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色褪せたもの

小学校の教科書を手に取った
色褪せた 国語の教科書だった。
小学生時代のわたしは、新しい教科書をもらうと
全部最初に読んでしまう子供だった
だからと言って 勉強はできない。
ただ、新しい教科書を手にしたら 真っ先に読んでしまいたい衝動に駆られた。
文字が読めるようになってからの話だが
そんな 小学生時代の自分を思い出しながら ひらがなだらけの教科書を読んでいた。
「捨てる本はこの段ボール箱に」と母が段ボールを持ってきた。
父が亡くなって 7年 母も高齢になって自分のいなくなった後のことを考えて いろんなものを捨て始めたのだ。
しれっと捨ててしまえば良かったのに なんでこんなにこの部屋に押し込めておいたのだろう?
小学校時代にいい思い出などないことを母は知らなかっただろうか?
わたしは小学校の頃からいじめにあっていた。
卒業シーズン みんなに回したサイン長も ぐちゃぐちゃにして返されたりもした。
その延長で 中学でもいじめられ続けた。
高校でもそれを知っている人からは 距離を取られたし、いい思い出など学校にはなかった。
卒業式に泣いているのを見て 「え?泣くんだ、あんな状況でも最後は泣くんだ・・・。」と言われた場面をわたしは忘れていない。
いじめられていても 卒業は悲しいものである。
べつの男子生徒から「嬉し涙なんじゃない」と笑われた。
いじめられてたことを認知していて、嫌がることをしてきたという認識が彼らにはあったということだと今は冷静に思える。
もう会うこともあるまい!そう思っていたが
その日の夜 わたしの携帯に小学校の同窓会の案内がやってきた。
参加するかを考えて とりあえず回答を保留にした。

予定があるから欠席で!そうさっさと回答すればいいのに 保留にしてしまった・・・。
誰がくるか 確認してから 決めようとおもったのだ
会いたい人がいるわけでもないし、共通の話題があるわけでもない
ただおんなじ年で近くに住んでいただけの人たちわたしに会いたいと思ってくれる人などいないだろう。
なのになんでわたしは 保留してしまったのだろう?
そうおもったのはそのときだけですっかりそのことすら忘れていた。

いつだったか確認していなかったがそろそろ締め切りというタイミングで参加確認に用意されたサイトを見に行った。
一通り名前をみて 参加をやめた。

わたしは 小学校のサイン帳ををぐちゃぐちゃにして返してきた 彼の名前を探していた。
あれから卒業してから 一度も会っていない彼の名前をわたしは探していたらしい。
どんな顔だったか どんな声だったか どんな喋り方だったか 全然覚えてもいない その人を
破って捨てた人もいた中で ぐちゃぐちゃにしても
返してくれた 彼の名前をわたしは探したのだ

会って何があるわけでもないけれど
わたしの心には彼がまだ住んでいるらしい。
もうあの頃の気持ちは 覚えてもいない
違う記憶に書き換えられていると思う それでも消えなかった一人のクラスメイトどこかでまた私たちは
同じ時間 同じ場所をえらべるだろうか?
色褪せた教科書を段ボールにいれたように、昔を懐かしんで、本当にさよならをできる日をえらべればいいと思うのだ
もう 名前を探さなくてもいいように・・・。

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