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僕の獅子舞日記 第百三十話【AorB】

第百二十九話「最悪のドライブ」

安念さんは話を続けた。

「イチから作り直すとなるとな。でもこれも今のところ顔面のヒビだけで、割れとるわけじゃないから、使えんことはないわ。とりあえず応急処理でヒビのところにうまいこと接着剤つけておくけど、祭りの本番ちゃいつけ?」

「日曜日です。」

健人が答えた。

「一時間ちょっとくらい経ったら、またここに取りに来られま。完全に固まるまでに時間かかるから、日曜日の本番までは動かさんとってくれっけ?」

「わかりました。」

「あの。ここでその応急処置をしてもらったとして、そのまま使い続けて問題ないのでしょうか?」

通くんが尋ねた。

「うーん。ほんまに応急処置やからの。今年の祭りで使う分には間に合うとは思うけど、あとは時間の問題やわ。これ見た感じ、何回か落としとるんやないか?っちゅう気いするけど。」

安念さんが健人の方を見て言った。

「ええ、はい。やっちゃってます。」

「そうなの?」

僕も健人に訊くと、彼は僕をちらっとだけ見て頷いた。

「落としたの、俺で三人目らしいよ。」

「まじでか。」

「それでなくても三十年使っとればそうなるわいね。むしろ良くもっとるほうやわ。ここまで大事に使ってくれて作り手としては嬉しいわいね。」

獅子頭の耳の部分に優しく触れながら、安念さんはそう言って僕らに笑いかけた。

応急処置を施してもらっている間に、僕らは近くの喫茶店で昼食を取ることになった。

喫茶店には入り席に着くや否や、通くんはメニューにさっとだけ目を通し、僕らの方を見て言った。

「ごめん。ちょっと電話してくるから、ランチセット適当に頼んでおいて。同じやつでいいから。」

「わかったよ。飲み物は何がいいとかある?」

僕が尋ねると、彼は「アイスコーヒー。ミルクと砂糖はいらない。」とだけ言って席を立った。

去っていく通くんの姿を見ながら、健人が口火を切った。

「昨日の音羽の具合悪かったのって、もしかして俺のせい?」

「え?」

「俺が獅子を落っことしたあたりから、なんか調子悪そうだなとは思ってたけど。」

「あー。うん。なんかね。僕も良くわかんないんだけどさ。」

僕は適当に誤魔化したところで、店員さんが注文を取りに来たので、僕がAランチセットを二つ頼み、健人がBランチセットを頼んだ。

AがポークカレーでBがハンバーグだった。

「でも獅子落としたのがなんでアイツの体調に繋がるわけ?祟りか?」

健人は本当に訳がわからないと言う顔をして僕に尋ねた。

「う、うん。祟りかもね。ところで健人はさ、東上塞の男女にまつわるジンクスのことは知ってる?」

「ん?なんか聞いたことはあるけどな。獅子舞に参加してる男女は結ばれないとかなんとかだっけ?」

「やっぱり知ってるんだ。」

店員さんが先にドリンクだけを運んできたので、僕らはそれを受け取った。

健人がコップに入った烏龍茶を一口だけ飲んだ。

「つってもさ、たまたま町内で恋愛関係に至らなかっただけじゃね?それが単に何十年も続いたっていう感じでさ。鈴木くんと結以ちゃんが別れたのも、一組くっついて別れたからといって、そのジンクスに貢献した訳じゃねえよな。」

「なるほどね。そういう考え方もあるね。」

「だろ?」

そこまで話したところで、通くんが店に戻ってきた。

「カレーを頼んだけど、よかった?」

僕が訊くと、通くんは一度だけ頷いた。

「ここ喫煙らしいから、アイコス吸っていい?」

僕と健人が「どうぞ。」と言うと、通くんは電子タバコのスイッチを入れた。

「もしかして、今日急に仕事を休んだから、会社に連絡してたとか?」

「違う。音羽。獅子のこと心配してたから、向こうにの会社の昼休みの時間に電話入れようと思ってて。」

「へえ。」

僕が相槌を打つと、通くんは窓際の席で外を見ながら口から煙を吐き出した。

「てかお前さ、なんでいきなりジンクスのことを俺に聞いたの?アイツの体調の話してたんだよな?」

健人が再び僕に尋ねた。

「ジンクス?」

通くんが電子タバコを手にしたまま言った。

「え?あ~。その、健人が祟りとか言い出すからさ、思い出したんだよ。」

僕があたふたしながら答えると、通くんが「何、ジンクスって?」ともう一度僕に向かって訊いた。

「知らない?東上塞の獅子舞に参加する男女は」

「お待たせいたしました。Aセットのかたは~?」

店員さんがトレイを手に持って僕らの席にやって来た。

「あ、こっちに置い」

「男女は?何?」

僕が店員さんに言い終える前に、通くんが遮るようにしてまた僕に尋ねた。

顔は無表情だが、眼鏡の奥の視線から微かな苛つきが垣間見えた。


「結ばれねえんだって。」


健人が代わりに答えた。

彼もまた真顔で、山場に家中の粗大ゴミを投げ捨てるような言い方だった。

ここで少しの沈黙が流れた。

「Bセットの方もただいまお持ちしますので、少々お待ちくださ~い。」

店員さんはにこやかに言いながらも、僕らの険悪な様子を察知してか、その顔は明らかに引きつっていた。

第百三十一話「幸先悪すぎ問題」

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