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善く生きるとは、学んで生きることである

今日は、「仏法」という本から、引用しました😊🙏
最近の私のお気に入りの本なんです😂🤭お勧めですよ〜。

善く生きること(生命)とは、学んで生きることである。三学で人間を開発すれば、聖道を進んで生きることになる

生きることは、学習と同じである。生命とは、生存し生きていくことである。すなわち、動いたり、新しい経験をしたり、新しい状況に出会ったりし、知ったり、理解したり、考えたり、何かを実践したり、処理したり、あるいは問題を解決して危機を脱したり、または成功したりすることで、常に学習が必要となり、問題解決を考えねばならない。これらすべてを簡単に言えば、「学」、または『学習」となる。
したがって、生きているときは、善く生きていける、あるいは善く生きるために、常に「学」、または「学習」をしなければならない。「生きることは学習すること」「善く生きるとは学び、学習し、修習、開発することである」と言える。
真の意味において、生きている間の学習は、重々しく言うとすれば、「生きることは学ぶこと」である。
ポー・オー・パユットー 「仏法」

この文章を読んだ時、ああ、そうだなあって、本当に思いました。
私は、生きるということを学んでいると思っていたんですけど😆、そうか、生きるって学ぶことだったんだ、という改めましての発見でした😊🙏🙇‍♀️

最近、法友さん達と一緒に、仏法について色々な話をしたり、共に学んだり、それがとてもいい刺激になっていて、私自身の修行のモチベーションを保つ一助となっています。
また、私は一年位前からTwitterをさせていただいているのですが、そこで見る、顔も知らない法友さんやお友達(勝手に友達と思っている🤭)になった方々が、一生懸命に生きている姿、仏法を学んだり、修行をしていたりする姿、人がホッとするような安心するような言葉を呟いている姿などを拝見させていただいていて、本当に励まされますし、応援したくなりますし、お節介をしたくなります🤣🙏ご迷惑をおかけしていたらすみません🙇‍♀️

善く生きるとは学んで生きることです。

生きていると、いろんなことがありますよね。嫌なこともあるし、嬉しいこともあるけど、ショックなこともあるし、どうしたらいいかわからないこともある。孤独を感じることもあるし、絶望感にかられることも。
そこからどうやって生きていくかというと、やっぱり人は学ぶんだと思うんです。いろんな出来事は学べます。そこには私が学ぶべきことがあるのだと思います。

私は仏教を学んでいます。この仏法という本の引用にもあるように、仏教は、生きることを学びなさい、と教えてくれるんですね。
何を学ぶのかといえば、生きることを学ぶのです😊🙏あら?!
人生、、、
学んで生きるということが本当に生きるということです😊🙏
にしよっかな🤭😆

今、私が理解していると思っていることは、過去のものですね。それにしがみついてないで、それをどんどんアップデートしていかないといけないんです。理解した、と思っていることでも、実は浅い理解だったり、もう本当にわかった!と思っても、実はわかってなかったり。そんなことはしょっちゅうですね😂
だから、いつもこの今を学んで生きることなんだと思います。

仏教では、善く生きる、ことをお勧めしています。その理由は、みんな幸せになりたいと思って生きているからだと思います。仏教は因果法則を説きます。善く生きなければ、結果、幸せにはならないのです。

今私は4歳の子どもと一緒に暮らしていますが、子育てって修行ですね😂🙏毎日、修行させていただいております😊🙇‍♀️
子どもを思い通りにしようとする私と、自分の思い通りにしたい子どもとの、ぶつかり合い🤣
これは、本当に学べるんですね。
そして子どもは、まさに生きることを毎日学んでいるんです。私も負けずに学ぶんです😤😆
でも、子どもは自分で性格を形成していくんです。親は、子どもに幸せになってほしいと願って、善く生きることを教えますが、子どもがどの程度参考にするかはわからないのだと、先日スマナサーラ長老に教えていただきました😊🙇‍♀️🙏

上記の三学とは、戒定慧のことですね。
仏教を学ばれている方はだいたいご存知かと思いますが、この部分も引用させて戴きました。

三学の面から見ると、学のそれぞれは次のような意味を持つ。

(I)戒とは、様々な根と身、語の行為でもって、物質と社会の両面で環境に対して、実践し処理する関係面で修習する学である。換言すれば、怖畏のない、迷惑をかけない生き方の道程、あるいは社会と世を支援する生き方をすること。

(Ⅱ)定とは、心の面の学習、心のレベルの面での修習する学である。あるいは心の様々な徳性を開発すること。
 倫理面では、慈心、悲心、友情、同情、親切、丁寧、尊敬、正直、報恩など。
 心の能力面では、堅忍不抜、精進努力、勇気、忍耐、責任感、集中力、念、定など。
 楽の面では、喜、満足、悦など。
 要約すれば、心の質、能力、健康を開発すること。

(Ⅲ)慧とは、真実を知る面の修習である学、あるいは学習である。根拠のある信仰、真実の方向に入る知識、知識を求めること、考察すること、熟慮すること、熟考し試すこと、調べることを知ること、知識と理解、理由を推量、真実に到達すること、知識を用いて問題を解決すること、そして、創造を助ける様々なことを考えることなどから始める。
 特に、如実に知ること、あるがままに知ることに重点を置くことから、一切のものに普遍的な真実を了知することまで修習し、心を自由にし、慧をすっきりさせ、苦のない完全な自由に達する、世間と生命の法性を覚知する段階に至る。
 ここに述べた三学の原理が、善く生きる面の三構成要素において人を修習させて開発させる学習である。
 もう一度繰り返せば、人に善なる生き方をさせる学習、修習が三学であり、学習、修習から生まれる善なる生き方が道である。
ポー・オー・パユットー 「仏法」

何が道で、何が道でないのか、少しだけ理解した気がしました。少しだけかい😆

仏法を学ぶことが面白い今日この頃です。学べば学ぶほどに馬鹿が露呈します😂🤭🤫学ばないといけません😊🙏🙇‍♀️

法友に感謝します。
パユットー師に感謝します。
三宝に感謝します。

生きとし生けるものが幸せでありますように

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