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本当に黒いやつほど 聖人みたいな顔をする・・・。

「実験台なって!」 
私はよく使う言葉だ
まだ、完璧でないそんなもののときに よく使う。
自分で 実験した上で使う。

ある時 私よりも 未熟な技術だというのに
どこからその自信が くるのか知らないが
「実験台っていう表現が嫌」と言われた事がある。

まだ未熟なものとしては 実験台になってください
は相手に伝えておくほうがいい情報だと
私は思っている。

セッションさせてもらって 成長している過程だと
自分が認知してるなら なおさらだ。

明らかに お茶会や 安く開催している
復習会みたいなものにおいて
主催 本人の知識の 技術のレベルアップを目的にしていたり
明らかに その効果が出ているのに
もう プロみたいな顔で・・・
まだ中途半端な技術 知識を
ほんまもんみたいに 
集客するほうが 悪どいやん・・・・

私はそう思っている部分があって
実験台なって! とか 勉強させてねってスタイルを
表にださないで
明らかに 知識の搾取に近いものに参加しなくなった・・・。

最初から そういう目的だよって言ってくれる場には
参加するし 持って帰れるものあるなら
全部お持ち帰りください!の姿勢になる。
わたしも そこで バージョンアップするような
色んな経験や体験 時間をガッツリ吸収するって姿勢で挑む。

ただ・・・・気づいた事がある

「実験台になってください」といいたくない人ほど
実力が足りてない事を自覚していないということだ。
占いや セラピー 最低限の知識だけ手に入れれば
もうプロで磨く必要がないと思っているのかもしれない。
まだもっと もっと技術を向上させていく そのことすら気がつけないほど 未熟すぎて
プライドだけが先行している
そういう人なのかもしれないなと 思う
自分の実力を知らなければ 知らないだけ 無邪気に言えない 
その言葉を使っている人を見ると 引っ掛かるのかもしれない。
それは、人に提供するのに 全く事前検証しないで試すという 
人に提供するなら 十分自分で出しても大丈夫を確認してから出すって前提が自分にないからというのもあるだろう・・・・。
前提 最低条件すら抑えてないから 拒否感が出るのかもしれない 
未熟なうちにかっこつけてどうするねん?って感覚が 掴めないってことだろう・・・。

この感覚と おんなじ感じなんだよ

悪い顔を人に見せない人ってのは
悪い顔がないわけではない
もしかしたら 見ている世界が小さいかもしれないってのはある
聖人の顔をし続けられるということは
聖人ではない顔を避けれているってことだ
その道を避けられるということは 
実は知っている
どうしたら いい人に見られるのか 
どう見せたら 悪人の面を 人に見せないで済むのかを・・・。

ならば 本当は 黒いやつかもしれない
誰しもに いい顔しか見せない 聖人顔しか見せない
ってのは 知ってなければできないのではないだろうか?

私も 聖人みたいな顔で 近づくのだがね

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