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読後感想 古川日出男/『アラビアの夜の種族』

 こちらは読書感想じゃなくて読後感想です。なにそれ?って話ですが、いまひり出した言葉なので自分にもよくわかってないです。ただ、本を読んだ感想ではなく、自分が得た読後感の感想、その推移を書きたいと思いました。でもタグには読書感想を使わせていただきます、すいません。

『アラビアの夜の種族』とは

 あの『ベルカ、吠えないのか?』という唯一無二の小説を書いた古川日出男……彼が著者不明の『アラビアン・ナイトブリード』という、世間から半ば忘れられた物語を翻訳したものという、一風もニ風も変わった本です。第55回日本推理作家協会賞と第23回日本SF大賞を受賞。本書を手に取るまで自分が読んだのは『ベルカ、吠えないのか?』だけだったのですが、このベルカ、読んだときには衝撃を受けてしまって、もうおもしろいとかおもしろくないとかではなく(いや、マジでハチャメチャにおもしろいんですが)、ある種の爆弾でした。本人が「爆弾を作りたかった」と書いているので間違いないです。ただ、だからこそ「うお~他の古川日出男もバリバリ読むぜ~」とはならなかった。爆弾ですもん。読んでしまったら、読む前の自分が死ぬというか、読んだ自分と読む前の自分が別人になるというか、まあとにかくぶっ飛ばされるんですよね。そんなわけで、まあおいおい……とかなんとか言って、機会を待っていました。そして数年が経ち、自分がようやく次に手を取ったのがこの『アラビアの夜の種族』です。

なぜ読もうと思ったか

 読後感の話をするって言ったのにまず読む前の話をしてすいません。順番なので許してください。
 さて、小説になにを求めるかは人それぞれだと思います。好きなジャンル、作家、時代、文体、それこそ 自分の周りにも、主人公に共感できないと言って読むのを辞める人や、一人称はキャラクターに縛られているみたいで嫌だ、という方がいます。
 自分はといえば、海外小説が好きです。あとは歴史もの、最近だとSFも読みますね。逆に、現代の、しかも日本が舞台のものはあまり読みません。これはどういうことか自分でも深く考えたことがなかったんですが、ノンフィクション作家と日本中世史の専門家が対談するという『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読んで、彼らが互いの共通点を見出すところでハッとしました。「ここではないどこか」……お二人はそれを求めているということなんですが、厚かましくも自分もここに加わりました。自分の嗜好をたった一言で表現させてくれる瞬間というのは特別なものです。古田織部も「そうか、俺はへうげものだったのだ」と悟ったときはこんな心境だったでしょうか。(山田芳裕:『へうげもの』)。
 すいません長くなりましたが、本作一巻のあらすじやら読んでみるとここはアラビア、しかも時代設定が聖遷暦一二一三年と、もうこれだけで「ここではないどこか」感が強いじゃないですか。具体的にはナポレオンがエジプトに侵攻した時代ですね。おお、イスラム世界はまるで疎いが、ナポレオンは大好物だぞ。こんなわけで、「ここではないどこか」に旅したくて、ページをめくった次第です。
 これが大変な旅になるとは知らずに……。

ページをめくってみて

 まず最初に前書きから始まります。ここで初めて翻訳したという事情を知りました。変な話ですが、自分はここでどこかホッとしたんですよね。何度も言いますが、古川日出男は小説の形をした爆弾を作る人なので、読む側にも相応の覚悟がいるわけです。ああ、翻訳ということは、こいつは生の古川日出男を絞り出した危険物ではないわけだ。それならまあ安心……ということです。
しかも、生の古川日出男ではなく翻訳だって?! 自分が理由つけて逃げ回っていた爆弾の、しかも原液ではないとくれば、これはとっつきやすいぞ!となったわけです。

