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「好きなもの」を焼くから「すき焼き」だと思っていた幼き日

今日は実家で母とすき焼きを食べました。

関東風

タイトルにもある通り、
『好きなものを焼くからすき焼き』
小さい頃の私はそう信じ切っていました。
確か、家族の誰かからそう教わったんですよね。

くたくたになったネギのぬくもりや、
豆腐の慎ましい奥行き、
春菊の人生にも似た味わい、、いや人生を煮たような味わい

幼少期こそそれらの良さが理解できず、
「全体的に見ると、言うほど『好きなもの』だろうか?」
なんて、
決して安くはないだろう肉を頬張りながら生意気なことを考えるかわいくない子供でしたが、
いろいろな苦しみを経て、先に書いたような様々な具材を楽しみ、愛でられるようになりました。

好きなものを焼くから、すき焼き。
大人になるって、そういうことなんでしょうか。

ただし、椎茸はいまだに見るのも苦手です。
前世の私は椎茸と戦争でもしていたのかな。
椎茸大戦争です。それはそれは凄惨な……
と、ここで不用意に椎茸に対して毒を吐くと椎茸を育ててくださる方とか、椎茸を愛してやまない方の気分を害してしまう恐れがあるので自重します。椎茸にも毒はありませんしね。

さて、すき焼きと言えば家庭によって様々なバリエーションがありそうですが、我が家ではソーセージを入れます。
家の外のすき焼きを知らなかった頃は当たり前のように食べていましたが、
外ですき焼きを何度か食べるようになってから、あぁこれは我が家のアレンジなのだな、と気づいたりして。

そういう「家族だけの常識」って、そこから離れてみてはじめて気づけることが多いですよね。
他にもまだ気づいていない「家族だけの常識」がたくさんあったりして。
でも、それに気づくってことは家族から離れることも意味してるので、一応知っておきたいと思う反面、あんまり知りたくもないかなって思う気持ちもあったり。

そう言えば昔読んだ映画の雑誌で、すき焼きに白菜を入れる、と言うのを見かけたことがあります。
確か「白菜から十二分に甘みを引き出すのが大事。だから砂糖は入れない」みたいな台詞が続いたような気がします。
砂糖がいらなくなるほどの甘みが白菜から出るんですかね?
どうなんでしょう。

あと、すき焼きと言えば、欠かせないのは卵でしょう。
椎茸には及びませんが、私は生の白身が少しだけ苦手でして、昔からずっと卵は使わずにすき焼きを食べてきました。

ちなみに生卵に対する抵抗と言うのは特に海外では強いらしく、かのロッキーがジョッキで生卵を飲むシーンなんか、日本人が受け取る以上の衝撃を海外の観客は感じる、みたいな話を聞いたことがあります。なんでもそのシーンで悲鳴や嗚咽が上がったのだとか。

ただ、世にも奇妙な物語の「理想のスキヤキ」で、伊藤淳史さんから
「卵を使わないなんて、すき焼き自体を根本から否定している!」
「卵を付けるところをはしょったすき焼きはもはやすき焼きではない……
 ただの……牛の甘辛鍋だ!!」
と強烈にディスられたのもあり、
また弟の「丁寧に混ぜ続ければ白身と黄身が一体化して気にならなくなる」と言う助言を聞いて、
私はすき焼きに卵をつけるようになりました。

この物語の伊藤淳史さんだったら、すき焼きのシーンで悲鳴を上げる観客を鋭い眼差しで睨みながら説教するでしょうね。ちなみに卵かけご飯というのがありますが、白身が嫌いな私は生卵をご飯にかけることはせず、基本的にフライパンで半熟風の目玉焼きにしてからご飯にのせて、醤油と共に黄身を割る、と言う食べ方をします。もはや卵かけご飯ではなく目玉焼き丼です。

ただ、あの割り下の甘辛い味と、
ほどける肉の脂身と、
それらを受け止めた上で加速の相乗効果をもたらす白米のハーモニーこそが至高だろうと開き直り、
再び卵をつけない大人になりました。

私の「好き」は、あの割り下の味にその本体があるようです。
たとえ邪道と言われようとも自分の好きを貫くこと
大人になるって、そういうことなんでしょうか。

今日も美味しかったです。

ちなみに、すき焼きの「好き」は農耕具の「鋤」から来ているようです。
グーグル先生によると、

江戸時代中期、関西には元々農具の鋤(すき)を鉄板代わりにして貝や魚を焼く「魚すき」「沖すき」と呼ばれる料理が存在していた。 その鋤で牛肉を焼いたものを「鋤焼(すきやき)」と呼ぶようになったのが語源とされる。

だそうです。まぁ、そんなところだと思ってました。
ただ、いつか私に子供ができたなら、そして家族そろってすき焼きを囲む日が訪れたなら、
私はそれでも
「好きなものを焼くからすき焼きなんだよ」
と子供に教えるつもりです。

だって好きなんだもん、そっちのほうが。

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