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バーチャルJK、バーチャルアイドル、そして

2020年9月7日
バーチャルアイドルときのそらは活動3周年を迎えた。

【#ときのそら3周年】わたしの新しいお化粧お披露目します♪【3D生放送】

3周年の記念生放送ではときのそらと共に彼女の衣装の変遷(そしてあん肝の歴史)を振り返り、懐かしさに浸りながら3年間の出来事を回顧した。

そして、かねてから予告されていた新しい「お化粧」のお披露目。
燕尾に施された羽や、胸元や腰元に加えられた金色の装飾が彼女をよりアイドル然として輝かせ、私たちは終始、グレードアップした彼女の可憐さに見惚れるばかりだった。

その後、彼女の手にサプライズとして渡されたのは友人Aからの手紙。
活動最初期からときのそらと共に歩みを進め、そしてホロライブ全体を支える役目を担った彼女が綴る親友としての言葉に、ときのそらも、私たち視聴者も、涙を禁じ得なかった。

涙を拭ったときのそらが最後に披露したのは、彼女の自己紹介曲とも言える『Dream✩Story』の生歌唱。
「これがアイドルときのそら!」を見る者皆に強く見せつけ、記念生放送は大きな熱狂と感慨をもって終演を迎えた。


『アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物」』(wikipediaより)

その定義に照らし合わせれば、ときのそらは紛れもなくアイドルだ。
では、彼女はいかにして「普通の少女」からアイドルになったのか。そして、いかにしてVtuberの世界は「真のアイドル」の誕生を許容したのか――今、改めて振り返りたい。

バーチャルJKとして

――3年という年数は、ときのそらが歩んできた軌跡であると共に、Vtuberという文化の歴史でもある。

2017年9月7日
「バーチャルJKときのそら」がデビューした当時、この世界は数人の先駆者がいるのみの、広大なインターネット上の小さな開拓地に過ぎなかった。箱という概念も無ければ、Vtuberという呼称さえ存在しない。この荒涼からアイドルが咲き誇るなど、誰もが思ってもみないことだった。
誰も気づいてくれない、誰も注目してくれない――そんな世界に足を踏み出した二人の少女は、小さな希望を胸に抱きながら、この世界に一歩ずつ足跡を残し始める。

2017年末、散らばっていた足跡が初めて一つの場所に集合したのは、後に「四天王」と呼ばれる存在を中心に、バーチャルYouTuberがインターネット上で突如話題を呼んだことに起因する。
まだ文化の無いその場所に大勢の人が押し寄せ、バーチャルという物珍しい存在たちを好奇の目で眺めていく――それがVtuberブームの最初の形であったように思える。

「私、本当はアイドルになりたいんだ」

まだ何者でもない、普通の女子高生だったときのそらが親友の友人Aに打ち明けた言葉をきっかけに始まったこの活動も、思わぬ形で人々に注目されるようになった。

「サイコパスシロイルカ」「バーチャルのじゃロリYouTuberおじさん」「首絞めハム太郎」……そんな強烈なキャラクター性や異名を持つ存在が揃うバーチャルYouTuberの世界で、ときのそらに与えられたキャラクターは

「ママ」

だった。

ときのそらがママと呼ばれるようになったきっかけは、配信時の温和な態度や受け答えの柔らかさに視聴者が「母性」を感じた、というところだが、それまで彼女が意図的に「ママらしく」振る舞ったことは無く、急増した視聴者がこぞってママと呼ぶ光景に彼女は困惑を隠せなかった。

しかし、友人Aはそれを「ときのそらを知らしめるチャンス」として捉えた。
生放送中に散見されるママっぽいシーンを抜粋した動画を公開し、興味や話題性からときのそらを認知させ、ファンを増やしていった。
また、流行りのネットミームに疎いという純粋さも人々の心にハマり、汚れたインターネットの世界における唯一の癒しとしても認知されるようになった。
アイドルになりたいという夢と照らし合わせればこれは理想の形ではなかったかもしれないが、何はともあれ、ときのそらの名はより多くの人々の知るところとなった。

