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半生ひねくれて生きてきた僕がとても嬉しかったお話

音楽家の坂本マニ真二郎こと、VTuberではヘットフィールド師匠です

そうそう、僕が参加してるバーチャルバンド、UnChainerの1st.オリジナル曲「大樹のように」のMVがアップされたので是非聴いてみてください

さて、今回は何のお話かと言いますと…

先日、3/15の誕生日に人生初の誕生日配信を行いました。人のチャンネルで(笑)←前代未聞

めちゃめちゃ楽しそうにしてる僕の様子はこちら↓

VTuber仲間である猫塚大翔くんのチャンネルをお借りしてですね、ゲストにはこれまた僕も推してる警戒ちゃんをお呼びして…

それはもう最高の誕生日となったわけです

どれだけ最高だったかと言うと、動画を観てもらえたら一目瞭然ではありますが、ここに書き記そうと思った程、僕の人生において最高の誕生日となりました

快く受けてくれたお二人には最大の感謝をしておりますが、僕みたいな大人がやりたい!なんて言おうものなら断り難くもなるだろうし感謝と反省もしております(苦笑)いや、もちろん二人は嫌々ではなかった(と思いたい!)ですが、今後の教訓です!自分の立場も多少なりわきまえなきゃですね

そんなわけでした、また長くなりそうだけどしっかり書き記してもおきたいなという風になったので暇つぶしにでもどうぞ

タイトルにある通り、僕の半生はどうしようもなくひねくれていてよくもまあやってこれたなという話から始まります

恥部を晒す様な話になるかもしれませんが書きます

過去のお話

僕は聖人君子からは程遠い人間と自覚もしてまして、今でこそましにはなってますが、まあ酷いもんでした

思い返せば幼少期まで遡り、そこで人格形成されたものが酷いって感じです

何があったか詳しくは割愛しますが、昔は包み隠さず晒してたんですよね

ご想像にお任せしますが、幼少期に知らない大人に酷い事されて表情を失くし言葉も話さず(話せず)一切、笑わなくなって母親に病院に通わされてました(めっちゃ覚えてるんですよね、同じ境遇の子達とゲームさせられたりとか)

小学生になったら同級生の顔が怖い、と泣いていたり(凄く失礼よね)とにかく、何かに怯えながらも少しずつ普通になっていくわけですが…

何か得たいの知れないモヤモヤしたものが内にあり続けるのです

それに気づいたのは忘れもしない中学二年生の時、物事を理解できる様になり知識も増えていきます。そこで理解するんですよ

あの時された事ってこうだったんだ

って。語るのもおぞましいです。そこで僕に大きな変化が訪れます

やり場の無い怒りです

細胞の一つ一つから沸々と怒りが浮き上がる感じ、全身の体毛が激昂した猫の様に逆立ってる様な…

そこからはもう想像も容易い酷い転落の始まりですよ。ずっと続けていた部活も辞め、中学にもあまり行かなくなり悪い仲間とばかり遊んでました

なんでこうなってしまったんだろう?と、反省はするのですが結局何度も警察にお世話になり、高校ではついに少年鑑別所手前の家庭裁判所まで両親と一緒に行かねばならない所まで来て、しまいには3年生の2学期で退学

なんだかもう今思い返しても当時の事は自分でも信じられない感覚なんです。もちろん、僕本人がしたのは間違いないのですが、まるで何かに取り憑かれていたかの様なくらい信じられないです

しかし、どんな悲惨な過去があったにせよ何でも許されるわけがありません。僕は今も思い返す事があって「業」だと思って死ぬまで背負ってます(あ、言っておきますが殺人、暴行とかではなく凶器所持や窃盗ですね←だからと言って罪は罪です)

このままじゃ人生まずい、と思う様になった時たまたま見た同級生がやっているオリジナルバンドのライブを観ます

そのライブが衝撃的で…

耳がおかしくなる程の爆音、空気の悪い暗い空間、ドリンクを必ず買わなきゃいけないシステム(笑)何もかもが初めての事で衝撃で、特に同級生のギターの奴がめちゃめちゃかっこよくて(彼は後に他界してしまいます)

この内なるエネルギーは音楽にぶつけようって10代で本格的にギターを始めます

毎日毎日、半日はギターを弾いてましたが、高校も編入という形で直ぐに1年通って卒業し、アルバイトもしつつ遂に自分もバンドに加入します(先に書いた同級生のギターが辞めた後釜です)

が、そう簡単に物事は上手くいきません(笑)

全然ダメでした。10代なのにバンドブームに乗り遅れたバンド、なんて事も言われてたし(うまい事言いやがる)オーディションを受けても「お疲れ様でした」しか言われずお終い

そして、僕は致命的な欠点に気づくのです

コミュ障(苦笑)

バンドとか音楽は横の繋がりって特に大事なんですよ。特に当時はそういうの大事なのに話もろくにできない、冴えない、打ち上げはヒッピーみたいなおじさんばっかり(笑)

恥ずかしくて消えたくもなってました

そのタイミングで僕は突然、アメリカ留学を決意します

その理由。逃げられない状況を作り、自らを放り込み、まるでサバイバルの様にコミュニケーションをとらないと生きていけんぞ!みたいな感じです

決めてから3カ月も経たず英語力は英検4級の奴がアメリカの大学に手続きして渡米します

地獄の始まり

今思えば先ず、よくも飛行機乗り換えてたどり着けたな(しかも米国内の乗り継ぎ便が変更にもなってて親切な空港の人に連れて行ってもらった←言えたのはサンキューベリーマッチ!)

