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(エッセイ小説)イカの幸せ、私の幸せ

明太子クリームパスタの中に入っているイカとの対話。
設定は現実に起きたことに基づき、対話は脳内の空想会話ですが、
最後はまたエッセイに戻るので、エッセイ×小説になりました。
でも、食べ物に関する考え方は9割事実です。

**********

真夏の昼下がり、私は都内某所、個人経営のレストランへ同僚達と向かっていた。

週に1回必ず同僚達と行くことになっている、味も盛り付けもボリュームもレベルの高い、知る人ぞ知るイタリアンレストラン。私が毎回注文するのは「ローストビーフ丼」だ。昼のメニューの中では一番値段が高いのだが、ハンバーグ定食では午後に胃がもたれてしまうし、何より旨味が何層にも重なって絶品であることは間違いない。それから、個人的な理由で8種類以上はあるかと思われるパスタは選べない。理由はちょっと特殊な事情*だが長くなるので、記事の一番下に記載しておくとする。

とにかく、私は普段「パスタを全く食べない」のだ。
だがほんの数日前、私は本当に偶然、「パスタを食べ」ることになった。
そこから全てが始まってしまった。

理由は、運命の悪戯というか、PayPayの引き落とし先の預金残高不足だった。周りに銀行もATMもない。つまり完全な準備不足。後50円で私はローストビーフ丼が食べられた。結局、値段が数百円安いパスタを選ぶことにする。同僚が以前美味しそうに食べるのを見ていたので、まあ今日だけはいいかと、私はPayPay残高ギリギリで買えて、あっさりしていそうな「イカの明太子クリームパスタ」なるメニューを頼んだ。

10分ほどして、私の目の前に運ばれてくるパスタ。ボリューム満点で、何よりもピンク色の明太子スープに映えるホウレン草の色が鮮やかで、美味しそうで、ふんだんに使われるイカも美味しそうで……。

可愛かった。

とっても、可愛らしかった。

小さなイカが丸ごと8匹ほど入っていた。
予想していたイカの輪切りとは違う、小イカの裸体が。
そこで彼らは生きてると思った。死んでいるに決まっているのに。
目も足も体も全部そのままあって、そこに横たわっていた。
ぷるんぷるんの柔らかいイカ肉が。
全部で目が16個あって、こっちを見ている。
普段、生き物が生きている時の姿のまま食べることはあるだろうか。
鮎の塩焼き?海老の踊り食い?野生の昆虫食?
ああ、そうだった。ずっと昔に食べたことがあった。
あの頃は幼くて、生き物を食べているという感覚の前に楽しい経験としての感情が勝っていたことを思い出した。でも可愛いなんて思わなかった。
手のひらに3匹は収まりそうな小ささと黒くてまだ光のある目だけが異様にパスタの中で浮かび上がって見える。

どうしたのだろう、今更生き物を食べる前に動揺するなんて。
今更、3年以上ヴィ―ガンを続けている友人のように私がなれるわけはなく、勿論菜食主義でもでもない。寧ろ毎日、肉や生き物から取れるダシなどは摂取しているはずなのに。

ただ、姿形がまるで「生きたままの姿」で、
ちょっと小さくて「可愛い=可哀想」だからって、今更何罪悪感を感じているんだろう。私はとうの昔に、アメリカの有名なドキュメンタリー "Food. Inc"という番組で、鶏たちが歩けなくなるまで太らされて、出荷される頃には肥満で呼吸器系がやられたり、免疫力が下がって集団感染によりバタバタと死んでいく姿を見てなお、私は鶏肉を食べているじゃないか。食べられる為に生まれて、食べられる為に育てられる動物を。食べられる前に死に、生き延びても死ぬ。彼らに勿論痛覚はある。イカやタコも、魚類とは違い、痛みを感じるのを私は知っていた。駄目だ、考えちゃだめだ、今まで散々食べてきたでしょう?

