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わたしにとっての読書の意味

 わたしにとって”読書”という行為は進化・成長のための営みである。

 読書をして自分の内面が後退することはないと思う。

 というのも、内面の成長のためにできることを考えたときに真っ先に思い浮かんだのが”読書”だった。
 実際、読書を積極的に始めるようになってからわかることが増え、周りの人の話題についていけるようになったり、自分の内面に湧き出た考えを自分で言語化することに躊躇いがなくなった。
 表現することに対しても、積極的になることができた。

 アウトプット(表現)のためにはインプット(読書)が必須であり、イン・アウトの一連の営みはワンセットであることが、Twitter・noteでの活動を通して確信に変わった。

 こうして過去の自分を振り返る機会をよく設けているが、これは無駄な行為ではないと考えている。過去の自分の決断・決意がなければ今の自分はないのだから。

 昔の自分より、すこしは成長していると思う。誰かに言われなかったとしても、わたしが知っている

 わたしの努力は自分が一番知っているし、一番傍で見てくれているのは自分だ。

 自分のことがどんなに嫌いだとしても、死ぬまで自分が傍に寄り添うしかないのだ。そのことから目を背けることはできない。

 その事実を逆手にとってポジティブに変換できる人間が、きっと心地よい毎日を送ることが出来ているんだろう。