走り抜けてみて

振り返れば、ケモノ界隈の人々と交流を持って、楽器演奏の趣味を持つ仲間を見つけて、一緒に演奏をするようになってから、もう 10 年以上になります。

「ケモノ好き集めてセッションしようぜ」というセッションオフ会を初めて企画したあの頃から、僕が追い求めていたものは変わらず、心を許せる仲間と一緒に音楽を演奏できる場所でした。いわゆるケモナーという属性を共有することが、互いに心を開くきっかけになるんじゃないかと思ったのです。実際、このオフ会がきっかけで今でも深い交流のある仲間を見つけることはできたんですが、当時の僕は精神的に未熟で、そこを居場所にすることはできませんでした。

そうして 5 年ほど音楽の趣味を軸にケモノ界隈で活動をしていましたが、色々なきっかけが重なって、その後 SNS のアカウントをすべて削除しました。その後は、某音楽レーベルでアーティスト活動をやったり、インディのバンド活動をやったりしました。いずれの活動も本当に命を削ってやっていましたが、それらに自分の居場所を見出すことはありませんでした。

やはり自分にとって心を開くことのできる場所は、自分でそう信じて飛び込んだ、ケモノ界隈だったんじゃないかと思い直し、もう一度 SNS アカウントを復活させました。それが今のアカウントです。

名前も変えず同じ人格として蘇ったしそじろうですが、復活以前とは積んできた経験値が違います。会社での過酷な労働、責任あるプロジェクトのリーダー、音楽業界のイカレた仕事、バンドが主催して作り上げたイベント、メンバーとの殴り合い寸前の喧嘩や愛のある言葉、バンドを支えてくれたライブハウスや PA の人々の優しさ…今ならもうちょっとうまくやれるんじゃないか。

そんなとき、ちょうど JMoF Rock Festival のスタッフをやらないかという話をもらったのでした。セッションオフ会で実現できなかった、心を許せる仲間と一緒に演奏できる場所を作るという夢を実現できるかもしれないと思い、スタッフをやることを決意しました。

以前のノートで、リーダーシップについて書きましたが、ライヴイベントを主催するリーダーとして僕がすべきことは、とにかく愛を伝えることだと思っていました。そうやって二年間、走り抜けました。

最終的に JMoF Rock Festival がどうなったのかということについては、ここでは触れません。でもこの二年間で、同じ方を向いて付いてきてくれる最高の仲間に出会えたことは確かです。彼(彼女)らと一緒に演奏できる場所は、僕にとって本当に大切で守りたい場所だと言えます。本当にありがとう。

頑張って本当によかったなあ。

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