17歳の頃の私には、ともだちがいなかった。

 増量を始めてはや3か月。あっという間に夏がきそうです。馴染みのトレーナーさんからは、「よし!あと体脂肪率+2%を上限にもう少し増量しましょうか!」と言われ震え上がってる私です(減量はどないするねん問題)。こんな夜中ですが、こんばんは。深夜のテンションで書いているのでちょっぴりポエミーで、長めです。要約すると過去の腐って傷ついた自分を30歳になった自分が思わぬ形で救うという内容。クソ暇なときにラジオのタイムフリーでもしながら読んでください。

 突然ですが、私は4月半ばに雇用先とのミスマッチによる退職勧奨を理由に仕事を辞めました。これについては今度詳しく書きますが、そのおかげでずっと漠然と考えていた「起業したい、社長になりたい」をいよいよちゃんと実現しようと思うことができ、事業計画書を作り、損益計画書を作り、事業に必要な事務所を借りるために不動産屋めぐりをしたり。無職のくせに忙しい2か月間でした。
 
 事業計画書を作るというのは、自分の頭にあることを言葉にする作業です。しかも人に伝わるわかりやすい言葉で。「私はなぜ起業したいんだっけ?」「何がやりたいんだろ」をひたすら自分に問い、言葉にして、アイデアを捻り出す、そんな作業を辞めてからの1か月半毎日繰り返しました。出ないときは全く出ない、まさに便秘の時のうんこみたいなもんだと思います。便秘じゃないから知らんけど。そんな中でふと、「高校生の時から私は社長になりたいと思っていた」ということを思い出しました。

 私は教育学部を出ていますが(浪人した時にセンター試験でめっちゃ点数取れて2次試験の勉強したくなくてA判定のところにしたってだけ)、大学の講義の中で初めて「私って高校生の時、不登校の定義にあてはまっていたんだ」と知るくらいには学校に行ってませんでした。ただ、一般的にイメージされるような保健室登校みたいな不登校とはちょっと違って、遅刻したり、行けたのに帰ったりを繰り返す。そして不思議なことに高2の同じクラスに私と同じムーブをしている人が他に2人いたのでそれほど目立ちませんでした(本人はそう思ってるけどたぶん目立ってただろうな)。

 高1の途中から高2を終えるまでの約1年半以上の間、学校が嫌いで、「なんでみんな普通に学校に行けるんだろう」「なんで平気なんだろう」と本気で思っていました。早退しては1人家でボロ泣きするなんて日も多々。別に仲間はずれにされたとかいじめられたとかでは全くなくて、大勢の中にいるのに毎日孤独でどうしようもなくひとりぼっちで寂しいと感じていました。今思うと私に優しくしてくれていた人たちはたくさんいたんだけど、それに気づいて応えられるほど自分は大人ではなかったし、とにかく辛いが先立っていました。当時私のことを大切にしてくれたみなさん、ほんとうにごめんなさい。
 
 そんな中で私が心の拠り所にしていたのがロックやパンクなどの音楽(初めて行ったライブハウスは10ーFEETのライブ)。死ぬほど嫌な思いをしながら学校に行く朝の時間にも、辛くて辛くてもう無理で早退する時も、いつでも音楽を聴いていました。「自分と同じように居場所がない人や、みんなと同じように生きられない人が集まることができて、好きな音楽を聴けるお店を作りたい」と思うようになったのが私の「社長になりたい」のはじまり。我ながらびっくりするほどかわいい。好きになっちゃう。抱きしめてあげたい。
 
 私は高校を卒業してからも心の片隅に「自分の会社が欲しい」という思いがずっとあって、実は普通に就職してからも消えることは一度もありませんでした。そして不思議と「こうするともっと便利になるのに」とか「こんなのがあれば生活しやすくなるのに」というちょっとの工夫程度のアイデアがわりと浮かぶことの多い人生でした(今も)。だからこそ自然と、忙しい人であっても毎日の生活を豊かに、生きやすくできるようなビジネスをしたいと思うようになりました。高校生の時のかわいい夢が、アラサーを迎えた自分の考えるビジネスにどう結びつくのか、ずっとわからなかったけど、今日日記を書くなかで初めて分かったので、ジム行ったあとで腹減ってるけど夜ふかししながらnoteにも記録しています。なにせ自分にとって歴史的な日だから。

 自分と同じように生きづらいと思っている人に優しくすることで、辛い思いをした過去の自分を救いたいということ。誰かの生活を少しだけお手伝いすることで、その人が自分をいたわったり、安らぐことのできる時間を作ってほしいということ。今の自分が、他の誰かに優しくすることで、過去の自分の傷を癒したいということ。これに尽きる。そしてあわよくば、10代にしんどい思いをした「人と違う」ということ、そんな「人と違う」自分が、自分だけの新しいアイデアで独立することで、同じようなしんどさを抱える人のちょっとした安心材料になりたいのです。

 ああ、こんなクソ長いポエミーな記事を書いていたらもう2時です。バカみたい。もうすぐ引っ越しだから明日もやることがたくさんなんだけどな。30歳になったときのことなんて17歳の自分は想像できなかったし、相変わらず周りのみんなが着々としている結婚や出産もしていない。ましてや彼氏もいない。だけど、今も形を変えて当時の夢は持ち続けているし、何より当時私が大切にしていた音楽を今も聴いて自分らしく過ごしている。ただの点だった気持ちが繋がったのも、高校生の時によく聴いていた曲を今日10年ぶりくらいに聴いたからです。新しい事務所の契約のために不動産屋さんに行く途中車で聴いたGalileo  Galileiの『ハローグッバイ』。あの時の気持ちを思い出させてくれてありがとう。そしてこれを聴いていた当時の自分も今日少しだけ救われたと思える、30歳の夜でした。

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