小田和正のギブアップ

何かにつけて、つい開いて読み返しているのが
山際淳司の「give up --オフコース・ストーリー」である。
山際淳司と言えばスポーツライターとして有名な人で、
一時期、彼の本も読み漁っていた。
「江夏の21球」や「スローカーブを、もう一球」などの代表作は大好きな作品だ。


私は小学生の頃からオフコースのファンである。
好きになり始めたころに「解散」騒動があった。
ここで「解散」というのは、5人だったオフコースから、
初期メンバーの鈴木康博が脱退する1982年にあった事態を意味する。
グループはその後4人でしばらく活動が続く。
私はオフコースファンというよりも、小田和正ファンと言えるだろう。
ひたすら小田さんの歌が好きである。
それゆえに、4人になったオフコースも好きではあるのだが、それでもやはり、
グループとして小田和正と鈴木康博の組み合わせは素晴らしいと思う。
オフコースを聞き始めた頃はまだ自分の知らない音源がいっぱいあったので、
グループが活動していようが停止していようが、それほど興味はなかった。
あとになって、2人から5人になったオフコースと、
その後4人になったオフコースの殆どの曲を知るようになってから、
あぁあの解散は実に惜しいことだった、と感じた。
歴史に if はないから、解散がなかったとしても、
それ以上の作品が出たどうかはわからないけれど。


NHK の教育テレビでオフコースのドキュメント番組が放映されたのは、
1982年の正月。ちょうど家には父の生徒さんである高校生の集団が遊びに来ていて、
その中でテレビを食い入るように見ていた。テレビには出ないグループだった。
高校生に「へえ、小学生なのにオフコース好きなの?」と
珍しがられたような覚えがある。
褒められたと感じたか、ネクラ扱いされたと感じたか、ちょっと覚えがない。
当時はまだうちにビデオはなかったし、集中して見た、と思う。
後年、これが DVD で発売された時はすぐに買ってやはり夢中になって見た。
番組は、おそらくファンの中でも最高傑作と呼ぶ人も多いだろう、
アルバム「over」の制作風景を中心に撮られている。
コーラスの録音風景なんかファンとしてはもうどうしていいか
わからんくらい感涙ものである。


そして、番組の中でインタビューアーとして出てくるのが山際淳司である。
「Give up」は、この映像の解説として読むことが出来る。
映像は一見、格段何の変哲もないドキュメンタリーとして構成されている。
しかし、これまでオフコースはなぜテレビには出なかったのか、
そしてなぜこのタイミングでテレビカメラに制作現場を晒したのか、
そんなことまで、オフコースの初期の頃からのエピソードを丁寧に
紹介しながら語っていく。
鈴木康博の脱退の話が出たのは80年の12月、解散は82年6月。
この間の、この音楽グループの解散に絡まる風景が
本の中では次々に紹介されていく。
例えば、解散は決定的なのに、まだそれぞれの心の整理ができていない。
解散発表をどのようにすればいいのか、それを企画するスタッフはやきもきし、
話を進めようとするとメンバーから
「おまえはオフコースを解散させたいのか」と言われたりする。
小田・鈴木のコンビに後から加わった3人のメンバーは、
なんで解散するのかわからない、と思い続けている。
グループが解散する際は、多くの場合はそれぞれ感情的になりがちで、
ステージ上で怒鳴り合ったり、一緒にいるのもいやになったりするものなのに、
このグループは解散の話が出て1年半、表立っていがみあうこともないし、
その間の仕事もかつてよりはるかにヴォルテージがあがっている、
まれに見るほど音楽的まとまりを持っている、と感じているのだ。


本のタイトルの「Give up」は、オフコース「解散」の演出のために
コピーライターから提案されたキャッチフレーズだそうである。
解散発表の方法として、全国紙の全面を買い取り、
そこで解散を発表するという案があり、
そこで使うキャッチフレーズとして「Give up」という言葉が
コピーライターから提案されたという。
その言葉には、「Never give up」という風潮に対する反発心や、
オフコースの商業的成功なんて実に大したことではない、
もっと大きなことがしたかったんだ、でも断念するよ、
という意味合いを持たせているそうで、
オフコースっぽいものを選んで来たらしい。
とはいえ、それは言葉遊びに過ぎない、とメンバーも感じている。


山際淳司は「解散発表の具体的な方法に関して議論しているように見えるが、
じつは、解散そのものの是非を模索しているのだ」と推論する。
そして最終的に解散発表そのものが無くなってしまう。
一方で、「解散」は実現するのである。


もうそれから40年近くが経つのだけれど、
こうして色々見てみると、
あの時代の作品はこういう背景があったからこそ成立しているのだろうな、
と思わざるを得ないし、その様子が作品的な記録として残っているのは、
これはこれでファン心を無茶苦茶くすぐられているなあと思うのでした。

そして4人のオフコースは何を目指そうとしたのか。
長くなったアルバム名は何を示すのか。
The best year of my life
As close as possible
Still a long way to go
5人の解散時のキャッチフレーズ give up から一転、
まだまだこれから、ネバーギブアップ、の精神だったのではないか。

そして、オフコースが1989年に解散をしたときに、
小田さんもようやく心から give up を言えたのではないだろうか。



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