なのに、どうしてこんなに可愛いと思ってしまうのだろう。
可愛いという感情は、どこまで傲慢なんだろう。
水族館にいる観賞用じゃないのに。
YouTubeに上がるペットの動画じゃないのに。

私達は、イカを水族館では「可愛い」と愛で、食卓では「美味しい」と言って食べる。
水族館では、サンマやクロマグロの大水槽の前でしばらく見ていると、ちらほら「なんか美味しそう」「お寿司食べたくなっちゃった」という声が聞こえるようになる。美味しそうに見えるのは事実だ。

生きる為に食べなきゃいけないからね……。

ああ、もう本当に、ごめん、私、あなたを食べなきゃいけない。
すごくお腹が空いてるから。午後元気に働いて、お金稼いで、生きる為に。それに、空気読まなきゃ。同僚に囲まれる中で私一人、今更ライスだけでいいですなんて、言えないよ。

それでも、私はいじいじと行儀悪く小イカをつつき、全然食べられないでいた。

「はあ……またそういうパターンかよ」

声が聞こえた気がした。

私:(誰か今……)

イカ:「ここだよ、君が今フォークで腹を突き刺そうとしているイカだよ」

私:「え!? あの、何で私に話しかけているんですか……私、頭がおかしくなっちゃったのかな……」

イカ:「いや、君が僕をいつまでたっても食べないからさ。何?今更罪悪感感じてるの?この僕が可愛いから?早くしなよ。僕たちは、段々冷めていくし、それに君の同僚が更に冷めた目で見てるよ」

私:「……」

イカ:「ハイハイ、またそういうタイプの人間がやってきたか。ま、僕たち「ヒメイカ」は可愛いもんね~。小さくて丸くて目がぷっくりしてて、おまけに綺麗な足が一本も欠けることなく健康そうに並んでて、イカの中でもアイドル的存在だもんね。でも何で?僕はもう、明らかに死んでいるんだよ?憐れみを感じたって僕の命が戻る訳じゃないし、早く食べなよ、人間」

私:「わかってるよ、あなたが美味しいことなんて。だけど……」

イカ:「可愛いから食べないって、それって君たちが大好きな、「ぷいぷいモルカー」とか「ちいかわ」みたいな可愛くて丸いマスコット的な奴を守ってあげなきゃっていう、本能に備わった庇護欲が湧くからだよね? つまり僕のこの愛らしさから、僕は「食べ物」というより、君の目の前で、「ゆるキャラ」というカテゴリに分類されてしまったわけだ」

私:「(このイカ、どうして人間の文化を知っているんだろう?)そうかも……。私、小さくてつぶらな目がある生き物、食べられない。人間は可哀想だからという理由で、犬や猫を食べない。きみが言う「ゆるキャラ」じゃないけど、ペットに昇格した動物達は、その命を保証されることが多いんだよ」

イカ:「はあ……。まあ確かに、僕の遠い親戚は今、観賞用として茨城の水族館で優雅に泳いでいることだろう。まったく、選ばれし1匹だよ。ただ彼は僕みたいに知能が高くなかったから、連れ去られる時、死ぬんだって泣き叫んでたけどね。ああ。でもしくじったな。僕らはもっと可愛くて食べるのがあまりに可哀想だったら、ペットになれたのか」

私:「だけど、そんな単純でもなくて……人間はたまにペットになるような動物でも食べるの。ミニブタはいい例。ペットとして一生を終えることもあるけど、ブタは人間の主な食用肉になる。美味しいやつはね」

イカ:「君たち、本当に支離滅裂なやつらだな。美味しければ何でもOKなんだもんね。だけど逆に言えば、それだけが人間にとって全てでしょ?おまけに生命活動のの維持のために食べなきゃいけない。ねえねえ、僕、身が引き締まってて、塩の味が内蔵の奥まで染み込んで、タンパク質も豊富でとっても美味しいよ。早く食べて見なよ」

