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[Column] 高校に行くならまず公立

無意識の前提

「高校はまず公立で」
この意識は、高校受験に対する香川県の風土的特徴である。どんなに偏差値が低かろうと、私立に進むよりも公立に合格することをよしとする考えは、ある世代以上の香川県民ならば、そのほぼすべてが無意識的に抱いているものである。

何を隠そう、筆者も生え抜きの讃岐人であるので、他県の情報に触れたり県外出身者に指摘されるまで、「高校受験とは、公立高校の合格を目指すもの」と無条件に思っていた。これは年齢層が上がれば上がるほど顕著な傾向だと思われる。

ここで仮に、推薦や奨学生のように、先方から非常に望まれて私立高校に進学した学生がいたとしよう。
その学生がとどこおりなく大学も終えて、いざ就職するというときに、当然のごとく履歴書に学歴を記入するわけだが、しかし、履歴書の文面からだけでは、高校に奨学生や特待生で入ったかどうかまで読み取ることはできない。 ゆえに、周囲の大人の中には「あァ、公立には受からなかったんですね。残念でしたね」という評価を下す人もいるのである。

香川県では都心部と比べて、私立高校の学力面での地位がまだまだ低く、どうしても、公立不合格者の受け皿という印象をもたれてしまっている。 私立に進む生徒には、たとえ推薦で選ばれて、向こうから来てくださいと拝んで頼まれて、断固たる決意をもって進学するのだとしても、こと香川県内にいる限りは、残念ながらそういった評価が付きまとうということからは避けられない。

[筆者注]
現に、われわれ塾講師が香川県でアルバイトを採用するときに注意して見るのは、大学名よりも高校名です。大学が偏差値40の私立でも、高校が偏差値55の公立高校なら、人物的な問題を感じない限り採用します。公立に合格できた時点で、一定水準の学力は保証されていると考えるのです。それに、大学受験は時の運もありますし、家庭の事情で県外に出ることがかなわないケースもありますから。


要するにカネか

それにしても、なぜこれほどまで公立志向が強いのか。
理由はさまざまあろうが、最大の要因は「お金」である。

よく言われる讃岐人の県民的特徴として、金銭感覚が非常にシビアなところがある。

いつだったか、世界で初めて重力波が観測されるというノーベル賞級の出来事があった時でも、地元紙の『四国新聞』はかけうどんの平均価格が値上がりしているという記事を一面トップに掲載している、と某テレビ番組でネタにされたことがある。統計を取ると貯蓄率が全国でも上位に入ることからも、金銭に対する容赦のなさがうかがえる。

もちろん、たとえ公立高校にめでたく進学するにしても、制服・シューズ・教科書等々まとまった金額が必要になるし、塾や予備校に通おうものなら、トータルで私立高校と大差ないのかもしれない。それでも、自転車や電車で通える範囲に公立高校があるのに、わざわざ私立に通う必要はない、と考えるのである。ただここまでくると、公立高校優位のこの状況は、もはや印象とか思いこみの問題のような気もする。

そういった現状は私立高校側ももちろん承知しており、進学実績をつくろうと、近年の特進クラスでは非常に手厚い指導が行われるようになっている。また、2020年から「就学支援金制度」が拡充され、親の所得による制限はあるものの、授業料に関しては実質の無償となった。それらを踏まえ、大学進学までを考慮するなら、これまでのように盲目的に公立高校を目指すことに、はたしてどれほどの意味があるのか、という議論にまで発展する。

[筆者注]
ちなみに、この「支援金制度」が適用されたうえで、公立と私立の費用的な差はどれくらいあるのかというと、「私立は公立のざっと2倍」だそうです。

「みんながそうしているから」と、安易に決めてよいことではない。これから先の将来を見据えて、親子のあいだでじっくりとコミュニケーションをとる必要があると思うのである。

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