Vtuberの世界が文化の体を成すまでは時間がかからなかった。
一過性の流行りとしてすぐに衰退するという懸念もあった中、Vtuberたちは注目の中で自分たちの個性や魅力を見せつけ、最初は興味本位の見物客だった視聴者をファンとして取り込んでいった。
またVRという新しい世界はクリエイターやプロデューサーのような人々の関心も寄せつけ、新たにVtuber事業に参画する企業も見られるようになった。
新しいサブカルチャーとビジネスの形――それは人々の夢と希望になり、Vtuber黎明期と呼ばれるその時代、好奇の目は、次第に期待の眼差しへと変化していった。

バーチャルアイドルとして

2018年になると、ときのそらもバーチャルJKという肩書を越えて、多くのそらともが見守る中で衣装を一新し、活動を次のステージへと進める。
各企業が開催するイベントへの出演、新しい配信サービスの公式配信者としての起用など、多くの企業から案件を持ちかけられるようになり、多忙を極めながらもその一つ一つを彼女はひたむきにこなしていった。
そらともも彼女の配信が告知されればPCやスマホをつけ、イベントに彼女の名前があればできる限り駆けつけて全力で応援し、背中を押した。
新しく誕生したホロライブというグループを背負い、最初期と比較して何十倍、何百倍という単位で増えていくVtuberを牽引する存在となった彼女は、既に「普通の少女」を脱却し、ママというインスタントなキャラクターが与えられるだけの存在でもなくなっていた。

――この時既に彼女はアイドルとしての定義を満たしていたし、「アイドルを目指す存在」であったとしても、アイドルであることは恐らく間違いなかった。だが、アイドルの定義を越えた先にある「真のアイドル」としての彼女を知っている私たちが、彼女をここでアイドルの完成形と定義してしまうことに躊躇してしまうのは、理解して頂けるだろう。
まだ彼女はシングルもアルバムもリリースしていないし、ワンマンライブも開催していない。
何より、連日のイベントや案件で疲弊していく彼女をアイドルとして完成させてしまうのは、少し心苦しかった。

もともと配信者にはアイドルとしての要素があり、実質的には配信者であるVtuberは、ある意味アイドルそのものであると言える。
きっとVtuberの誰もが、そのファンたちにとってのアイドルなのだろう。
だがもっと概念的な「真のアイドル」の存在は、恐らくVtuberという世界に囚われた状態では誕生し得ないものだったのかもしれない。
「真のアイドル」は、もっと大きな世界に存在するのだと。

友人Aは、ときのそらの「アイドルになりたい」という夢を叶えるためにこの活動を始め、それからずっとプロデューサーの立場で、そして親友の立場でときのそらを支えてきた。
ときのそらが多忙によってあまりに表に出られなくなり、憂慮に駆られたそらともに懐疑を向けられながらも、彼女は裏方としてときのそらのために奔走を続けた。
そして発表されたのがときのそらの1stアルバム『Dreaming!』のリリースだった。
このアルバムジャケットには友人Aの草案によるときのそらのアイドル像が描かれており、それは「横浜アリーナの舞台で歌うときのそら」の姿であった。

2019年前後、『Dreaming!』の発売を始め、Vtuberの中でメジャーデビューやアルバム発売、オリジナル楽曲発表など、配信の枠を越えた活動が目立つようになる。
またときのそらもテレビ東京系列ドラマ『四月一日さん家の』の出演により地上波の女優デビューを果たし、Vtuberという呼称は便宜上のものとしての側面を強め始めていた。

ときのそら自身も「もっとVtuberを当たり前の存在にしたい」と述べており、その言葉通り、まだ道半ばではあるといえども、ときのそらはVtuberの大衆化における最前線の存在になったと言える。


