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自分にかけた他人軸の呪いが、自分を苦しめてきたっていう話

思えば私は、「無理をして働いてきたなあ」としみじみ思う。ちょうど先程、請け負っている転職サイトの原稿をかきあげたところ。

テーマは「無理をしない働き方」について。

無理をしてしまうって、一言で言ってしまえば「他人の目を気にしすぎる」ってこと。いつからこんな働き方をするようになったんだろう。

ことの始まりは、娘が小学2年生になったときに、「学校に行っている間だけ」と思って始めたファミレスのパートだったように思う。

その前にもフリーのライターをしていたが、毎回応募する労力とか、将来性の不透明さから、パートで安定収入得たほうが得策だと思って、始めた。

このとき、びっくりするほど厳しい先輩パートたちにしごかれた。「はじめてやることだし、何度か経験しなけじゃできるはずないだろ」と思うことも、一度教わってできないと、こっぴどく怒られた。


そんな職場、すぐに辞めれば良かったのかもしれないが、このとき、私の【無理するスタイル】が発動した。

「すぐに辞めたら、なんか恥ずかしい」

「お客様として来店したママ友に、失態とか見せられない」

こう思った瞬間から、「無理してでもやれるようにならなくちゃ」という呪いにかかったのだ。

幸い、仕事はできるようになり、怖い先輩方は新しい店長とぶつかって次々辞めていった。その店長がまた曲者だったのだが、新しく入ったスタッフや元からいるキッチンスタッフの人達とはとてもいい関係が築けた。

がしかし、ここでも【無理するスタイル】が発動したのだ。後輩であるパートちゃんが、ものすごく優等生で積極的だったのだ。「私、追い越されたら恥ずかしい!」と思ってしまった。そんなもんだから、無理して頑張って、無理したかいあって、追い越されずには済んだ。

けど、自分は疲弊していったと思う。


さて、数年働いたあと、私は転職をすることにした。大手企業の事務職だ。元々、子供が大きくなったらフルタイムで働いて厚生年金に加入したいと思っていた。本当はキャリアコンサルタントの資格を活かして見つけたかったのだが、最初に受けて受かったし、何となく流されるままそこに決めることにした。


ここで、友達からの一言が私を呪いにかけた。

「ようやく、自分にふさわしい場所に行くんだねー」

私は、進学校を出てそれなりの4大を卒業した。にもかかわらず、地元の小さなタウン情報誌の会社に就職した。そして、主婦になってからはファミレスのパート。

私の経歴を知る彼女は、ようやく学歴にあった職場に行くんだね、良かったね、という意味で言った。

この言葉を聞いた瞬間、

「あ、私、次の会社辞められないな」と思った。

「そうか、今まで自分は学歴にふさわしくない場所にいたんだ。そう思われてたんだな。せっかく自分の経歴にふさわしい場所に行けるんだ、辞めるわけにはいかない」こう思ってしまったのだ。

あともうひとつは、ファミレスのときと一緒で「すぐに辞めるなんて、人に知られたら恥ずかしい」

ファミレスのときもそう、次の大手企業のときもそう。

私はいつも、「他人から自分がどう見えるか」を基準にしてしまっていた。


なんでだろうか? 思えば、学校選びもそうだったと思う。

いつからだろうか? 考えてみれば、小1のときまで遡ったエピソードがあるが、それはここでは割愛しよう。


呪いをかけているのは、自分。

他人基準で見てしまうのは、自分。

他人の目をこれほど気にする人間である私。

もちろん、苦しい。こんなのは、嫌だ。


今後の課題は、
「他人の目」だと自分が思い込み、勝手に呪いにかかってる自分を自覚して、呪いをといていくこと。
そして、
無理をしない働き方を選ぶこと。

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