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命に嫌われている。/カンザキイオリ【AT0選】

僕は、「命に嫌われている。」という曲が大好きだ。
でも、僕は「命に嫌われている。」が10選かと言われればそれは違う気がするし、20選にも入らない。
カンザキイオリさんの曲を好きな順に挙げろと言われても多分10位以内に入れど5位までには入らない。
自分でもなぜかと不思議に思っていたが、昨日すっ、と腑に落ちた。
恐らく、僕はこの曲を自身のAT1選である「君の神様になりたい。」と同一視している。この曲への認識を「君の神様になりたい。」が内包している。
だからこの曲に称号をつけるなら、きっと、「AT0選」という表現になる。
そう思った。

楽曲情報

作詞・作曲・編曲:カンザキイオリ
投稿日:2017年8月6日
1st Album「白紙」、2nd Album「不器用な男」に収録されています。

カンザキさんにとって初の殿堂入り・伝説入り曲であり、2024年現在同氏の最も再生された曲であり、これからも恐らくそうである曲。
まふまふさんが紅白の舞台に連れて行ってくれた曲であり、
花譜ちゃんに歌ってもらった曲であり、花譜ちゃんと歌った曲であり…
おそらくカンザキさんにとっても、とても大事な曲でしょう。
投稿当時のカンザキさんのツイートをみると伸びに対する困惑とかが見て取れてかわいいですね。

今回詳細な歌詞解釈とかはしません。めんどうなので。
思い出話にふけったり、エッセイ的な方向性になるかと思います。
ひとつ、お付き合いいただければと思います。
また、僕が病んでいたこと、僕がカンザキイオリに出会うまでに持っていたボカロに対する嫌悪感なんかも書いているので、そういったものを見たくない方はブラウザバックを推奨します。





2020年、2月6日のことでした。
新型コロナによって学校は分散登校だか閉鎖だかに陥っており、その日は木曜日ながら、僕は自室のベッドに横たわりスマホをいじっていました。
極めて憂鬱でした。鬱屈としていました。
家族の事、学校のこと、コロナのこと。
その時僕がどのように病んでいたかの記憶までは残っていませんが、色々と原因があったでしょう、どうにも涙がこぼれ落ちるような日でした。
死にたいと何度も思いましたが、死ぬことが怖い気持ちも強く、死ぬことなど叶うはずもなく、それがまた自己嫌悪を加速させていました。

その日は無気力にyoutubeを見ていました。
いつも通りゲーム実況だとか、ゆっくりだとか、そういうものを見ていました。
きっかけはよく覚えてはいませんが、ふと、よくオススメに流れてきていた「命に嫌われている。」を思い出しました。
知らない曲でした。興味のない曲でした。
知っていることと言えば「ボカロの病み曲の王みたいな存在」「歌ってみたが本家だと思っている人にキレている人がいる」「ナイフを持って走っている」ぐらいなものでした。

ボカロは嫌いでした。
人ならざる声に、不自然なまでの超高音に拒絶を示していました。
…いえ、正確には好きだったことがあります。
3歳~5歳くらいのころ、父がボカロの…ライブかな?その関連の仕事に携わった際にDVDを持ち帰ったのが僕のボカロとの出会いでした。
その時確かにボカロを気に入り、一度はライブに連れて行ってもらった経験があります。
ですが、恐らく、その時の僕はそのライブに何か、求めていたものと違ったナニカを感じてしまいました。
現在の語彙力を使って言えば、恐らく当時の僕はバンドのライブに行きたかったのでしょう。が、当時の僕はその空間にアイドルのライブのようなものを感じ取りました。
このあたりは、まあ、ボカロ特有の難しさがありますよね。
確かにあそこで行われていたのはきっと初音ミクのライブだったハズです。
しかし幼い僕はそれを理解できませんでした。
「萌え」なるものに対する嫌悪感のもと、僕はボカロを離れていきました。
ほぼ黒歴史と化していました。
ボカロは嫌いでした。

藁にもすがるような、そんな決断でした。

検索窓に「命に嫌われている」と入力しました。
歌ってみたはスルーして、題名に「初音ミク」と含まれたそのサムネイルをタップしました。
ボカロの声は嫌いでした。
不自然で人間の物とはかけ離れたその声が、
「生きろ」という言葉が、
深く、深く、胸に突き刺さりました。
投稿者のチャンネルに飛びました。
その人は「カンザキイオリ」という名前でした。
カンザキさんの楽曲を人気順の上から一気に聞きました。
アダルトチルドレンに続いておそらく2曲目に、現AT1選である「君の神様になりたい。」を聴きました。泣きました。
合わせて5曲くらい聞いて、すこし落ち着きました。
ちょっと心が軽くなったように感じました。
死にたい気持ちは一旦どこかへ消えていました。
後で分かったことですが、この時既に、ボカロの声なんて、全く気にならなくなっていました。
カンザキさんに、とりあえず生きることと、ボカロという居場所を、教えてもらいました。
僕の人生にカタカナが7文字、深く刻まれました。

