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「プレスバックが苦手でした」

私はプレスバックが大の苦手だった。ボールが自分の後ろに行くと守備のスイッチが切れてしまう。病気だ。なんならプレスバックしなくてもボール取れるだろ、一対一でボールつつけるだろ、守備そんくらいやってくれや、と団体競技を小学校から続けてきた人間とは思えない、恐ろしく甘ったれた考えを持っていた。


また私は、そもそもプレスが苦手だった。現代に生きるサッカー選手として大変致命的である。でもなあ、速いプレスって自分だったら交わしやすいし、なんていう傲慢で、怠惰で、甘ったれた考えを持っていた。


極めつけには、私はそもそも体力がなかった。これはもはやアスリート失格である。大川原翔に、「中学で走るんや、そしたら体力つくんや。」というようなことを偉そうに言われて、ああなるほど、じゃあ自分が体力がないのは中学校の部活のせいだ、と思った。大川原翔は「でも体力って結局気持ちだからな。」とも言っていた。本当にこいつは何を言っているんだと思った。じゃあおれ気持ち弱いから仕方ないな、と持ち前の甘ったれた思考法で落ち着いた。

小学1年の冬からはじまった、私の甘ったれたサッカー人生は、最後の年で肉離れを繰り返すという、まあまあ良くない結末で幕を閉じた。好きなことだけやって、嫌いなことはやらなかった、甘ったれた私には丁度いい結末だったのかもしれない。

私は静岡大学サッカー部に入るときに、こんな目標を立てた。「天皇杯で、槙野智章か長友佑都をドリブルでぶち抜く」である。結果、そもそも天皇杯予選はすべて怪我で出れず、おまけに東海リーグでのスタメンは、4年間合わせて3試合くらいだった。公式戦での得点は、4年間で2桁もいかなかった。まったく馬鹿げた目標であった。

3年の冬にはJクラブと練習試合をする機会があった。90分間何もできなかった。戦術理解、基礎技術、走力どれをとっても圧倒的な差があった。この差を埋めれば、プロになれるのかと思ったが、気付くのが遅すぎた。あの差を生み出すのは、小さい頃からの血の滲むような努力に違いない。今からでは遅い。私は諦めをつけるのが上手い。幼い頃に夢見たプロサッカー選手は、私のような甘ったれたやつがなれるものでは微塵もなかった。

さて、そんな甘ったれたサッカー人生が最高に楽しかった。そしてそれは、間違いなくこれまでサッカーを通して出会ったすべての人の素晴らしさゆえだ。甘ったれた私に、呆れながらも付き合ってくれた人々の温かさゆえだ。自信を持って、私が1番友に恵まれていたと言える。私の友人は世界一素晴らしい。これだけは譲れない。最高の人たちに出会えた、そしてサッカーを最高に楽しめた、これだけで私のこれまでのサッカー人生は成功と言える。

そして何より、そんな甘ったれた結論を出して、満足している自分が嫌いじゃない。


あーあ、でも生まれ変わったらプロになりてえなあ。