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【WEB再録】迷ったら食べろと神は言った 〜序〜



日夜、安全な商品開発に心血を注ぐ名もなき企業戦士たちの 記録に残り記憶に残らないであろう偉大な功績の数々に
そして 少しばかりの毒物ではびくともしない
丈夫で大雑把な遺伝子をこの世に残してくれた
おそらくこの本を一生読むことはないであろう両親に この本を捧げる

web再録にあたっての序文


2018年のGWに、生き恥の煮こごりのような本を出した。
あれから2年半が経ち、それを再びインターネットに放流することとなった。ものの見事に、恥の金太郎飴のような人生を送っている。本当に申し訳ない。「世間に顔向けできません」みたいなのって、こういうことを言うのだと思う。

正直なところ、あの内容を、「紙媒体の本」で出したことによる恩恵……というか、本の形だからこそ伝わってくるダメさのようなものが、あったかもしれないと思う。web再録により希釈されてしまう狂気のようなものが、恐らくある。

あと、これを読む方は、堪え難い恥ずかしさのようなもの、言うなれば「クラスメイトの創作ノートが目の前で読み上げられているのを聞いているときに生ずる共感性羞恥」みたいな、わーっと叫んでiPhoneを投げ捨てたくなるような衝動を、おぼえるかもしれない。あなたの感性は正常です。

この再録にあたっては、なるべく原文から変えないように載せようかな〜〜〜とか、随分舐めたことを、最初は思っていた。しかし改めて読み返したらあからさまに「「「無理」」」」と思う箇所がぼちぼちあった。そういう箇所については最低限手を入れている。何しろ徹夜してほぼ一晩で、頭が煮え煮えになりながら作った本なので申し訳ない。(※徹夜してなかったとしてもクオリティがこれよりマシになったかは定かでない。)要するに、ダメ人間のダメなところだけが濃縮され、還元されていない本なのである。


この本を出すまでの間には、それなりに色々なことがあった。

この本の表紙のデータを作り終わった頃、まだ入稿もままならない時期に、私はパソコンを壊した。
しをはらの学生時代を共に駆け抜けて8年が経過、当時すでに老境、人間でいうところの米寿に差し掛かっていた東芝dynabookは本当に息も絶え絶えだった。電源を入れただけでホカホカに底が発熱し、ものの20分もクリップスタジオを使おうものならオーバーヒートし、フュ〜〜ン……と物悲しい音を立てて勝手にシャットダウンしてしまう始末。

私はパソコンについて完璧なド素人だった。ヤマダ電機の店員さんを苦悩させるタイプの客である。しかしながら、拙い知識で「不調の原因は排熱ファンに蓄積した埃にある」と確信した。素人の早合点ほど恐ろしいものはないのだが、背に腹は変えられないと思った。親切な人が書いてくれた「ノートパソコンの底を外してファンに詰まったホコリを掃除する方法」というブログ片手に、私は細いドライバーを使ってパソコン底のネジを全て外した。そして、恐る恐る、いや、そんなに恐る恐るではなかったかもしれない、ともかく、プラスチック製の底蓋を取り外そうとし

『パキ』
「あっ」

dynabookは死んだ。私が殺した。あの『パキ』は、進撃の巨人でエレンのお母さんが喰われたときの効果音に匹敵する衝撃を私に与えた。事実、無理な力を受けたdynabookの基盤は、無残に割れていたと聞いた。即死であった。

このとき、私の手元に残っていたバックアップは、明らかにページの左右を作り間違えた表紙のpsdデータ(※統合済み)のみ。作業データは全て、天に昇ったdynabookの中。電気屋に持っていってデータ救出を依頼したとしても、とても表紙入稿の締め切りには間に合わない。

そして何が起きたかについては、あえて書かずに済ますが、お見込みの通りである。紙媒体の本を持っている方へ。これこそが「アレ」の真相です。お粗末様でした。ちなみにその後の本文原稿は全て、まだかろうじて生きていた更に先先代の、13年前に買った方のdynabook(OSはなんとWindows vista)で作った。

ちなみに、
「日夜、安全な商品開発に心血を注ぐ…」から始まる扉文についても、後日談がある。

よく、本を読んでいると、めくって最初のところに献辞(「この本を幼いステファンと妻エイミーに捧ぐ」みたいな短い文章)が、あるいは洒落た引用が添えられていることがあるが、あれと同じことがやってみたかった。
で、『おそらくこの本を一生読むことはないであろう両親にこの本を捧げる。』

