見出し画像

賞レースの細分化

 先日のnoteで「驚いた」と書いた、第5回カクヨムWeb小説コンテストについての話。

 文学賞の応募要項は、たいていざっくりした規定しかありませんが、エンタメ志向の賞であればあるほど、これからはもっと細分化されていくのではないかと考えています。

 なぜなら、本が売れなくなったから。

 昨年あたりから出版業界でよく聞かれるようになったマーケティング用語に「プロダクトアウト」と「マーケットイン」があります。

 詳しくはこちら。

 ざっくりいえば、版元が面白いと考えるものを作って売るのではなく、市場のニーズに応じて版元がモノを作って売るように方向転換していきましょうよ、ということです。

 一見すると、読者の満足度が見込めて返品率も下がって、いいことばかりのように思われます。売り上げの予測を立てやすいでしょうし、年間の出版計画の策定も容易になるでしょう。

 しかし、マーケットインにもデメリットはあります。小説に限って考えてみましょう。

 まず、思わぬ大ヒットが生まれにくいということ。高いアベレージを保つことはできても、なぜそんな本が? と最初は訝るくらい画期的で革新的、挑戦的な作品は生まれにくくなるはずです。版元が作品の力を信じたところで、市場が入荷してくれなければ満足に展開できず、日の目を見ることもできません。
 当然、新人がデビューできる椅子も減ってしまうでしょう。

 次に、各版元でますますヒット作品の後追い、雨後の筍の拡大再生産が加速するでしょう。多様化が損なわれ、画一的になってしまいかねません。
 エンターテインメントの本質は拡大再生産であるというのがもともとの持論なので、それはそれでいいのですが、

 画一化が進んでしまうと、次に版元が争うのは価格競争の部分になります。市場がコモディティー化し、薄利多売で利益を確保しづらくなるかもしれません。また、部数を積んで冒険することができなくなるかもしれず、そうすると、部数と単価に応じた印税を受け取る小説家の収入低下にも直結してきます。

 そもそも出版の再販売価格維持制度とは、全国的に同一の価格で出版の多様性を維持し、地方や僻地であっても国民のもとに平等に本を行き渡らせるために認められている例外的な制度です。自由競争を認めてしまうと、遠隔地では比較的需要の少ない、けれど文化的に意義深い本、たとえば学術的な専門書などは、単価を上げることでしか対応できなくなってしまいます。それでは地方ごとに文化レベルの格差が生まれてしまうことになります。

 文学賞の応募要項が細かく規定されることは、市場のニーズに応じた作品を発掘できる可能性が高まる反面、長い目で見ると、大ベストセラーの芽を潰し、新人のデビューの場を減らし、ひいては小説家の収入の期待値を引き下げてしまうかもしれません。見込める収入が低くなれば、小説家になりたいと思う人は当然ながら減り、作品の水準が相対的に下がる可能性すらあります。
 かつて、サッカー日本代表の監督を務めたトルシエさんが、プロ野球の練習を視察して「日本のフィジカルエリートは野球に集まっているのか」と発言したという話を聞いたことがあります。なぜなら、野球は稼げるから。稼げるところに人が集まるのは道理です(近年は、野球人口の減少が指摘されていますが)。
 同様にエンターテインメントの分野においても、小説家では食えないとなったら、本当に面白い人はYouTuberやら芸人やらなにやら、別の稼げるジャンルに移行するおそれがあります。デビューを目指す人が、そのおかげでライバルが減って嬉しいと考えるのは早計です。人材難は、ジャンルとしての衰退を意味します。ジャンルが衰退すれば、ますますデビューの門戸も狭まるでしょう。

 小説家デビューを目指す人は、とにかく書店で貪欲に本を買って、読んでください。本を買うことは自己投資です。小説を読むことが、そのまま小説の勉強になります。もし市場を活性化できなければ、デビューのための門戸が狭くなり、デビューできたとしても収入の期待値が下がり、長い目で見れば自分の首を絞めることになるでしょう。

 数千、数万部のうちたかだか一冊なんて、自分が買っても買わなくても大勢に影響はない、自分の書く小説が一番なんだから他人の小説なんて読む必要はない、自分が買わなくても誰かが買うだろうという甘い考えで小説家を目指している人は、まあいないとは思いますが、もしいたとしたら、悔い改めてください。

サポートは本当に励みになります。ありがとうございます。 noteでの感想執筆活動に役立てたいと思います。