あらすじ

 ナポレオンが攻めてくるぞ! 近代兵器で武装した軍隊の恐ろしさを知る太守イスマーイール・ベイは対抗策を側近たるアイユーブに求める。アイユーブは”災厄の書”をフランス語に翻訳したうえでナポレオンに献上するという方策を打ち出します。んで、その災厄の書ってなんだよって話なんですが、言ってしまえばこの本以外のことはどうでもよくなるくらいにおもしろい本ってわけです。夜にページを開いたばかりに気がつけば深夜の三時や四時……みたいな経験がある人は少なくないでしょう。それのシャレにならん版です。
 ナポレオンの名前が出てくるので歴史ものだと思われるかもしれませんが、それは違います。まずこの災厄の書の話でわかる通り、主題はこの災厄の書の中身です。そしてその中身を語るのが語り部にして美しき夜の種族(ナイト・ブリード)のズームルッド。彼女の口から災厄の書の中身が語られ、それと並行して”現代”のカイロが描写されます。
 つまり物語の入れ子構造となっているわけです。
 そして、察しの良い方はこの時点で気づいているとは思いますが……そうです、我々読者は読むものを堕落させるほど魅力のあるという災厄の書を味わうのです。これに気がついたとき、自分は「おいおいそんなにハードル上げちゃって大丈夫か~?」などと思いましたが……。

読んでる最中

 自分はこの災厄の書として語られる物語と、西暦1798年(聖遷暦1213年)カイロの世界を行き来しているうちに、現実への感覚を失くす感覚をしばしば味わいました。現実と物語のあいだにある壁は一枚ですが、現実と物語の、そのさらに奥に物語があるのです。より深く、そして自然に幻想的な世界へと足を踏み入れることになりました。その世界を楽しんでいるうちに、早々と、そして自然と、この本を読むのは夜だけ、という自分ルールが確立されました。この本を開くとそこがアラビア、となったわけです。大げさな表現ですが嘘ではありません。
 いやまあ、それなりに長いのもあってぶっちゃけアラビア世界での旅行疲れみたいな状態になってしまい、合間に小説ではない本を挟んで”帰国”なんかしちゃったり、なんてこともあったんですが。「ここではないどこか」を体験したくて小説を読んでるんだよね、とか言ってる資格ないですねこれ。しかし、”帰国”しているあいだも本書のことを忘れたことはありませんでした、むしろ絶対コンディション整えて早くそっちに行きたい!なんて状態。いやー、本読んでるだけなのにこんな感じになるってそうそう体験できることじゃない。これだから古川日出男は……翻訳とはいえ油断ならないんですよ。
 まずなんといってもその文体がとてもユーモラスで、それだけでしたら原書『アラビアン・ナイトブリード』の功績でしょうが、それを古川日出男があらゆる語彙を駆使してダイナミックに訳しているんですよ。いや原文読んでねえのになんでそんなことわかるるんだよって話なんですが、こればっかりは読んでみたらわかります。正直それが肌に合わない人もいるかもしれませんが、本書は異国の異時代ですので、違いを楽しむくらいの姿勢で臨めたらと思います。一度この世界に入り込むことができたなら、あとはページをめくるだけ。
 そして本書のメインとなる災厄の書の中身なんですが……こればかりは読んでみてのお楽しみといきましょう。ジャンルだけを紹介するならアラビアン・ファンタジーです。
 ああそれと、これから本書を読むという賢明な方への注意というかアドバイスなのですが、先ほども申した通り少しばかり複雑な構造があるストーリーなので、なるべくインターネットでのレビューなどを参照しないでください。

ネタバレ注意……ではなく

 さて、ここから本題。ネタバレどころじゃありません。だって読んだあとの話するんですもん。んで、ネタバレ気にしないからいいよ~って方もいらっしゃいますが(実は自分も割とそっち側の人間。そもそも”知る”と”体験する”の差は大きすぎませんか)、今回はお願いですから『アラビアの夜の種族』を読んでからこの駄文を拝読してください。そちらがよくてもこちらがよくない。未読の方は読後にてお待ちしております。
 というわけで、ここからはすでにお読みの方のみのご案内となります。
























読んでますね? 本当ですね? 信じますからね?

























