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時刻表の旅。1967年10月愛知県の大高駅から北海道留萌までの旅。

皆さんは時刻表の旅ってご存じですか。自分の最寄りの駅から目的地まで、時刻表の中で旅をします。ここからあそこまでは特急にのって、あの駅で乗り換えて、今度はあそこまでこの電車で行く。実際やってみますね。
見方:乗車駅名(出発時間)電車名(到着時間)到着駅

愛知県大高駅から北海道留萌駅まで。1967年10月時刻表で旅をします。

大高(15:10)537M (15:30)名古屋:新幹線まで30分以上待ち時間がありますが、次の東海道線は16:05名古屋着。

名古屋(16:08)ひかり30号(18:10)東京。当時のひかり号は名古屋ー東京間を2時間かかっていたんですね。もちろんのぞみはありません。

東京ー上野間の山手線は、この時間帯3-6分毎とのことです。今と同じですね。

上野(19:00)特急はくつる(6:30)青森:上野への入線時刻は18:34、6番線です。当時は12両編成+荷物車。使用車両は20系、EF58だったようです。食堂車がついていました。今は珍しいですよね。もちろん夕食は食堂車でいただきます。あるいは、当時上野駅構内にあの「いろり庵」があれば、日本酒とおそばを食べて乗車します。その場合は、もっと早い新幹線に乗らないとゆっくりできないですね。

青森(7:05)青函連絡船(10:55)函館:時刻表によると列車から連絡船への乗り継ぎは15分から20分要すると書いてあります。朝ごはんは、青森で粒ウニ弁当(200円)を買いたいと思います。朝から贅沢です。
着いたら北海道です。

函館(11:25)急行宗谷(18:06)深川:お昼ご飯は、函館でほたてめし弁当(150円)を購入予定。いかめしで有名な森駅は通過です。約6時間半はさすがに長いですね、お尻痛そう。

深川(18:12)729D(19:24)留萌:無事到着です。大高から28時間以上かかりました。

ちなみに、2022年2月の時刻表で同区間を旅すると以下です。
大高を8:29に出発して、留萌には同日の21:11に到着。12時間42分です。半分以下の時間ですね。

寝台特急や青函連絡船はもうありませんが、もし当時に戻れるなら、ぜひ今回の旅を実際にやってみたいものです。

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