僕がカンザキイオリさんを推してやまないのは、大好きで仕方ないのは、そういうわけでした。

僕のAT1選は、君の神様になりたい。です。
そして、僕が君の神様になりたい。に救われたのは、この曲があったからです。
この曲のおかげで、カンザキさんに出会えた。
この曲でカンザキさんに救われた。
この曲で救われたから、君の神様になりたい。に強く、強く、救われた。
もちろんこの曲自体にすごく、すごく救われている。
本当に僕にとっては変な立ち位置の曲です。
AT0選。都合のいい位置づけだけど、許してくれると嬉しいな。


それから。

現在この曲は現在Youtube版が2600万再生、ニコニコが…ちょっと今見れませんが…400万くらいだった気がする。
それから、まふまふさんの歌ってみたがこれもにこつべ両方あってYoutubeは1.5億再生。
この時点で約1.8億再生。
そしてこの曲はほかにもいくらでもカバーアレンジ歌みたその他ありますから、総再生数は2億回を優に超えています。
とんでもない曲だな、と思うと同時に、すこし哀しくもあります。
だってこの曲は、病み曲です。
主要な需要は病んでる人に対してあるということ。
それで2億再生。
この曲が必要な人が、いったいどれだけいるのか。
いったいどれだけの人が苦しんでいるのか。
そんなくだらないことを考えてしまうのです。

いつか、誰もこの曲を聴く必要が無くなって、カンザキイオリさんの代表曲が文化になっていくとかそのあたりになる日が来たらいいのに。
そして、そんな世界になるまでは、この曲が長く長く愛されて、たくさんの人に届いて、たくさんの人を救う曲であり続けて欲しいな。
なんて、願ったところで叶わないかもしれませんが、願わせてくださいな。





さいごに。

僕はカンザキイオリさんの言葉を借りているだけで、僕が皆さんに言えることっていうのは、ほとんどありません。
僕の言葉で、みなさんにカンザキさんの凄さが、優しさが、すこしでも伝わればいいなと思うばかりです。
でもちょっとだけ。

生きること、それはエゴです。
死ぬこと、それもエゴです。
誰かに生きて欲しい、死んで欲しいと願うこと、それもまたエゴです。

でも多分エゴじゃない生き方もあると思うんです。
生きていたくないけど死にたくもないからどうしようもなくて生きている、とか。
僕はまさにそれでした。それってとてもつらい状態だと思うんです。
ただでさえ追いつめられた人間が、なぜ自身の生死のわがままを言う自由すら奪われてしまうのか。
そのエゴは絶対に尊重されるべきです。

それから、死ぬことを心に決めた人。
とても強い人だと思います。きっととてつもない恐怖を乗り越えてその決断をしているのだと思います。
そのエゴも尊重されるべきです。
ただ、そんな強いあなたが死んでしまうのは、悲しいです。
だから僕らはあなたをきっと止めます。全力で止めようとします。
だって僕らのエゴも尊重されるべきだもん。
でも、もしそこで立ち止まったらその人はきっと生死のエゴを失った状態に陥ってしまう。やっぱりこの世界理不尽です。

だから、そういう人には、生きる理由を見つけて欲しいなって思うんです。

ずっと追いかけたい推しができたから、誰かと遊ぶ約束をしたから、いついつまでは死なないと決めたから、あの漫画を最終巻まで読みたいから。

なんでもいいんです。どんなに小さなことでもいい。
そういうエゴをひとつ作ると、きっとすこし楽になります。

あなたのことを大切に思っている人は多かれ少なかれ、必ずいます。
そういう人は、きっとあなたと一緒にあなたがエゴに生きるための理由を考えてくれます。作ってくれます。
そしてそのエゴは、時には一緒に作ってくれた相手にとってのエゴに生きるための理由にも、なるかもしれません。

この画面の前に今そういう生きるエゴを失っている人がいたら、良ければ身の回りの人を、頼ってください。
きっと力になってくれます。
もし僕を頼ってくれたら、非力かもしれませんが、
必ずあなたの力になります。

そうやって僕ら一緒に生きていきましょう。
殺して、足掻いて、笑って、抱えて、
支え合って、助け合って、寄りかかりあって生きていきましょう。
きっと幸せになりましょう。
僕らは人間なんですから。
この世で一番エゴな生物、人間なんですから。


あなたがエゴと共に生きていくことを願っています。

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