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サッカーが好きとは

本日の卒部ブログを担当します、山北友也です。本当はトップバッターだったのですが、インフルエンザになってしまい直前でイエスマンの竹内に代わってもらいました。時間も少しできたし、このような多くの人が見る場面で自分のことを語るのは最初で最後だと思うので、正直に大学サッカーを振り返りたいと思います。よろしくお願いします。


私は入学当初サッカー部に入る気はありませんでした。大学生という自由な時間を謳歌してやろうと思っていました。しかしコロナの影響で最初の6月まで大学にすら行くことも無く、一人暮らしで友達もほぼおらず暇で仕方ありませんでした。あまりに暇すぎた私はサッカーがしたくなってボールを買って、同じ高校から静大にきた元野球部の友人と公園でサッカーをしていました。高校3年の夏のインハイで引退して以来ボールを全然蹴っていなかったですが、この時間はとても楽しかったです。ボールを蹴っているうちに静大の人工芝でサッカーがやりたいと思うようになり入部を決めました。


入部して数ヶ月、周りのレベルに圧倒されながらもなんとか食らい付いていた矢先、一本の電話が鳴りました。朝だったので朝練に寝坊したのかと思って飛び起きたところ、母親からでした。父親が亡くなったと告げられました。

いきなり暗い話になってしまいましたが、今ではデリカシーの欠片も感じさせない芝原君を筆頭にいじってくるのでこのまま続けるとします。

夢かと思いました。部に家庭の事情でといって連絡を入れ、とりあえず実家に帰ってみると、すぐに現実を知らされました。そこからは本当に一瞬で、全ての行事が終わりました。この訳の分からない時間の中で、私は今までずっと続けてきたサッカーについて考えました。そして、静岡に戻り同期のみんなに部活を辞めると話しました。
辞める理由は経済的な事情だとみんなに伝えたと思います。ここで確か虎太郎か誰かが「一応休部にしとけば」と言ってくれて、勢いで決めた部分もあったので悩んで休部に変更しました。
確かに経済的な事情もあったけど、私がサッカーを離れる決断をした決定的な理由は、親に仕送りをしてもらってでもサッカーを続ける理由が分からない、でした。当時私はバイトをしておらず、ただサッカーをしているだけでした。また、自分の下手さを知らされる毎日で正直何が楽しいのか分かりませんでした。楽しいとも感じないのに親のカネだけ蝕むのは罪悪感でしかなく、週6のサッカー生活から週6、7のバイト生活を始めました。

サッカーから離れてみると、サッカーのことを考えることは無くなったため気持ちが楽になったことを覚えています。まあ単純に心が疲れていただけなのかもしれません。バイトでお金を貯めて好きな服を買ったり、友人と出かけたり大学生らしいことも少しはしました。しかしバイトだけで何やってんだろと思ったり、テレビやケータイでサッカーを見ると、また少しやりたいと思うように勝手になっていました。あれだけ理由をつけてサッカーを離れたのに不思議です。そしてお金も貯め、復帰するなら早いほうがいいと思い、大学2年が始まるタイミングで復帰しました。


サッカー部に戻ると体は全然動かなかったけど、同期と楽しく話すことや、サッカーをしている楽しさを思い出してまた頑張ろうと思いました。目標は東海リーグに出場することにしました。しかし楽しいと感じていたのもつかぬま、足首の捻挫をしました。ここから怒濤の足首の捻挫の連鎖が始まりました。復帰しては再発してと、両足首の捻挫が完全に癖になって4年の始まりまで続きました。完全に治るまでリハビリすることや睡眠、食事に気を使うべきでしたが、いつも中途半端な状態でもうできると過信して怪我を繰り返しました。どんどんAチームに上がっていく同期に対して焦りがあったのだと思います。また、復帰してもコンディションはまるで上がっておらず、自分の唯一と言っていい長所のアジリティが発揮できずモチベーションもだだ下がりしました。心のどこかでいつも怪我を言い訳にしておりそれがこの時期の後悔です。


こうして時間だけが過ぎ4年になりました。4年の最初は就活も相まって忙しい毎日を送りました。時にはサッカーが息抜きとして感じられ楽しかったのに、追い込まれると部活の時間が無ければと簡単に思うことだってありました。チームも前期全く勝てず自分も4年なのにAチームに絡めない日々が続きとても悔しい思いもしました。
でも自分にとって転機が訪れました。夏の合宿でAチームに入ったのです。それまでほとんどBだったので最後のチャンスだと思いました。合宿では全く上手くいかなかったけど、後期もそのままAチームに残ることができて東海リーグにも出場できました。本当に下手だったけど、Aチームにいるときは、自分にできることを全力でやる、ということを意識して必死になっており、それがなにより楽しかったです。

ここまで私の4年間をだらだらと書いてしまいましたが、サッカーが楽しいと思える時間とそうじゃない時間の2つの時間を数多く経験しました。サッカーが楽しくないときにこの部活を辞めなかった理由はやはりサッカーが好きだからです。部活を離れた時期も結局YouTubeでサッカーのハイライトを見ていたし、試合に出られなくても、上手くいかなくてもボールを蹴るのが好きでした。また、サッカーを通じて出会った仲間と他愛のない話しをするのも好きでした。自分にとってサッカーとは捨てようにも捨て難いものだったと今では思います。

結局何を伝えたいかというと、好きなサッカーに正直に全力でやってほしいというシンプルなことです。私は、本当はサッカーが好きなくせに、好きだからこそ選択してきたのに、環境や実力、自分の置かれた立場を言い訳にしてサッカーに対して全力で向き合えませんでした。サッカーが好きなら頑張ろうと素直に思えたのは4年後期からでした。遅すぎました。偉そうなことは言いたくありませんが後輩のみんなには、辛い時こそ、思い通りにいかない時こそ、サッカーが好きということを信じて頑張ってほしいと思います。


同期へ
みんながいたからこそここまで部活を続けてこられました。クソみたいにしょうもない会話や、航大の耳障りのような笑い声も今となっては良い思い出です。本当にありがとう。また集まりましょう。

そして、松尾さんをはじめ自分に関わって下さったサッカー関係者の方々、家族、これまでのサッカー人生を支えてくれて本当にお世話になりました。おかげで充実した時間を送れました。サッカーやって良かったです。ありがとうございました。


親父へ
俺はあなたのことが好きではありませんでした。いつも家族、特に母親に迷惑をかけてばかりでした。たばこ臭い、小道でもガンガン飛ばすあなたは突然いなくなりました。あなたの言葉で1つだけ覚えていることがあります。それは、「俺は好きなことしてきたから好きなことやったらいい」です。俺も今まで好きなことを続けました。でも社会人になったら好きなことをやるのは簡単ではないと思います。誰かのために我慢したり、犠牲になることが必要なのかもしれません。これまで、あなたが朝早く仕事に向かう背中や、母親が仕事で疲れている中サッカーの送迎をしてくれる姿を見てきました。だから大丈夫です。好きなことをするだけでなく強くあるときは強くなります。見守っていてください。ではまたいつか。