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「あれもこれも」の功罪
文章を推敲するとき、意識してチェックしておきたいのが、助詞の「も」が濫用されていないかという点である。
たとえば、自作noteから以下のような悪文の例を挙げてみよう(このnoteの主旨にあわせ、一部改変した)。
少年野球時代にも、ものの本にも、踏み出し脚は大きく踏み出して膝も直角にし(しかも膝が爪先よりも前に出てしまわない角度を保って)、軸脚の膝が地面につきそうなくらい身体を沈めて投げろと教えられてきた。しかし、それでは踏み出し脚に地面から伝わるエネルギーが十全には伝わっていなかったのではないか(少なくとも、私の未熟な体幹では)。そういえば、アンダースローで名を馳せた渡辺俊介投手も、その著書で、踏み出し脚でしっかり止まること、そこから力を得ることを要点のひとつに挙げていた。あるいは外国人でよく「手投げ」と(半ば否定的なニュアンスで)いわれるような投手たちも、多くが踏み出し脚に力感のあるフォームになっている。
そう考えて、私も試しに踏み出し脚をあまり曲げずに、リリースの瞬間に突っ張って地面からの反発力を意識して投げてみたところ、球速もコントロールもだいぶ安定するようになった。リリースの瞬間に軸脚で蹴るという感覚とも矛盾しない。リリース後に一塁側に流れてしまう癖が改善されたのも思わぬ副産物だった。
もちろん、そのためには従来以上に腹筋を使うし、体幹トレーニングの必要も痛感させられる。私はクロスステップ気味なので、なおさらだ。
体格や骨格によっても人それぞれ最適解は異なるはずで、これと決まった正解がないからこそ難しい。トレンドも日々進化し、変わっていくはずだ。しかし、素人なりにあれこれ考えて身体を動かしてみることも単純に楽しいものである。
いかがだろうか。読みづらくはないだろうか。
助詞の「も」には、以下のような意味・用法がある。
[係助]種々の語に付く。
1 ある事柄を挙げ、同様の事柄が他にある意を表す。…もまた。「国語も好きだ」「ぼくも知らない」
2 同類の事柄を並列・列挙する意を表す。「木も草も枯れる」「右も左もわからない」
3 全面的であることを表す。
㋐不定称の指示語に付き、全面的否定、または全面的肯定を表す。「疑わしいことは何もない」「どこもいっぱいだ」「だれもが知っている」
㋑動詞の連用形や動作性名詞に付き、打消しの語と呼応して、強い否定の意を表す。「思いもよらぬ話」「返事もしない」
4 おおよその程度を表す。…ぐらい。…ほど。「一週間もあればできる」「今なら一万円もしようかね」
5 驚き・感動の意を表す。「この本、三千円もするんだって」
6 ある事柄を示し、その中のある一部分に限定する意を表す。…といっても。…のうちの。「中世も鎌倉のころ」「東京も西のはずれ」→もこそ →もぞ →もや
デジタル大辞泉(小学館)
早い話が、複数の事柄を挙げて、その一部または全部を「強調」したい場合に用いられる助詞といえそうだ。
副詞の「しかも」は、副詞「しか」+係助詞「も」から来ているので、やはり同類といえる。
格助詞「と」+係助詞「も」から成る「とも」も、「と」を強める言い方として用いられるだろう。「このままですむとも思えない」といった具合だ。
格助詞「より」+係助詞「も」ならば「より」を強めた言い方となる。例えば「それよりもこっちのほうがいい」といった具合に。
(以上、用法は『デジタル大辞泉』参照)
なお、例文のうち「トレンドも日々進化し、変わっていくはずだ」の構造は少し特殊で、その状況で起きているさまざまな事柄の一例として、ある事柄を表わす場合に用いられる。
助詞の「も」には、多分に相対的な面がある。「あれ」を引き合いに出すことで「これ」について「あれもこれも」と強調するわけだ。
書き手心理を推察してみると、これは非常に使い勝手がいい。ある事柄を強調したい場合に、相対化することで手軽に(ともすると安易に)読者の目に訴えかけることができるのだ。
しかし、何事も「やり過ぎ」はよくないものだ。
「あれもこれも右も左も上も下も天も地も、草木も野山も大海原も活火山も」なんて欲張り過ぎていると、読者の鼻についてしまう。「あれもこれも」と欲張った結果、結局どこがいちばん強調したい部分だったのかも判別できなくなってしまうのである。
文章を推敲する際には、安易な「も」が潜り込んでいないか、ぜひ注意してみてほしい。
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