ミッドなフォーティ40代。あきらめられるって、ほんとラク。
シジューを過ぎてもうだいぶたった。アラフォーというのもナンな、ミッドフォーとでもいうのだろうか。
まあいい。
体力は落ちるし、なんか体調イマイチだなーなんて日もままあるし。これぞ中年よ。
シジューになったばかりの頃は、
「40っておばさんだと思ってたけど、全然そんなことないわ。自分の事おばさんって思わないし、他人から言われたら『はあ?』ってなるわ」
こんなふうに思っていた。驕っていた、か?
ともかく若い気でいたが、43歳になって間もないある日。
駅のホームを歩いているときに、ふと
「あ、私もうおばさんだな」と実感した。
それはとても深く、トンと腑に落ちる感覚。
「おばさん」。
もっと素敵な響きの新しい言葉が生まれないかとは思うが、まぎれもなく、
「おばさん」。
おばさんを受け入れてから、さらに時は流れ、ずいぶん楽になったことに気づいた。
いちいち無理しなくなっていたのだ。
おしゃれなメーカーの調理器具やら、雑貨やら。
「憧れの人が使っているこのメーカーのこの商品を自分も買いたい!」みたいな衝動は、とんとなくなった。鍋はウチにある子が十分仕事してくれてるし、飾るわけでもないし。
ライフログをきれいにつけている人のインスタを見るのは好きだが、自分にはできないと分かっているので最初からやらない。
いろんなこと、いい意味であきらめている。
あきらめられるってラクだ。もう無理しなくていいんだもん。
年をとって、自分のことを知ったからなんだろうな。
「オシャレな人の真似してモノを買っても一時的なうれしさだよ。あんたの性格じゃ、ライフログ続かかないよ」
こんなふうに、頭の中ですぐに冷静な自分が突っ込んでくれる。
ラクだあー。
若さと引き換えに、あきらめられる幸福を手に入れた。
60代、70代。
もっとラクになるのかな。
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