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観劇後に思うあれこれ。これは個人の感想です。~Sun-mallstudio produce・下北澤姉妹社~

Sun-mallstudio produce『トワイライト』

Sun-mallstudio produce『トワイライト1』

往年のドラマシリーズ「トワイライトゾーン」にインスパイアされた企画公演。3つの団体がそれぞれ短編作品を上演。
難しいよなぁ。というのが正直な感想でした。
そもそも僕はホラーと演劇はあんまり相性が良くないと思っているのです。これだけあれこれいろいろな公演がある中、ホラーを売りにする公演はほとんどありません。やりたい人は山ほどいると思うのですが。僕もやってみたいという思いはあります。でも手を出さない。
難しい。。
そういう意味では挑戦した企画といえるのかもしれません。
けれど残念ながらその挑戦が成功していたようには思えませんでした。

難しいと書いたものの、何がどう難しいのか自分でもよく分かってません。映像ではたくさん見かけるホラー表現。演劇ではどうして難しいんでしょうか?
とりあえず、この公演を観た後にあれこれ思ったことを簡単にまとめてみます。

1.脚本の書き方が純粋な舞台用だとホラーに転用しにくいのかもしれない。
2.「見える/見えない」「存在する/しない」の駆け引きが表現しづらい。
3.観客が想像する余韻を作らないとならない。
4.照明と音響、舞台美術、ときには映像。それらが相当に打ち合わせて効果を作らないといけない。

という感じでしょうか。
今回上演された3作品とも、すごくつまらなかったというわけではありません。ただ、企画コンセプトが「ライトホラー」「少し不思議」なので、そういう意味では物足りなさを感じました。
1はその物足りなさの一端が脚本にあるように思えたということです。どこをどうそう思ったのかはそれぞれの作品によって異なるので書けませんが、総じて、観ていて驚きがなかったな、とは思いました。捻りとキレが感じられなかったというか。書くときにそういう部分の立て方を相当強くしないといけないのかもしれません。
あ、偉そうに書いてますが、これは自分の勉強のための思考です。作品批判ではないです。すいません。
2はそのままです。どんな名優であっても「はい!今消えて!」「はい!今パッと現れて!」という要望は叶えられないので。映像では多用される表現なのですが、演劇においてその代用表現はなかなか難しいように思います。
3はどんな内容の演劇にも共通する大切なことなのですが、「勝手に想像して勝手に怖くなる」というホラー表現特有の余白・余韻の作り方は少し特別な気がします。
4もどんな演劇にも必要なことですが、ことホラー表現においてはより重要なポイントになるように思います。

そして、この4について、今回の公演は圧倒的に足りていないように見えました。3つの団体が作品を作っていたので、事前の打ち合わせや場あたりでの調整にあまり時間が割けなかったのかもしれません。予算の都合もあるのかもしれません。詳しいことは分かりません。いずれにせよ、ホラー作品としてはもちろん、ジャンル外の作品としても、少し残念な仕上がりだったように思いました。
もう1つ残念だった点があって、これはもう僕は観客として「ないわー」と思ったのできつめに書きますけど、案内人役(高橋いさをさん)がちょっといい加減すぎて、何を言ってるのか分からなかったということです。
当パンを読むとご自身でやることにしたとのことなので、それならもっとちゃんとやってくれよというのが正直な感想です。言うまでもなく作品と作品を繋いでいく大事なパートです。個人的には作品以上にキレが必要な部分だったんじゃないかと思います。セリフを覚えてるのか覚えてないのか、そういう緩さでいこうということなのか、とにかく何を面白いと思っているのかちょっと分かりませんでした。カーテンコールで紹介する作品のタイトル忘れるとかも僕的にはありえない話です。
先輩世代の方にあんまりだらしないことをしてほしくないなと思いました。

下北澤姉妹社『リンカクー押し合う輪郭ー』

下北澤姉妹社『リンカクー押し合う輪郭ー』

幼くして水難事故で亡くなった少女、その「家族」が過去と向き合い自分自身の「輪郭」をはっきりさせていく姿を描いた作品。
観劇前、SNS上でやたらと評価されているのを見ていたので、「そう簡単には認めねぇぞ」という捻くれた気持ち(・・・)で開演を待っていました。
で、開演時、ホームレス風の女(倉品淳子さん)が登場し、舞台を上演状態にしていくのですが、この時点で僕は己の捻くれた気持ちを反省しました。
特に何か特別なことをしているわけではないのですが、もう「身体が存在している」んです。歩いている姿が違う。
すみませんでした。。とここからは素直な気持ちで観劇。
冒頭で「身体のある芝居」だと感じたのは正解で、登場する人物が皆きちんと立っていて素敵でした。
きちんと立っていてきちんとセリフが聞こえる。
単純なことほど難しいと思います。すごいなぁと思って観ました。
物語としては、なんというか、観念めいた部分がけっこうあって、表現があまり良くないのですが「子宮系」な感じがしました。身体の底から言葉を紡いでいる感じ。誤解を招く書き方になっちゃいそうなんですけど、こういう自分の中にあるドロッとした情念や観念を強く押し出した作品って女性の作家に多い気がします。これらは場合によるとかなり辛い気持ちになる作品があるジャンルだと感じているのですが、今回の作品はドラマ要素と観念要素の配分が受け入れやすく、身体表現が深みを出していてとても面白かったです。
ちなみに、これまた誤解を招きまくりますが、男性がこのドロッとした感情を描こうとするとかなりの高確率で頭でっかちのウザい作品になる気がします。あんまり面白く昇華されたものに出会った記憶がありません。
・・・毎度すみません。あくまでも僕の主観です。そうじゃない作品もたくさんあると思います。あくまでも個人の感想ですのでご容赦ください。
そうそう。観劇前日に上記の『トワイライト』を観ていて、ホラーって何だろう?という思考が頭の片隅にあったのですが、この『リンカク』では、けっこうサラッとホラー要素を成立させていて面白かったです。劇場の片隅に置かれた人形(=亡くなった少女)にスッと明かりが射すだけでゾワっとしたものを感じたり、映像の中に映りこませたり。ホラーな話ではないのでその加減を丁寧に抑えていたのも好印象でした。

ちょっと前に「あなたの演劇は演劇的ではないので演劇でやる意味を感じない」という趣旨の感想をいただいたことがあって、僕はそれ以来「演劇的演劇」とは何ぞや?という疑問を持っているのです。
この作品を観て、あー、こういうのが「演劇的演劇」なんだろうなと膝を打ちました。パシン。
で、思い知らされました。
じゃあ、無理じゃん!演劇的演劇!僕には作れねぇわ!
つって。
はぁーーー。。。
でも、どこか、部分的にでも、真似してみようかな。と思ったりして。
そういう意味でもいろいろと考えさせてくれる演劇でした。ありがとうございます。

われらがあさ朝子さんが本当に凛々しく、彼女の一番の魅力である「溢れ出るほど豊かな感情」が要所を抑えて表現されていて素敵でした。
朝子さん、いい風吹いてます!

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