――そして『Dreaming!』発売から3か月後の6月27日。
この日、ときのそらは生放送内で自らの思いを涙ながらに語った。

「みんなの理想というか、Vtuberとしてのときのそらっていうイメージに私が合わせるとかではなくて、私が思うときのそらとして、行きたい道に進みたいです」

この時私たちは、知らず知らずのうちに彼女に理想を押しつけていたこと、そして彼女の中にはもっと大きな理想があることを知った。
黎明期にVtuberとして注目され、それからこの世界を牽引し続けてきた彼女だからこそ、Vtuberらしさと自分らしさの乖離は大きかったのだろう。

Vtuberはエンターテイナーであり、アイドルであり、人格である。そしてVtuberはその肩書きにとらわれないもっと大きな存在になれることを、彼女は自らの決断をもって示したのである。

――そして同日、ときのそら1stワンマンライブ『Dream!』の開催が発表された。

2019年10月6日
『Dream!』開催当日は共にVtuberの世界を生きてきた仲間や、音楽に注力して活動する仲間など、多くの友人からメッセージが寄せられた。
中でも私が個人的に強く印象に残ったのは、電脳少女シロの「そらともの皆や仲間と共に、そらちゃんの願う世界を作ってください」という言葉だった。
同じくVtuber黎明期に活動を開始し、やがて沢山の後輩を持つようになるという共通点があるからこそ、目には見えない強いシンパシーのようなものが存在するのかもしれない。

人前に立つときのそらは、緊張を見せることが多かった。
新衣装お披露目の時や、銀河アリスとのツーマンライブである「TUBEOUT!」の時も緊張に駆られていたことを、今でも覚えている。
だがいつしかその緊張も見られなくなった。
ステージに立つときのそらはアイドルそのもので、それは『Dream!』の舞台に立つ彼女も同様だった。
Vtuberがアイドルらしいことをしているのではない。存在そのものがアイドルなのだ。

私がアイドルの定義を更新するなら、「ステージ上で見せる憑依的な神秘性」という項目を付け加えたい。

ときのそらのアイドル性が人々の認識の中に定着した日を明確に定めるのなら、この日こそが相応しいのではないかと、私は思う。


――ときのそらが自らの道を決定したのと同時に、友人Aもまた、今までとは違う自らの道を歩み始めた。
ずっと付きっ切りだった二人が互いに自立し、ときのそらは友人Aの助け無しでも配信を成立させられるようになり、友人Aはときのそらだけでなくホロライブ全員の夢を叶えるための活動を始めた。
そんな二人に、私たちは青春のような感慨を見出していた。青春の時期から大人に変わっていく少しばかりの寂寥も含めて。
しかし、目の前からは見えなくなっても、変わらないものは確かに存在する。それは3周年記念生放送の、友人Aからときのそらに宛てられた手紙を見れば明らかだ。

「自分から曲を作ったり、ホロライブのみんなに凸したりしているそらを見て、ほんの少しだけ寂しい気もするけど、それ以上にとても嬉しいです。私も私で安心して自分の仕事を頑張ろうと思います」

そして

――Vtuberという文化が生まれてから約3年が経過し、感じるのは、Vtuberの人々がVtuberであることに囚われなくなったことかもしれない。Vtuberという呼称に代わる独自のものが用いられ、そしてそれが受け入れられるようになり、バーチャルとリアルの双方向的な関りも増えて隔たりが薄まってきたように思える。
Vtuberの番組が地上波で放映されるなど、大衆の目に触れる機会も増え、先は長くとも、バーチャルが世間の中で当たり前になる時代はいつか到来する筈だ。

ときのそらは3年間の月日でVtuberの世界をより自由で広大な活動の場に成長させ、そして自らも大きなアイドルに進化した。
沢山の喜ばしいこと、悲しいことが起こる世界の中で、私たちはいつだって彼女が放つ自由な輝きを求めている。

アイドルは世界を救う。私はそれを信じている。