優劣を感じることについて:IQ高低の視点から

はじめに

ある方の文章に刺激され、ヒントになれば、と思って先日からテキストを書いてるんだが、欲張りな私は「どうせなら他の読者にも」と思う。すると、個別事例を一般化する作業がでてきてかなり難しい。それで何度も書き直している。

私はアスペルガー>ADHD混合型で、言語性IQ120・総合115の「高め」である。←IQブーム?みたいな風潮なのであえて書いておく。(以下、便宜上、約120とする)

ついでに、双極性障害で、きょうはコンサータという薬を飲んでいるため、躁気味だが心は静かで、自己肯定感も高い状態にある。

なぜ「知能」はアピール向きでないのか?

AIの台頭とかで興味を惹くのか、インフルエンサーとか遺伝ガチャ?的な話が流行っているせいか、noteやweb界隈でIQに関心が高まっている印象がある。

その割に、「わたし高いです」を言うと嫌われる感があるのでやりづらい。今回の趣旨は「高い視点での考察」なので、自慢の意図はない。だから、できれば嫌わないでほしい。

ちょうど私が極端な高低のある属性が、いい比較になりそうだ。

私は男だが160cm(日本の成人男性の3%以下だって!すごい!)IQが約120(上位10%くらい!すごい!)←私なりの自虐です

前者については、世間は「高ければ高いほどいい」ブームだし、私も不便を感じることが多いので「劣っている」と仮定する(本当は優劣などない)。

たとえば背が高い者は「185cmです」とか堂々と言ってもあまり変に思われないし、周からも「背が高いですね!」と言われ、本人が同意してもそう問題ない。

どちらも「ただの属性を数値化したもの」なんだが、「私のIQは高いです」って言うと変人あつかいされることがまだまだ多い。(IQテーマの記事とか「高知能芸人」といった状況でなければ)

「背が高い」とか「スポーツ得意です」は自分で言ってもよく、好感度も高いのに、「勉強得意です」はいじめ対象だったり、ムカつくやつみたいに扱われるのなんか異常じゃないですか?…ようやく言語化できた。それでいてみんな、IQブームとか、賢くなりたがっているよなあ???

「賢いですね」と言われ「ええ」と答えずに「そんなことないですよ」と言わなきゃならない風潮こそガイでしょ。とアスペガイジは思うのであった。

優劣を感じてはならないのか

冒頭の「刺激を受けた方」も高IQなのだが、「自分の高知能をひそかに自慢に思っている」らしきことについて「人に劣等感を与えるので悪いことではないか」と葛藤なさっている様子だった。

この部分、直接の指摘は失礼だと思い、遠慮していたんだが、「私はこう思います」と書いてしまおう。「人の劣等感を刺激している」と思われるのであれば、「その感覚」は、好まれざる何かかも、と思う。

(善悪で決めつけたくないが、絶対的善悪の基準である聖書には「自分こそ知者だと思うなかれ」とあるので、神の目に対しては、悪なのだろう)

抽象的すぎてわかりづらいかもしれないので、言い方を変える。

たまたま、私より年長で、属性が好対照な友人が居る。彼もASD&ADHD寄りだが、IQは平均か少し高め(聞いたことがないがたぶん私のほうが若干高い)身長が176cmくらい。

鬱状態になった時、私は「背が低い」ことを苦痛に思い葛藤する。彼にそのことを話すと、「僕は小柄な人って、素早くて強いからかっこいいと思っている(漫画等の印象らしい)」そうだ。なお、この方は自己肯定感が高く、それゆえだか、他者の容姿や能力・人格等について、おおらかに受け容れている感じがある。

つまり、背が高いけれど、べつにそれはご自身の自然体だし、そのことを誇っている印象も無いどころか無頓着で、低い私のことも見下してないし、他の誰かをそう思ってもいない。(女子のオッパイでかい、とか、顔可愛い、とかは、男として自然にそう思うようだが)私がそうであるほどルッキストではない。

参考まで。私は小柄で虚弱で、ガンも経験しており、自分の身体面に不全感、不満感がある。その代償かな?と思っているが、自分の知能が高めであることを、内心、誇っている。理由は、他に「とりえ」が無いと思いこんでいるからだ。

で、比較的、健全に見える友人氏にくらべると、私は他者のことが気になって仕方ない。ASDはそもそもこだわりが強いが、同じASD寄りの友人氏は「自分に関すること」に強いこだわりがあるものの、他者にそこまで頓着してない。よくも悪くも(自閉という意味での)自己中心的な部分がある。

まとめると、自己肯定感が高い人は、他者の属性にそこまで優劣を覚えない気がする。また、私のように「ハンディキャップ」を感じている場合に、それを補完する形で「自分にだってとりえがあったっていいだろ」と思うのではないか。

なお、私もかつて「自身を賢いと思い、他者を見下す性質」について、「いけないものだ」と葛藤して自責したものだが、ガンとか閉鎖病棟とか、あらゆる艱難辛苦を経験した結果「これでもし頭まで冴えなかったら救いようがねえだろ」ということで「自分をゆるす」ことにシフトしている。つまり「劣等感の裏返しなんだから、それまで否定したら自分が可哀想だろ」って意味だ。

補足、私は鬼ではない

私は、アスペルガーの特性が悪く出ているし、イラストを描くため「美」に異常な執着がある。そういう言い訳もあって、他者の外見に異常に興味がある。ルッキズムを嫌っている反面、アニメや漫画の影響で、美しい存在が大好きだ。

道行く人の身体を観察し、こいつはスタイルが悪いな、とか、同性だろうが美しいやつだ、とかつねに批評している。じゃあそれは「悪」なのか?みんなはアニメキャラが可愛いカッコいいと思わないのか?

で、自分くらい背が低い男をまれに見つけると「あんたも大変だなあ」と勝手に「見下して同情」しているし、そういう自分を嫌いである。芸能人の身長を検索しまくる。など、枚挙にいとまがないくらい身長コンプレックスだ。なんか脱線して困る。

話を戻す。補足しておくが、私は諸事情あって、精神・身体・知的障害者が共生するグループホームとか、閉鎖病棟とかを経験している。知的障害者の青年とすごく仲良くなって、おんぶしてもらったこともある。なので、「自分の知性を誇っている面がある」とは言ったものの、知的にハンデを持った方々を見下しているかというと、そんなわけではない。

ただむしろ、半端な知能だが自分は賢いと思いたがっている人のことはかなり見下している。(インフルエンサーになりたがってるが中身が無い記事を書いてる人とか、「高知能バカ」とか書いてうさ晴らしてるような人のことだ)

で、最初に「影響された記事」の方について書くと、「優劣を感じるのは人間の本性なので、そうであってもいいじゃないですか」とお伝えしたい。みんな、基本的には、自分のどこかを優劣で見ていて、得意なことを得意だと感じたり、不得意なことを見下す面が「誰にだってある」からだ。

極論になるが、キリンはアリに「自分のほうが大きいだろう」と思ってない。たぶん。人類は比較して一喜一憂するので不便だ。

境界線の話

長くなったので、しんどくなり、ここでブツ切りにすることにした。
最初に「刺激を受けた」方にむけて書いているのだが、刺激になった記事が、あまりに多岐にわたるテーマを含んでいる。

ので、私の悪癖で、話が広がりすぎて、書き疲れた。読者もこれ以上は疲れると思うので、パート2に、続きを書きたい。いったん、ここで閉じる。

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