古川日出男ォォォォオオオオオオオオオオオオ!!!!!! やりやがったなあああああああああああああっっっ!!!!!!!!!!

 まずすいません、最初に謝ります。上に書いた、「ここで初めて翻訳したという事情を知りました。変な話ですが、自分はここでどこかホッとしたんですよね」というのは嘘です。嘘ついた理由は後に書くとして(といっても察してもらってると思いますが)、自分は最初から「ほんとぉ~~?」ってバリバリ疑ってました。古川日出男ならそれくらいやりかねんという信頼があったんですよね。この人、爆弾作るので。
 しかしですね、作中になんども登場する訳注あとがき文庫版あとがきに至るまで、いかに「この著者不明の本に出会ってそれがまだ日本では邦訳どころかまともに紹介もされておらず、なので自分が……」みたいなストーリーをこれでもかこれでもかと丹念に提示してくるものですから、ああ騙された、まんまと騙されたよ。最高!! 爆弾炸裂!!!!

古川日出男のかけた”魔法”

 すでにお読みの方の多くは、ネタバレ前の上の文章を読んで、あれ?となったはずです。
 これは、自分のように読む前から本書が翻訳という体裁で書かれた古川日出男のオリジナル小説だと知ってほしくなかったからですね。なので自分も嘘ついて翻訳された作品だというポーズで紹介させていただきました。
 騙された、と書きましたが、実態としては魔法にかけられたという表現が、この本を読んだ後だとなおさらしっくりくるでしょう。そもそもこの作品自体がエジプトと災厄の書の入れ子構造だったわけですが、そこに翻訳された古い物語、という読者だけに提示されたストーリーまであったわけです。加えて一番深くにある物語には三人も主人公がいて、ナポレオン迫るエジプトの動乱までをも組み込んどいて、ここまでやって全体としてまったく破綻してない、それどころか確固とした物語の魅力を作り上げている構想力……もうお手上げです。
 このどんどん物語の深みを読み進めるうちに、「夜が朝(あした)に代わり、朝(あした)が夜に代わる」ように、いつの間にか、自然と、気がつけば魔法にかけられていました……いや違うな、後になって魔法にかけられたことに気づきました。これが冒頭に書いた読後感の変遷というやつです。
 ああ、おもしろかった。不思議で最高の読書体験だった……
 からの
 うわーーーーーマジか!!!!!
 です。いや、皆さんのレビューを見てみると、そういう体裁で書かれたとはじめから紹介しているやつや、あるいは未読の読者に配慮して翻訳という部分には触れなかったりしているやつがほとんどで、後になって知って衝撃を受けた、という方があまりいなかったんですよね。なのでちょっと書いてみました。
 さて、どうして古川日出男がこんな仕掛けを打ったのかというと、読んだ人はみなさん察しているとは思いますが、やはり物語の深くへ読者を誘いたかったものかと思います。その試みは恐ろしいほど成功したと言えるでしょう。日本人が書いたアラビア世界の小説、なんて野暮な事実はどこかへ消え去り、謎めいた書物の奥底へひたすら没入させるのです。読後直後、すべてを失い、しかしなお幸せそうに呆けてしまったイスマーイール・ベイに自分を重ねた読者は自分だけではないはずです。 
 おもしろい小説なら何度か出会ってきました。おもしろすぎて集中できずに部屋中を動き回ったり、夜なかなか眠れずに諦めて徹夜で読んだ本などもありました。しかし、魔法をかけてくる本は今作だけです。おそらくですが、インターネットがなければずっと翻訳本だと思い続けて——魔法にかけられたままで——いたんじゃないですかね。あるいはその方が良いのかもしれませんが、かけられた魔法を自覚して古川日出男の手際に唸るのもまた良い体験かと思います。
 最後に、ここまで読んでくださった皆さまにご質問があるのですが、自分が読む三作目の古川日出男はどれがいいでしょうかね……? もう諦めてこの人の爆弾にふっとばされることにします。だって絶対おもしろいんですもん……。

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