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2024.07.01

 他法人に赴き、1日実習をさせてもらった。
 朝から山手線がホームドア確認で少し遅れ、東京に引っ越してくる前に通勤で使っていたルートのはずが乗り換えるたびにホームのちょうどいいところ(階段・エスカレーター付近)に降りられず、そのせいで遅刻してしまった。道中の雨と蒸し暑さが鬱陶しかった。
 実習自体は、人見知りの私にしては早いうちに馴染めたと思う。が、「職員の実習生」としてどういう力加減で臨むのが適切か探りながらの実習となったのでその調整で疲れてしまった。例えば、手持無沙汰になっている利用者へ次の作業への促しをしていいのか(本来は職員の仕事であるし、今日初めて会った人間に指摘されたら利用者のプライドが傷つくかもしれない)とか、利用者の気分を害さない話題選び(体調の話、成育史や家族の話、暮らしぶりの話……その辺を話してもらえたら話も広がるが、こちらから尋ねてしまうと1日しかいない分際で踏み込みすぎる可能性がある)等。利用者の方からいろいろ話してくれたときはほっとした。

 帰り道、旧Twitter「X」か何かでとあるワードを見て、一昨日の夫と義母のやりとりを思い出してつらくなってしまった。もう一歩二歩進行したら過呼吸になるかもしれない。そんな予感がした。家に着いて夫や子どもたちとしばらく過ごしたらそんなことは忘れていたので、時折こうして揺り戻されながらも少しずつ薄まっていけばいいと思った。
 それにしても、このねっとりと「嫌な感じ」が残る感じ、義母は私が思っていたよりも関わるのが大変な人かもしれない。今は全部真に受けてしんどくなっているが、夫と協力して、義母には悪いし本当に言葉も悪いが「面白がっていなせる」くらいになりたい。

 先日、夫に「私と結婚して良かったか」と尋ねてみた。結婚前というか私と出会う前は心の拠り所だったらしい義母と年々話がかみ合わなくなっている要因の一つが私と過ごした時間である気がして、引き離された悲しみが今の生活の幸福度を上回っていたら申し訳ないと思ったのだ。
 夫は食い気味に結婚して良かったと答えた。私とは話がトントン進んで楽なのだと言う。「梔子は男脳なところがある。決断が早い」とも言われた。
 決断の早さ、物事をあいまいにしておかないのは、仕事で利用者を混乱させないために「明確に、簡潔に」を心がけていたところから端を発したものと思われるが、年々この傾向は強くなっているように思う。そういえば数年前にとある研修内でやってみた心理検査(エゴグラムか何か)でも、父性的な面が強く出ていたような記憶がある。何かと話題のMBTIでも「F(感情的)」だったところが最近は「T(思考的)」という結果が出るようになった。
 家庭内に父親的価値観の大人しかいない、というのは、子どもたちにとってどうなんだ、という気もしないでもないが……実際どうなんだろうか。

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