私:「でも、可哀想って思ったから、今はちょっと、食べられないの」

イカ:「はあーーーー。もう。冷静になってよ。君の今ここでの役割を思い出してほしい。君は、「消費者」なんだよ。君たち人間は社会的役割が人によって異なっているから、話しづらくて仕方ないんだけどね……僕らなんて、生殖して、敵が来たら逃げて、おなかが減ったら食べて、時々休息する。役割なんてそれだけだよ? だけど君たちの世界は、そうはいかない。君たちを養う為に、漁師さんがいる。漁師さんは仕事で僕らを育て、捕り、殺す。大体は窒息してそこで死ぬ。卸売の人達が僕たちを全国に流していく。料理人は僕らを調理する。生きたまま運ばれたやつらは、茹でられたり刺されたりかみ砕かれたり焼かれたりして、激痛を感じながら死んでいく。それ以外の人達は皆、「僕たちを美味しく食べる」。ほら、役割が元から決まっている。君が思い悩むことはない。君は消費者として素直に僕を食べることが決まっているのに、死んだ命を無駄にしないでくれないか?」

私:「でも私、今日たまたま、パスタを頼んだだけなの。今日お金があと50円あったら、違うメニューにしてたの。あなたに会うなんて、思ってなかったんだよ」

イカ:「だから、何だっていうんだ。君は僕を食べなかったらローストビーフ丼を頼んで、同じ理由で殺された牛肉を何枚もたいらげるつもりだったじゃないか」

私:「それはそうだけど……でも」

イカ:「無機質に見える下ろされた牛肉は可愛くも可哀想でもないから、そっちなら自分は許せるのか」

私:「それは……」

イカ:「何か別の理由もありそうだな……ああ、そうか、僕の姿が生きていた頃を彷彿とさせるとでも?あ、思い出した、確か、君たちの世界で有名な映画の「インディ・ジョーンズ」でジョーンズ先生が猿の頭部そのものから、脳みそを食べるシーンで苦悶の表情を浮かべていたねえ。僕の友人の友人から聞いた話だと、君たちはそうやって「殺し方が残酷で美味しいと言って口にするのは可哀想だから」という理由で、生き物の殺傷と食用を反対する思想もあるそうじゃないか。鯨漁、イルカ漁、ガチョウの飼育とかね」

私:「(なんで彼は、そんなに人間の世界に詳しいんだろう)そ、そうね……。イルカは知性が高くて人類の友人とみなしている国もあるし、鯨漁は殺傷方法が残酷で、更に頭数も少ないからというで日本の捕鯨を禁止している国も多いけど、たぶん本当の理由は「知能が高い動物を殺すのは可哀想だから」。ガチョウの育て方に関しては、人間に食べさせるために限界まで太らせるなんて、私も見てられない。私はそれは食べられない」

イカ:「なるほどね。結局は人間が大事にしたいと思うか思わないか、動物愛護の目的で、ベジタリアンやヴィ―ガンなんて思想が生まれたんだね」

私:「でも、理由はそれだけじゃない。宗教や地球の環境保全、資本主義への反対。最後の例なんかは、「自分で大切に育てた家畜は食べてもいい」という主義の人達もいる。それに実は、ベジタリアンやヴィ―ガンはいつでもやめられるんだよ。私の知り合いで、「チーズが食べたくて仕方がないから」という理由で、ヴィ―ガンからベジタリアンになった人もいる。明確な理由や線引きは人それぞれで、ダイエット目的や、ファッションみたいに捉える人もいるの」

イカ:「な……ダイエット目的だって? ダイエットってあれかい?なんかの理由で食べ物を継続的に大量に摂取し、体をそれなりに見える体形に留めるよりも多く脂肪が蓄えられてしまったから、その分の体重を落とすための行動のことかい?」

私:「そうだけど……」

イカ:「ああ、人間ってなんて罪深いやつらなんだろうね。僕達ヒメイカや、野生の動物が、ダイエットなんてすると思うかい?僕らは毎日生きるか死ぬかの日々を生きてる。食べすぎることが「できる」なんて、なんて幸せなんだ!それで、「ダイエットしなきゃ」とか「食事制限して綺麗になる」とか言っているんだろう?だんだん、腹が立ってきたよ」

私:「でも、人間の世界の、先進国では貧困層の人達が安価で脂肪分の多いファストフードしか食べられなくて、肥満や健康障害に繋がっているところもあったり、仕事や育児のストレスで太ってしまったり、家から出られなくて運動ができなくて脂肪が蓄えられてしまったり、人間にも少し事情はあるのよ……それに瘦せることで認めてもらえるという心理もあるし……」

