こうして3年次は県内リーグで多く試合に出させてもらい、最後の1年である4年生で東海リーグに出ると決意した。



 だが、4年生の4月の段階で私はBチームにいた。どうしても東海リーグに出たく、ポジションを途中出場のチャンスもあるFWにした。そこから練習後シュート練習をひたすらやった。その練習には院生コーチの佳祐さん、そして辻村がいつも付き合ってくれた。
 佳祐さんは朝早くても、次の時間が授業であってもいつも付き合ってくれ、的確なアドバイスをくれた。
 辻村は怪我が長引き色々と苦しいはずなのに、いつもパスを出してくれ、「安木に俺が縦パスを入れる」と予行練習しながら付き合ってくれた。
 そんな2人に毎度胸が熱くなった。2人のためにゴールしてやると私の心は燃えていた。
 また4年次は松尾監督が口すっぱく伝えていた「アクション」を多くした。チームに良い影響を与えると思った事があればチーム全員に共有し、東京パラリンピックを部員に見てほしく、チーム全員に宣伝するなどした。このような「アクション」により私は自信と責任感を多く得たと思う。
 東海リーグに出ようと頑張っていたが、10月末にもう東海リーグに出れないなと今の立ち位置や雰囲気から分かった。大学サッカーの目標が断たれたがその時全然悔しくなかった。全てを出し尽くした結果であるためそう思ったのかもしれない。
 そして県内リーグ最終節がBチームにいた4年生の最後の試合になった。4年間、喜びや悔しさをいつも共有し、夜には2人で電話し熱く語り合い、共に支えあった同期の木田と感慨深くなりながらラスト1ヶ月の練習に励んだ。
 その試合前、たくさんのチームメイトから、


「ゴール。」


という言葉をいただき、大きなパワーを得て試合に望み、私は点を入れ、チームが勝った。本当に本当に嬉しかった。そして練習はうそをつかないと改めて思った。
 試合後、静岡大学体育会サッカー部全員が最高な笑顔をしていた。仲間からは「ナイスゴール」「やっと決めた」「熱」「泣きそうでした」などのたくさんの言葉をいただいた。最高の最高のチームメイトだ。こんな素晴らしい仲間とサッカーをする事ができ私は幸せものだと思う。
 この試合は生涯絶対に忘れる事がない。
 こうして私の小学4年生から始めた選手としてのサッカーが終わった。すべての年代で「うまくなりたい、勝ちたい」この一心だけで練習しまくった13年間の競技人生だった。


 ざっと上記が私の4年間だ。まとめると、この大学サッカーを必死にもがきながら、妥協せず全力に取り組んだという事だ。それはただの全力ではない。
私が考える、私だけの、私にしかできない、


「本物の全力。」


 結果は東海リーグに出場できなかったが、一切の後悔がない。なぜなら「本物の全力」をしたからだと思う。
 そのため大学サッカー真っ只中の後輩たちは、
あなたが考える、あなただけの、あなたにしかできない、


「本物の全力。」


をしてたくさん輝いて下さい。そして静岡大学体育会サッカー部を今よりもっと眩しく輝かせて下さい。



 ここからは私の将来について話させてもらいます。
大学卒業後、故郷である鳥取県に戻り高校教師としての新たな挑戦が始まる。教育者そしてサッカー指導者になる。そこで私は果たしたい事がある。


「鳥取県公立高校サッカー部を率いて全国に出る。」


 鳥取県の高校サッカーは米子北高校さんの一強が続いている。私はこの現状を変えたい。そして公立高校サッカー部の生徒に喜びや希望を与えたい。
 これを聞いて無理だろうと思ってる人がいると思う。だが私はできる自信がある。自分自身に自信がないとそういったチャレンジはできないし、実現は無理だ。そして1度きりの人生。なんでもチャレンジしても良く、夢を追いかけ続けた方が常に上を向いていける。
 そのため私は必死に努力し、学び続け、教育者・サッカー指導者としての人生を最高なものにしていきたいと思う。
 そして私はサッカー以外の事も「本物の全力」をしてきた。それにより成功や失敗を多く味わった。
ここからは安木晃平の人生の第2章が始まる。第1章で得た経験を活かし、第2章、それ以降でも


「本物の全力。」


をして私の人生の夢を叶えてみせる。
 何年後か分かりませんが私が率いるチームが高校サッカーの全国大会に出ていると思います。是非その時は応援の方よろしくお願いします。



 最後にサッカーにより出会った仲間、監督、コーチ、スタッフの皆さん本当にありがとうございました。サッカー選手としての「安木晃平」が完成しました。そして家族・親戚の方々送り迎えや食事などのあらゆる面のサポート本当にありがとうございました。特に母は私の1番のサポーターです。今後とも私の1番のサポーターとしてよろしくお願いします。



 以上で私のブログを終わらせていただきます。すごく長くなってしまいましたがここまで読んでいただきありがとうございました!!

2021年度卒業生 安木晃平