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輪ゴム

江國香織さんが、『とるにたらないものもの』というエッセイの中で輪ゴムについて語っていた。思い返してみると、自分を形作る様々な記憶の側に輪ゴムの存在があったような気がする。主役になることもあれば、お遊戯会の木の役さながらに目立たずとも確かにその場を彩る役をこなすこともあった。

カードのデッキをまとめる輪ゴム、なんの意味もなく腕にまきつけて遊んだ輪ゴム、頑張って練習したマジックの道具となった輪ゴムなど、輪ゴムの様々な一面が思い出を形作っているが、特に印象的なのは「お弁当を束ねる輪ゴム」だ。

大学に入学するまで、母親にお弁当を作ってもらうことが多かった。小中学校のときも遠足やサッカーの試合の朝にお弁当を持たせてもらうことが多かったが、特に高校生になってからは毎日お弁当を作ってもらっていた。

母は、必ずお弁当を保冷剤とともに輪ゴムで束ねた。だからお弁当を食べる時は、保冷剤をとり、輪ゴムを外し、最後に蓋を外すという3ステップを必ず踏むことが求められた。輪ゴムはお弁当の錠の役割を果たしていたと同時に、日常に存在するささやかな幸福への改札でもあったわけだ。意識していたわけではないが、さりげなく、それでいて確実に「お弁当の時間」を演出してくれている存在だったと思う。

そんな輪ゴムが使い切れないくらい多く収められた茶色と黄色の箱に憧れて、大学入学後すぐにLOFTで買った記憶がある。結局6年経っても使いきれずに、上京するタイミングで捨ててしまった。

最近輪ゴムに触れることがなくなったなあと思う。寂しさや侘しさなんてものは特にないが、いつかまた巡り合うかもしれない輪ゴムが少しだけ楽しみではあるのだ。

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