深夜のこと

一時期夢の中が一番の安寧の場所になっていた時期があった。
夢の中は現実での理屈が通用しないし、悪夢だろうがいい夢だろうがそこはいつも独立していたので、その独立した場所に心の拠り所を見い出していた。
「明日はどんな日になるかな」と10代の頃の日記に書いていたのを見つけた。
今日はどんな夢を見れるかな、と毎日考えている。
そんな日々があった。

もっともっと昔のこと、夜寝ようとベッドに左半身を下にして横たわっていると、心臓の音がどくどくとするので、どうしたって生きているんだと感じていた。
生物であって、この四肢とこの脳みそを持ってこの形を成しているがために人間であって、どうしたって生きているんだと感じていた。
あれは高校生の頃だ。
今は皮下脂肪が増えたからか、心臓の音は少し薄い。

眠れず天井をぼうっと見ていて、暗闇に目が慣れてきても、私は目が相当に悪いので物の気配を感じ取れるのみ、窓から差す車のヘッドライトを観察するのみであるが、怠惰で眼鏡をかけたまま天井をぼうっと見ていると、いろんな稜線が見えてしまい辟易する。
寝るぞという意識の時に、物の輪郭がはっきりと見えることがこんなにも鬱陶しいことだとは、と絶望する。
当然眠たくなんかならない。
いくらそこで眼鏡を外しても、絶望した後に眠たくなんかならないのでもう眼鏡は外さない。
そうすると余計見える、壁から天井へのでっぱりや電気の形、扉の色、足元の本棚の輪郭、並んでいる漫画の背表紙のその丸みまで見えてくる。
何のための暗闇なんだ。
憤慨し始めたところでようやく眼鏡を外す。
無理やり目を閉じて寝ようとする。
閉じた瞼の裏に光の残像だかなんだか知らないが、チラチラチカチカウネウネと何かが現れては消えたり目の動きに合わせて動いたりしている。
一向に寝られない。バカにしてんのか。

ベッドの上で眠れずにぼうっとしていると、急にさっきよりしんとして、何かの音が止まったことに気付く。
止まったことに気づいてから、さっきまで何かの音が鳴っていたんだとわかる。
少しすると何かの音がまた始まる。
日常生活を送ってる時は気づかないほど低音の機械音だ。
なんの音かはわからない。冷蔵庫の駆動音に似ているが、家の中では鳴っていないようだ。
この集合住宅のどこかで鳴っている、抑揚もなく断続的に鳴っている。
さっきまで鳴っていることにすら気が付かなかったのに、気が付いたら気になって気になって仕方がない。騒音レベルだ。
なんの音だ、どこで鳴っているんだ、誰に文句を言えば止まるんだ。ぐるぐると意識を巡らせていると、またしんとなった。
ふう。
数分ののち、また鳴り始める。これを夜中中繰り返す。勘弁してくれ。
そのうち眠りについているが、同居家族にこの話をしてもその音が聞こえるくらい静まる夜には、すでに家族は寝ている。
私の話を理解できない。共感ができない。
何十人、もしかしたら百人を超える人が住んでいるかもしれないこのマンションで、出どころ不明の謎の音にたった一人で悩み続けている。

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