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激甘脳・写真と・ボーリング論 2023年5月総括エッセイ

・大学でなんかやってた長縄跳び大会優勝しました
優勝賞品のビアードパパのシュークリームいただきやす◎

・久しぶりにあんなに運動したな。文字通り体が悲鳴を上げていた気がする。高校の時までの体育の授業みたいに定期的に運動しないと精神の「動くぞ」という意志と体の限界がリンクしない。もう自分が老いているフェーズに入ってるなんて考えたくもないけど、それを実感させられて怖かった…。

・アレ飲みましたよ。アレ、スタバのメロンの。

背景を中世ヨーロッパ都市に変更してお送りしています

・おいしっ!よくある「メロン味」とかじゃなくてちゃんとメロンだった。甘くてサイコー…
ただ、一人でスタバ行ってフラペチーノ頼んでテラスで飲むと風が冷たいし、こうやって感想を伝える人も傍にいないので寂しい。寂寥感って言うのかな?これは?
というか寂寥感って言葉初めて使ったわ。
ビアードパパのシュークリームとフラペチーノという糖分を大量に摂取しないと「寂寥感」が出てこない脳味噌。弱すぎる。

・TOEICのテスト受けました。結果出ました。就職活動には使えない点数でした。そうだよね〜〜〜……だってテキストを結局半分くらいしかやれなかったので……。なんとかして大学の留学プロジェクトに参加したいな。イギリス行きたいな。

・5月は運動会シーズンらしい。このあたりの小学校が軒並み運動会を開催するみたいで少数精鋭でやってる写真館は人手不足に陥ったため、アルバイトである自分も撮影にでかけました。
高校時代は写真部に所属していたのでちょちょいのちょいかと思ったんですけど、全然そんなことなかった。写真が斜めになってしまうし、競技によってはかなり忙しく走り回らなければならなかったのがキツかった……。なんなんだ、「ダンシング玉入れ」って。踊ったかと思ったらいきなり玉入れ始めてそしてまた踊る……。ムズすぎ……でも、小さい子が踊ってるのってめちゃくちゃ良いですね。カワイイ。もし自分の子がちっちゃい体を動かして踊ったりしていたら感激モンだな。これは。

・それにしても、こうしてカメラマンとして学校行事を眺めると学校のイベントってホントに良いもんだなって思う。でも当の子供時代にそれを実感できないのは日常の中にそういうイベントが入り組んできてうざったく感じるからで、僕たちが良いなと感じるのは思い出の中にイベントがあると認識しているからなのかなと思ったりする。

・バイトで学校行事の写真を眺めると写真ってスゲェなって思います。もう二度と行くことのない過去の世界を鮮明に捉えていて、安価で印刷できる。そしてそれをずっと先の将来眺めることもできる。そういう意味では写真って黄金よりも希少な過去を映してるけどその辺のものみたいな手軽さがある。凄い。


かたつむり

・梅雨入り。早いな~~~。毎年そんなもんか。大学生になったことで合羽を着たり、荷物を入れたバックが濡れないように何重にもビニールを覆いかぶせるみたいなことをしなくてもよくなって傘を差せばいいだけになったとはいえ、雨が続く日はやっぱり少しヤダね。


ボーリング論

 新歓というものに誘われました。私は映画サークルとモダンジャズ研究会を掛け持ちしてるのですが、これは映画サークルの方。ジャズ研の方は会員同士の交流イベントがあんまりないらしい。実際みんな静か。私はかなりお喋りな方なので普段の状態でジャズ研にいるとずっと空回りしてるみたいになる。でもその一方で私はハードボイルドで大人な人間に憧れているのでそういうモデルに近づくにはジャズ研はいい場所だったりする。

 新歓ではボーリング場へ。上級生2人と異性からなる4人グループでゲームをすることに。
 当然新歓なのでこの場は和気あいあいとしているべきで、「ゲームをする」というよりもコミュニケーションを取るというのがこのボーリングの目的であるべきである。しかしボーリング場は球がレールに叩き落される音、ピンの隊列がたまに弾き飛ばされる音、やかましい店内BGMなどによって落ち着いて会話をすることは困難を極め、我々はゲームに集中せざるを得なくなった。しかし、手元のスマホが映画館にもゲームセンターにもなる時代に重い球を前方に転がすだけのゲームがスマホを太刀打ちできるだろうか?みんなスマホを触りたそうだったが、そこは良識ある人間としてみんなグッと堪えていた。さすが歴史と伝統だけはある大学の学生だ。カラオケに行ったときにスマホを触ると空気が終わることをみんな知っていたのだろう。

 ボーリング、誰もガチでやってないことで有名なスポーツ。なのでガターが出てもしょうがない。その代わりストライクやスペアが出たらタッチして喜べばいい────そのはずだった。私のグループは全員ボーリング未経験か10年ぶりぐらいの人間ばかりで(私は10年ぶり)、ゲーム終盤になってもガター連発、そうじゃなくてもストライク云々は全然出ず、いわばお通夜ムードだった。ここまで意味のない「ドンマイ」は初めて聞いた。そもそもボーリングなのだからストライクだろうが7本だろうがそんなに気にならない。つまり本質的にはどの結果も「ドンマイ(Don't mind)」なのだ。でもガターのときは明確な失敗であるので空しく「ドンマイ」と送り続ける。
 もしかしたら「異性に手取り足取り教えてドキッとするシチュにすれば幾分ましになるだろう」と考える人もいるかもしれない。しかしよく考えてみるべきだ。ボーリングにおいて、あの重ったらしい球を持ち、なんとなく投げる行為のどこで手と足を取ればいいのだろう。危ないぞ。

 ゲームの終わりが近づくにあたってみんなヘトヘトになってただでさえ少なかった会話は極端に起こらなかったし、別にスコアどうでもいいしで収穫はそこまで芳しくなかった。というのが私の新歓での所感だ。ボーリングはコミュニケーションの媒介とするにはあまり相応しくない。
 では、何が最も相応しいか考えたいところだが、もう眠いのでここで筆を置くことにする。
(おわり)

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