「この本を一生読むことはないであろう両親に」

もうお気づきであろう。クソデカアホフラグである。

2018年5月5日の夜。この本を出して、東京ビッグサイトから帰還してわずか2日後のことである。私は、家族の共用PCの、あろうことかデスクトップに、入稿データのWordファイルを置きっぱなしにしていたのだった。

母「デスクトップに置いてあったやつ……全部読んじゃった」

フラグ回収の神様もビックリの秒速親バレであった。
捧げるな、謝れ という話である。

▼以下、母語録
「お前が腹にいた頃はあんなに食うもの気を遣って育てたのに、まさか二十歳過ぎてアイシャドウ食ってるなんて…」
「読んでる間ずっと(吐け!!吐くんだジョー!!!)って思いながら読んでたけど飲み込んでないよね?」
※残念ながら飲み込んでいます

また、この事件をきっかけに、母が今のような賞味期限無頓着マンになった理由を私は初めて知ることとなった。


「妊娠〜授乳中はアレルギーが出ないように、除去食しか食べずに、めちゃくちゃ神経質に育ててたんだよ でもこのままだと、食糧難に陥ったときに生き残れない虚弱な子になりそうで、なんでも食べれる子に育った方がいいかなって」

その育児方針が、このような形で実を結ぼうとは、誰も予想しなかったであろう。

そんな感じで、色々なことがあったわけだが、中には悲しいこともあった。
「後述の、~迷店は突然に~ 編」に載せた喫茶店は、無くなってしまった。風の噂で聞いた閉店理由は、「高齢のマスターの他界」。確かにご高齢だったが………。店の前を通るたびに「本日臨時休業」「諸事情によりしばらく休みます」と手書きの貼り紙が更新されて、最後には遂に「長い間ありがとうございました」というワープロ打ちの貼り紙が貼られた。あれを見たときの物悲しさは言葉にできない。
もう一度行きたかったお店。もう二度と行けなくなってしまった。行こうと思えばすぐにでもまた訪ねられたはずなのに。取り返しのつかないことは、世の中には沢山ある。素晴らしいものも美しいものもおいしいものもそうでないものも、ひとたび失われれば戻ってこない。後悔先に立たずとはこのことである。

尊敬するフードエッセイストの平野紗季子さんという方がいるが、その方の著作のまえがきにはこうある。

『会いたい人には会えるうちに、
食べたいものは食べたいときに、
さあどうぞ、おはやめに、 召し上がりください。
だって いつもは、
いつまでもじゃないんだから。』

ほんとうに。本当に、そのとおりだ。

今年に入り、新型感染症の流行に伴って、ほんとうに沢山のお店がその灯火を消している。持ちこたえているお店も、大変なご苦労を日々重ねていると思う。飲食店舗に限らず、どこも、かしこも。今日あるものが明日ある保証はどこにもない。

だから、当初の意図とは全く変わってしまうが、そういう意味でも、
迷ったら食べてほしい。食べたいものを食べたいお店で。
罰当たりな本を出した人間だが、このくらい書いてもバチは当たらないと思う。


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目次「迷ったら食べろと神は言った」

 …6

食べることを前提に作られていないものを食べた編  …11

賞味期限なんて飾りですよ
&見た目が悪くたって死にませんよ編
  …35

出会い頭に大事故~迷店は突然に~編  …49

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やっちまった。
というのが、とにかくまず最初の感想であった。忘れもしない、2017年の年明け早々、1月5日夜の出来事である。

その日のTwitterは盛り上がっていた。燃え上がっていたと言ったほうが近いかもしれない。とある方の「それなりの年齢になってプチプラコスメを使う人ってみっともないよね、デパコス(※百貨店の化粧品売り場に並ぶようなブランド系)買え、デパコスを」という趣旨の発言が火種となったのである。そして槍玉に挙げられたのは、プチプラコスメ界の牙城、キャンメイクであった。
当然、日々の相棒を貶されたプチプラコスメ愛好家たちは哮り狂い、己がメイクポーチを片手に挙兵、TLはたちまち火の海となった。
プチプラコスメとデパコスの間に、値段ほどの性能差はない、キャンメイクに謝れ、金持ちの横暴を許すな、不当なプチプラ差別を許すな。途中からもう何と戦っているのか分からなくなってくる辺り、非常にテンプレ的な炎上具合であったと言える。
燃え盛るTLをなすすべなく見守る人々の中に、私もいた。
私はプチプラコスメ愛好家でもなく、ましてやデパコス信者でもなかったので、現状に対して何ら語るべき言葉を持ち合わせていなかった。
しかし、そんな自分の脳裏に、閃くものがあった。
(化粧品としての性能は同じかもしれないけど、味は違うのでは)
味。味とは。
化粧品とは主に肌にのせるもので、舌にのせるものではない。分かっていたが、当時の自分にはそれが、とても画期的な発想に思えてならなかった。自分の身体でそれを試してみたい。5秒後、私は洗面所に向かい、キャンメイクのアイシャドウの表面を削っていた。
あのときの自分の行動力については、何かこう、人智を超えたものの力が働いていたような気もする。そしてそれ以上に、燃え盛るTLに対して一石を投じたい、水を差したい、化粧品を愛する者同士が争い合うこの悲しい戦いを終わらせたい、そんな思いもあった。
その結果が、冒頭の「やっちまった……」に繋がるのである。