そして、最初の3カ月は本気で死ぬかと思いました。当時、英語が話せないので地獄。言語の通じないのって地獄。宇宙人ですよ、食べ物も毛布も買えない、学校の宿題は終わらない(もの凄い量な上に英語力がなさ過ぎて)

しかし、逃げようにも逃げれない状況にしたのは正解でした

もう、凹んでる暇すらないんですよ(苦笑)話さないとダメだし、食わなきゃ死ぬし、勉強しないと落第するし

めきめきと英語力もつけ、コミュニケーション能力も高め、大学は手書きのペーパーを受け付けないのでタイピングを覚え(これは良かった)、車の免許も取得し、念願の音楽科にも転入。教授からお前は卒業するのにあと3年はかかるなと言われた瞬間

よし、満を持して帰国してバンドやろう!と、大学を中退して帰国します

ここからバンドとアルバイトやりまくりです

帰国してから最初のデビューが決まるまで組んだバンドが4つ、4つ目でメジャーから出る事が決まり、やっとスタートラインだ!となった矢先またまた現実を突きつけられます

関東でそこそこ売れたのですが、手にした金額を見てびっくり

え?これメンバー5人で分けて何カ月生きれる?

僕は現実的な考えもかなり持っていたのでこんなのじゃ先の10年どころか今の生活だってできんわ、無理無理

と、あくまでバンドを続ける為に仕事にも注力します

幸い僕はタイピングもPCの技術もあったのでアルバイトから社員になりがっつり生活基盤を固めてました

当時はバンドもバチバチにやり合う様な時代でもあったので先輩とかから気合入ってねえとか言われてました(笑)

けど僕は両方本気でやったら良いのだとずっとサラリーマンしながらガチのバンドやりました(途中退社したりもしましたが)死ぬ程ストリートライブをやり、全国主要都市、海外でもライブをやり…

そんなこんなで約30年間ですね、バンド生活に費やしてましたが30年かかって気づくんですよ

ずっとひねくれた考え方してたなって(遅っ)

結局は幼少期の歪んだ人格形成からそこは変わってなかったんですね

周りを妬んでばかり、あんなク●みたいな奴ら何で売れてんだよ?とか、お礼を言われても、どうせ本心で言ってないだろ?とかもう、とにかく酷い(笑)それが人格ですからね、気づかないんですよ

音楽家に転身する時にめちゃめちゃ考えたんですよ

人気のある人達って普段からも人が集まってるよなあって

良い音楽だけやっててもダメなんです。結局は人、周りに可愛がられる様にならないとダメなんです。それはファンはもちろん、関係者も老若男女犬猫猿雉

なので僕は先ずこのひねくれた性格をどうにかしよう、と術を身につけました。どういう事かと言うと例えば、人から仕事を頼まれた時、師匠お願いね!って頼まれたとします

昔→は?何で俺がやらなきゃなん?イミフだしてめえでやれやゴルァ!

じゃなくて(昔はこんな酷くない)そう考えたら真逆の行動をとる、というルールを決めました。なので…

ガッテン承知です!任せてくださいよー!

ただ、これだけです

最初はこうやって思った事と真逆の行動を取っていったんですね。褒められたら、は?何か下心でもあるんか?じゃなくて、素直にありがとうございます!でいいし。間違った時はごめんなさい、でいいじゃないですか

こんなあたり前な事が僕の中でできなかったんですよ

表面的にはやれてたとは思うけどそんなのは見る人が見たらバレます
とにかく、こうする事で自分の気持ちもどんどん自然にポジティブになっていって全てが上手く回り始めました

30年かかったよ。だから悩んだりする人、大丈夫。30年で治る(笑)

幼少の頃に受けた事は今だって許せないし、自分のした落ち度も同様に許せないけど、だったらこの先自分の為はもちろん、エンタメ界に携わってるんだから人が喜んでもらう事をしようってなってます

余談ですが、うちは親父も遊園地の支配人とかだったんですよ。血ですかね、そうかもしれないです。僕もきっとエンタメ界に携わったまま死ぬんでしょうね


半生なだけに長い

最近文章書いてなかったしいいか。そんな僕ですが今でも大変な事はあるけれど好きな事やれてる方だとは思います(その様にめちゃめちゃ努力したので)

そして、そんな中でも戦って戦ってまた戦ってやってます

だからこそ

こういう経緯もあって、最先端のバーチャルという世界で誕生日会を仲間にしてもらえた事、沢山の人達が来てくれた事

本当に、本当に嬉しかったです!どうもありがとうございました!

いい歳した大人が!とか僕の年代だといまだに言われる事もあるんですけど、そんなの関係ねえですよ

僕はじじいになっても楽しい事には首突っ込みますね…あ、突っ込んでるわ、じじいだったわ(笑)今40代ですが80代になったらバ美肉とかでメディアが取り上げてくださいよ、イロモノじゃなくて尊敬の上でね。僕は誇りをもってバ美肉してるから!

本当に長くなってしまったので次回のnoteでは誕生日にいただいた物もお礼も兼ねて紹介したいと思ってます←書きたい事あるのよ

ではでは、今回はお礼と共に…
こんな僕ですがよろしければまたよろしくお願いします!

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