「私の手を持つ」女

昨日は妙に寒かったせいか具合が悪かったが、今日はとてもいい天気かつ、温かくなったので気分がよい。なにか書くネタは…と思っていたら、面白いものがあった。

これは私の米国留学時代なので、2004年のことだ。それ以前、インディのロックバンドをしてたのだが、解散してしまった。私はヴォーカルなので、単身でも上を目指したいと思い、音楽留学した。

ところで私はキ○チガイの割に、キリシタンだ。というかキリスト信徒は全員、基地外と思って頂いていい。「クリスチャン」という単語自体「キリスト基地外」という侮蔑の意味で使われたのが由来だそうだ。彼らはキリスト狂なのだ。

思い返すと、教会関係には本当に助けられている。というのは「信徒である」というだけで、ある種の仲間意識というか、助け合いみたいなものがある。今みたくSNSも存在しなかった時期、海外の信徒ネットワークには本当にお世話になった。

前書きが長くなりすぎるので端折ろう。情報の少ない時代、見知らぬ米国に住むというのはなかなか恐ろしいことだったが、教会関係のコネで、けっこう在米日本人の方々に助けていただいた。

まだ今ほど英語が話せなかった私は、いくつか現地の日本語教会を点々としたが、終盤、半年くらい世話になった教会で面白い出会いがあった。

というのは、教会の青年会に「祖母が熱心な信者だけど本人は神を信じない」という女子が居た。彼女は非常に聡明で、私と同種のオタク系だった。私はプログラム言語の本を1冊、完全に頭に入れるタイプだが、彼女も同じことを言っていた。

当時の私が28歳で、彼女は20前半くらいか。ところでキリスト教会では、全体に女の人が多いのだが、ヲタ系な彼女は、他の女子らとそこまで親密ではなかった。そこへ私という変わり種が来て、意気投合した。

当時はtwitterもfacebookも無い。「チャットルーム」が流行してたので、どういう経緯だったか、彼女と私は同じチャットルームに毎晩のように入り浸り、よく話していた。二人きりのものではなく、常連数名で話すものだった。

今は信徒としても経験というか、場馴れしたし諦めているが、なんというか教会には「本音で語れる」雰囲気がない。たぶん当時、彼女も私もそういう部分で通じるものがあったのかと思う。

ちょっと時間を飛ばすと、帰国してかなり後、たしかmixiあたりで偶然彼女と再会したのだが、結婚したそうだが、やはり神を信じてはいなかった。今は連絡が付かない。当時から彼女は、聡明すぎるので聖書を嘘くさく思ってた様子だ。

聖書について書くとややこしいので手短に。聖書はきわめて科学的なのだが、自分のことを賢いと思う人々は、聖書が非科学的なものだと思っているようだ。それで彼女もそういう部分で信じたがらないようだった。

※ 余談だが、科学を極めると「神が存在することを認めざるを得ない」と思って信徒になる人もけっこう居る。科学の構造が緻密すぎて設計者の存在を知るそうだ。

彼女の祖母は、周りの信徒からも尊敬されるような「熱心な信徒」で、なにか寮みたいなものを経営していたのかな。遊びに行った時、いろんな若者が住んでた覚えがある。その1名が、私経由で神を信じたのを思い出すが、本稿では割愛。

…手の話をしよう。

ともかく、彼女とは、毎晩のようにチャットルームで話すくらい親しくなっていた。いま振り返ると、彼女は、祖母が信仰熱心すぎることへの反発と、精神的束縛が面倒だったのかもしれない。

今でこそ私は、誰とでも寝るような乱れた獅子になってしまったが、当時は純朴であった。どういう流れか忘れたが、ある日、私のアパートの部屋に彼女が遊びに来ることになった。ただし、彼女は祖母に内緒で来たようだ。

私は、彼女と親密だったので、ふつうに異性として好感を持っていた。ただ、彼女の外見はべつだん性的魅力が強いほうではなく、先にも書いたとおり私はまだ、純朴だった。ので、部屋に来るというのも、単に一緒に遊ぶためだった。

活動としては、たしか料理を作ってくれた気がする。

あとは、なぜ私がそれを思いついたのか意味が分からないのだが「互いに爪を切り合う」という頭おかしいことを試したのであった。本当に意味がわからない。

たぶん、当時たとえば「盲目の人の疑似体験で、目隠しで歩く」とか「老人の疑似体験で、体に重りをつける」みたいなそれから着想を得たのだろう。ただ相手の爪を切るのはなんの疑似体験でもない。意味がわからない。

子の無い私は、自分以外の人類の爪など切ったことがない。彼女もたぶんそうだったと思う。書いてて気づいたが、今も、愛猫の「幼獣氏」の爪以外、他人の爪など、そうそう切る機会を与えられない。

皆さんも誰か友人同士でやってみてください。

で、その頭おかしい発想を伝えると、彼女は面白がって対応してくれた。その時に衝撃的なことに気づいた。小柄な私は、男としては手も小さめなのだが、彼女の手が「私の手」なのだ。寸法だけでなく、指の向きとかも酷似しているのである。

私の手は一般的な男ほど、ゴツゴツしてないし、指も短い。彼女のそれも、ものすごく細いというほどでもないが…というか、私の手なのである。例えば私の人差し指は、若干、身体の外側に「ひねり」が入っているが、彼女の手もそうだった。

手のひらを合わせると寸法が同じであり、太さや形状も同じで、ひねり具合も同じだったのだ。いま書いていても珍しいと思うが、同じ手を持つ者はそうそう居ないはずだ。爪を切らなかったら気づかなかったろう。

(※ 後記:読者から「自分と同じ唇を持つ者」の遭遇報告を頂きました)

「爪切り合い」に際し、相手の手を取ったときに「アレッ?これ(彼女の手)俺の手じゃん」となったので、おそらく私が先攻だった。相手も「確かにこれ(獅子さんの手)は私の手だ」となり、強く同意して面白がっていた。

かんじんの爪切り自体は、さすがに緊張したが、ともかく手が同じことのインパクトのほうが強かった。繰り返すが、好奇心の行動であって、異性うんぬんの感覚は全くなかったので変なことはしてない。別の意味で変すぎることをしたが。。。

その日の午後遅く、彼女の携帯に、祖母から着信が来まくって、のちにこっぴどく叱られたようだ。そりゃ爪を切り合っていては異常異性校友である。頭を心配されてもやむない。

(いま改めて思うとだが)祖母の束縛を嫌っていた彼女は、私のところへ行くということを告げてなかったらしい。また、危険な米国なので、一時的に行方不明になった彼女側は大騒ぎだったようだ。(※ コロナ前から米国での独り歩きは危険)

私も「しまったな」と痛感したものの、思っていたほどは、私側に対しては強く言われなかった気がする。弁明としても、事実、へんな行為は…しているが、性的なことは全く無いので、有り体に、そういうのは無いと供述したと思う。

ときどき「世界には自分と同じ顔の人間が3名いる」とかいうが、「自分と同じ手をした人間」も何名かは、居るものだろうか。指のひねりまで似ていたが、顔はそれほど似ていない。だが、やはり祖先をたどると同族が居るのだろうか。

皆さんも友人などと爪を切り合ってみてください。同じ手が居るかもしれない。他のパーツでも「自分と同じ身体部品を持つ者」が居る例があるようなので、よかったらお聞かせください。

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