(以下、過去のツイートから抜粋)
キャンメイクとAUBEのアイシャドウが家にあったので、「明確な違いとは…」と思ってとりあえず全色実食してみましたが、キャンメイクよりもAUBEの方がより輪郭のはっきりとした金属の味がしました。後味が結構残る。キャンメイクは無味。ライトで風のような、無味。


望み通りというか、なんと言うべきか、私の深夜の暴挙は、燃え盛っていたあの日のキャンメイク界隈に水を差す役割を果たしたらしい。放心状態の自分をよそに、通知は鳴り止むことがなかった。1.2万RT。フォロワーでない方からも安否を気遣われまくった。該当のツイートは「高い化粧品もプチプラコスメも含有成分は9割同じと聞いてなぜか食べ比べを始める人たち」という形でTogetterにまとめられ、ランキングを席巻したりしていたらしい。どうしてこんなことに。
(ちなみに、私はその前からファンデーションを食べたり入浴剤を舐めたり、自覚はなかったがしばしばそういった奇行に走っていた。しかしこのような事態はついぞ経験したことがなかった。流行りの話題というのは恐ろしい。)

と、そんな事故があり、「需要あるよ」というフォロワー各位からの後押しもあって、この「迷ったら食べろと神は言った」なる、大層血迷ったネタレポ本が出るはこびとなった。内容は、当時のツイートの再構成が主である。商標権などの問題があるため、一部写真の掲載は割愛させていただく。「需要あるよ」と言われていい気になるのも大概にしろよ、という感じはあるが、生来自分はこういう人間なので、勘弁してほしい。黒歴史の金太郎飴のような人生に、もう一層新たな黒歴史が塗り重ねられたとしても、もはや痛くも痒くもない。

これはどうでもいい情報だが、私は密かに、漫画家の岸辺露伴先生(「ジョジョの奇妙な冒険」-第4部 ダイヤモンドは砕けない-の登場人物、天才漫画家)の、「作品のリアリティを高めるためなら何でも試してみよう」という姿勢(『味もみておこう』と言っていきなり蜘蛛の内臓を食べたりする 詳しくは『漫画家のうちへ遊びに行こうその①』を参照されたい)をリスペクトしている。インターネット文字書きマンの端くれとして、この本が同じく創作活動をしている人々の一助となればこれ幸いである。腐った肉を食べた人間のリアクションや、アイシャドウの味についての記述が必要となった際などに是非役立ててほしい。役立つのか? それはさておき。

まえがきが思いがけず長くなってしまったが、ひとつだけ、ここから先を読む方にお伝えしたい、心からお願いしたいことがある。
書いてあることを真似しないでほしい。マジで。消費期限過ぎまくって傷んだものは捨ててほしいし、化粧品は食うなという話だ。紙で出した方には「自己責任」でとかなんかごちゃごちゃ書いていたが、基本的に論外である。この飽食の時代において、食い物じゃないものをあえて食うとかいう行為、まったく褒められたものではない。化粧品のパッケージに「肌に合わない場合はご使用をお控えください」と書いてあって「食べないでください」と書いていないのは、自明の事実だからである。これは食べ物ではないから。 1歳児なら分からないかもしれないが、3歳児ならおそらく理解できることである。
インターネットの海に放流する上での忖度とか言われるとアレだけれども、まあとにかくやめた方がいいと思う。特に、傷んだ生鮮食品を食べた場合、当たりどころが悪ければ死ぬ。人生を棒に振らないでほしい。

だらだらと書き連ねてしまったが、今まで私の奇行の数々を近くで観測してくれた皆様、本当にありがとう。この場を借りて、心から厚くお礼を申し上げる。

(次回は「食べることを前提に作られていないものを食べた編」を掲載します)

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