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頼りにしてた同僚が退職した話

10月の終わり、頼りきっていた同僚が退職しました。
同僚の名前は @jitsuzon と言います。


私と @jitsuzon の関わりは、ふんわりtwitterでつながっていて、なんかセンシティブで尖ってるアニメアイコンの人いるなー、という感じで眺めていた記憶から始まります。

あるとき「@jitsuzon 知ってる人、飲みに行こうよ」という先輩の誘いで飲みに行ったら、インターネットのセンチメンタルな顔とは違ってバリバリした感じの社会性ある青年(ジャケット着て腕時計してる)が来て、気づいたら後日先輩にヘッドハントされてて、隣の部署でディレクターとしてバリバリ働いていました。

一緒に仕事しはじめたのは、新規プロジェクトの立ち上げからで、かれこれ2年半くらい前になります。そのプロジェクトで生まれたのが、のちの「SUZURI People」です。


まあとにかくこの @jitsuzon という人は、仕事の能力値が高い上にコミュニケーション能力もある人で、かつ熱い想いをブラさずに掲げ続けることができる人でした。

誰よりも「クリエイターを支援する」ことの意義を信じ、言葉にし、チームを牽引しつつ、プロダクトに対して的確な判断を下すことができるので、チームのメンバーは安心してついていくことができました。

センチメンタルな側面も持っていて、個人活動で書いている短歌も私は好きでした。文学フリマ出展用の合同誌の表紙を描かせてもらったりと、個人的な表現活動でのコラボレーションをしたこともあります。


個人的な感覚値を理解し、微妙なニュアンスの意思疎通を図ることができる点でも、感覚的な言葉で話してしまいがちなデザイナーの私にとっては、とてもコミュニケーションの取りやすい相手でした。

@jitsuzon のそういった力は SUZURI People だけでなく、本体の SUZURI でも遺憾なく発揮されていて、誇張ではなくチームの要になっていたように思います。


「 SUZURI チームの中でこの人なら信頼できる!という人はいる?」小さい飲み会の中でこんな会話になったとき、私は @jitsuzon を挙げました。

その頃すでに SUZURI People は、日本の支援市場がなかなか成熟しない中で伸び悩み、開発に当てられる工数も関わる人数も少なくなる中で、 @jitsuzon と私は打開策となるような機能や改善を日夜考えていました。

その中の1つが「質問機能」で、これは「通常のイラスト投稿などの発信に比べて反応が薄く、自身のファンクラブについての認知を広げる発信が続かない」という課題や、「支援者は、支援していることに満足していつも通りSNSを眺めており、クリエイターが期待するようなSUZURI People上でのコミュニケーションがなかなか発生しない」という悩みを一挙に解決するためのアイデアでした。


この機能を限られた工数で形にするため、ユーザーに利用してもらうためのディテールを私の方で作り上げ、 @jitsuzon に相談して判断を仰ぐという形で全体像を固めていきました。

最終的な判断を完全に任せて進められたのは、「この人は、同じ軸を見ながら、伝えたいことを誤解なく理解した上で、的確に判断してくれる」という絶対的な信頼が土台にあったからだと思います。
その信頼は一朝一夕でできるものではなく、 @jitsuzon 本人が築き上げてきたものがそうさせたのでしょう。


そんな @jitsuzon が、新しいクリエイター支援に挑戦するために退職することとなり、私は「 @jitsuzon がいるから大丈夫」と、あらゆる部分で頼りきっていた自分自身に気付かされたのでした。

こういう部分は苦手だけど、 @jitsuzon が得意だから大丈夫。こんなことで困っているけど、 @jitsuzon に相談できるから大丈夫。組織の課題に対してうまく意見できないことがあるけど、 いつも @jitsuzon が建設的な提案をしてくれるから大丈夫。

そんなふうにいつも頼って、自分は自分の得意な方面で力を発揮できれば大丈夫、という幸福な状態が、「みんながそう在ることができるように回してくれていた人」がいなくなってしまうことで、手放しでは続かなくなるということを実感しました。


今週、SUZURI People が機能提供終了のお知らせを出しました。


提供終了が決まり、開発メンバーに共有された時、私が感じた苦しさは以下のようなものでした。

「決定に対してもう打開策を提案することができないとき、ただ感情を言葉にすることに意味がないとわかっていたとしても、誰かがサービスやユーザーを思って怒らなかったら、悲しまなかったら、 @jitsuzon がいない今、誰がそうするのだろう」


その場で少し怒ったような口調で話した自分が、上記のような思いでどこか役割を演じているという状況を、少し俯瞰して見てもいたように思います。

決定的な瞬間に場を引き受ける、ということを、無意識に多くの人が誰かに委ねていて、それを引き受けてくれる誰かは、「言語化されない仕事をしてくれていた」と言えるのではないかと、このとき深く気付かされました。



@jitsuzon がいなくても、月日は巡り、相変わらずやるべき仕事や解決したい課題がやってきます。

「@jitsuzon がいてくれたら、」と思うシーンも、困難を乗り越えるたびに段々変質してきて、今では、「@jitsuzon ならどうする?」という言葉が頭に浮かぶようになりました。

私は @jitsuzon と同じ能力を持ってはいないし、同じ価値を形づくることはできないけれど、共に働いていた時間の中で見せてくれた姿勢や手法から学んだり、思い返して活かすことはできます。


頭の中に姿を残すこと。姿勢を見せてくれること。同じ課題について、一緒に思考したこと。精神の型のようなものを残していってくれたこと。

一緒に働く時間が過ぎても、多くのものを残していってくれてありがとう。自分はまだそんな振る舞いができているにはほど遠いけれど、そんなふうになれたらとても素晴らしいなと思います。


最後は SUZURI や SUZURI People でライティングもしていた @jitsuzon が、SUZURI People の中に残した言葉で締めくくろうと思います。


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この記事は SUZURI Advent Calendar 2019 の 18日目でした。

明日は現在進行形で頼りにしているリードデザイナーの @putchom です。
SUZURI は本当に人に恵まれてるんだよなあ・・・。

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