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他人軸・自分軸

昨日、同居する義母の物忘れ外来受診に付き添い、思ったことを書く
(完全に私の思い込み投稿である)


医師からの問診で、義母は現在のことをいろいろ聞かれた

・何人で暮らしているのか
・どこで生まれ育ったのか
・何人兄弟の何番目か
・何時に起き何時に寝ているか
・普段は何をして過ごしているか    etc…


これはほんの一部であって、本当に細かく聞かれた
その中に、「ご主人は〜」という質問がいくつかあった


そこで私がびっくりしたことは、自分のことを聞かれている時には、肩が落ち目もうつろだった義母が急にイキイキと語り始めたことだ
ただ、義母が語っている義父は少し前の元気だった頃の義父の話にも感じた


先に書いたように義父についての質問は2、3個だったと思う。
先生にとっては、義母の生活の中の一つのピースの質問のつもりだったのだろうけれど、義母はそこから抜け出せなくなった。


どういうことかというと、義父についての質問が終わり、義母のことに質問が移ったにもかかわらず、自分のことを聞かれているのがわからず、ずっと義父についての質問だと思い質問に答えていたのだ



途中で、「お義母さんのことを聞かれてるんだよ」と注釈を入れてみたら
「え?私のことかよ?」(って、今日はお義母さんの診察だからね)とかなり驚いた様子


・・・が、自分への質問となると答える速度が急に遅くなる
「どうかな?どうだったかな?」と探り探りの答え方
自分のことなのにである


あの意気揚々と義父のことを語っていた義母が嘘のようだ
これは、義母が義父のことを大好きだとか愛しているからというノロケ話ではない・笑



私が思うに、義母がどれだけ義父を優先して生きてきたか
優先というと聞こえはいいが、その実、義母は義父に依存し義父の人生の中で生きてきてきたのだ



もちろん、時代背景や義父母の性格や育ち方などもあったとは思う
でも、今の言葉で言うと義母は「他人軸」で生きてきたのだ
だから自分のことを聞かれても良くわからない
義父のことを聞かれると喜んで話す(よくわかるから)


これは、私たちの将来のためにもシェアしたい
「自分軸で生きる」と最近よく耳にするけれど、自分のことをわかっていないとこうなるのだと見せられた気がした


義母は昔、美容の勉強をしたいと義父に言ったことがあるらしい
その時に、反対されたのを機に何も望まなくなったと話していたことがある


そういう時代だったのかもしれない
一度反対されたら諦めるくらいのことだったのかもしれない





でも、そこで自分の意思を封印したことで、人の人生の中で生きるようになってしまったように見える義母をみて、やっぱり自分の人生は自分で生きなければと教えられた気がした


義母の尊厳のために書き加えると、義母は今の自分を「幸せ」と感じている
それが救いでもある



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