大阪の友人Aが自殺した。
先週の日曜日、大阪の友人Aが自殺した。一緒に住んでいた友人Bだけが残されて、精神疾患持ちだったこともあり何もできない状態だった。親や親族とも絶縁状態。後を追いかねないと思い、急きょ僕が駆け付けて葬儀や死後の手続き等をできる範囲で代行してきた。生活保護の実態や福祉葬についても勉強になったが、何よりの成果は。
「私が死んだらみんなが幸せになる」
という友人Aの言葉が大きな間違いであると気づけたこと。
「私が死ねばみんなが笑顔になる」
「私が死んでも葬儀に誰も来ない」
骨を取り上げて、斎場を後にした瞬間、仲の良かった人たちは皆泣き崩れていた。その場面を思い出すと今でも泣けてくる。
奄美に帰るまでの間、King Gnuの「泡」を聞いていた。
葬儀の手続き中に頭から離れなかったのはOfficial髭男dismの「SOULSOUP」だった。
~消えたの 泡となりて~
~声すら失うような 絶望味のスープを 一生に少なくとも一杯 飲まなくちゃならないみたいだ~
レンタカーを一人で返しに行くときには、LiSAの「REALiZE」をガンガンにかけながら泣いていた。
正直今でも落ち込んでいるが、生活への不安が僕を突き動かしている。
けん玉が下手にならないように毎日練習すること。
タイピングが下手にならないように毎日練習すること。
ゲームが下手にならないように毎日オーバーウォッチをすること。
小説が下手にならないように毎日執筆すること。
先週は全て抜けてしまったが、今週からは再開する予定だ。
下手になったらどうしよう、という不安でさえ活力になるのだと知った。
身勝手にも、無責任にも残された友人Bのことは変わらず心配だが、後追いするなら、それはそれで仕方がないと言える状態だった。その時は僕もまた大阪に戻ろうと思う。
その自殺を確実に止める方法があるとすれば、それは精神の自由の剥奪である。希死念慮は否定しない。だが、残される人たちのことも考えてほしい、と友人Bにも願っている。
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