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2023/08/16


お盆は昔は、迎え盆にお寺さんへ早朝伺って卒塔婆をいただき、曽祖母のお墓へ行ってそれを立てて、おはぎを食べたり(わたしはつぶあんが苦手なので祖母が青海苔をつけたものやきな粉をつけたものを握ってくれていた)、親戚をおもてなししたりしていた。

それが懐かしいと思えるくらいには、物理的にも時間的にも離れた。
今も実家には、父親と祖父が住んでいる。
親戚は集まったりするんだろうか。
従姉妹家族も来たりするのかな。
ぼんやりと考えて、自分との距離を感じて、もうあの場所に戻ることはないと確信する。

父は、だめな大人だ。
「だった」と言えたら楽なんだろうけど、現在進行形。
わたしたち子供が幼い頃から浮気を繰り返し(というかスタートでまず母が浮気相手だったと知った時は流石に衝撃だった)、お金にもだらしがなく、子供に厳しいと言えば聞こえはいいが、大人になって気付いたが子よりも優位に常に立っていたい人なだけだった。

数年前に実家に電話をしたら、話の流れで(詳細は忘れたが)わたしに「家事はできるのか」と言い放った。
聞いたのではなく、言い放ったのだ。
実家で暮らしていた頃から、何なら小学生の頃からずっと家事を、母と祖母の手伝いをしていたのに。
それを父は「そんなの知らない、見ていない」とまたしても言い放った。

絶望した。
父は子供たちの何も見ていなかったのだ。
見ていたのは自分に都合のいいところだけ。
今となってはわたしは「俺を捨てた娘」らしいから。

父のこんなところじゃなくて、いいところを思い出したい。
まだ死んでいないけれど。
お盆だし、亡くなった祖母にだって本当は墓前で手を合わせたい。
祖父はまだ存命だし、さようならする前にまた会いに行きたい。
その全てを、父の毒のような言葉や態度たちが邪魔をする。

わたしは長女で。
実家は、本家といわれるやつで。
きっと父が死んだら、相続とかお墓の管理とか家をどうするかとか、色んなことが舞い込んでくるんだろう。
曽祖母や曽祖父のご位牌も家にある。
そういう、諸々をわたしに押し付けようと、古い家族体質の従姉妹の両親(主に叔母)が言ってくるだろうことが今から目に浮かぶ。

わたしは、何も相続しないし何も管理しないつもりだ。
あの場所は、実家は、ただわたしたち姉妹が母と祖父母に大切にされて育った場所として、記憶にあればいい。
育てていたお犬の最期を看取った場所だと、覚えていられればいい。

祖母が育てていた庭の花たちも、火傷の時に塗られたアロエ(これ本当はだめらしいです)も、裏庭に咲いていた金木犀の香りも、何の実だかわからないけどおやつによく食べていた赤い実のことも、祖母が大切にしていたお人形たちも、何もかもを。

わたしが大切にできるのは、この両手と背中で持ったり背負ったりできる範囲しかない。
だから、思い出だけでいい。

願わくば、妹たちに何も降りかかりませんように。


紫水

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