イカ:「痩せている状態で認められているなんて、じゃあ今までその人たちが食べてきた肉や魚の犠牲はどうなるんだ? その人たちを太らせた脂肪を提供してくれた動物達の犠牲はなんだったっていうんだ? 君たちが生きるために食べるのは、適者生存のこの世の中では仕方がないことだってわかっている。だけど、命を頂いて肥えた部分を急いでなくそうなんて、君たちはなんて命を無駄にして、罪深いことをしているんだ!ああ!」

私:「(彼がそうやって言うのも、もっともかもしれない。そうやって考えたことなかった。食べるだけ食べて、健康や美容のために早くその分減らさなきゃなんて、生き物からしたら、馬鹿げた行為にしか見えないんだろう。世の中には満足に食べられない人も沢山いて、その人達にだって、ダイエットなんて、お金がある人達の遊びにしか見えないのかもしれない。だけど、見た目をコントロールすることも、社会的に適応して「生きる」為には必要だし、長く生きるために必要なんだ……)人間は自分達がどうやったら楽しく生きられるか、社会の中で良く、自分らしく、健康で長く生きられるか、をずっと探してる。その中で、美味しそうなものがあれば色んな調理方法で食べる。勿論、自分の為に食べない人もいる。そうやって、私達は生きていくしかないのよ」

イカ:「ダイエットを正当化するのではなく、それは人間が生きる為の手段だと……まあ、わかっていたよ。それで、僕達を「可愛い」と言って食べられなくなるのも、「可哀想」と言って捕獲しないのも、君たちが自分の幸せを追求して良く生きる為というんだろう。僕達と君たちは、生命活動をしているという意味では全く同じなのに、君たちには知性と、より発展した社会があるからね、君たちも死ぬまでにより苦しむ回数も多いんだろう

私:「(イカが死ぬ前の一撃と、人間として生きる中で死ぬまでに経験する苦しみの蓄積、どっちが苦しいんだろう)私、これからどうしたらいいんだろう。確かに、私はあなたを美味しそうだと思ったわ。今すぐにでも食べたいとも。あなたは本当に可愛らしい見た目だし、生きている姿を見せつけてくるし、まるで、人間が生きたまま巨人に食べられたら、って想像して身震いしたくらい」 

イカ:「「進撃の巨人」の例えかい。ほお……ここまで人間の幸せがなんだと語っておいて、君は僕を「食べない」のか?」

私:「ええ、私は……」

その時、なぜか、イカの表情が少しだけ明るくなったというか、ピンク色のスープをまとったイカの頬のピンクが、更に濃くなったように、一瞬だけ、見えた気がした。

だけど同時に、その可愛かった姿が、単純に、物凄く美味しそうに見えた。隣で、同僚が次々とハンバーグを平らげていく姿が見えた。

突然、目の前のクリームパスタの冷たくまろやかな香味が香ってくる。
ああ、食べたい!

そうだ。
私はずっと、このイカを食べたかったのだ!

私:「ねえ、あなた、私ねえ、あなたを食べるしかないみたい。だって、あなた、本当に美味しそうなんだもの。殺された命を無駄にするわけにはいかない、人間、皆そう言って食べていくんだわ」

イカは言葉を失っていた。
もう、喋らないのかもしれない。

私:「だけど、私、あなたを食べた後に、あなたが本当に美味しいからって、幸せになれるのかは分からない。私は今日からしばらく、あなたのことを考えて生きていくことになると思う……」

イカ:「ああ、ああ!僕に知性がなかったらな。僕が人間に詳しく無かったらな。ああ、君が僕を食べるのをためらわなかったら良かったのに。その姿を見て、僕が君に話しかけてしまったから」

私:(やめて……)

イカ:「僕は人間の苦しみなんて知りたくなかったよ。その上で結局、君は僕を食べるんだからな。まあいいさ、僕はどうせ死んでいる。死んでいるのに、君の心を弄び過ぎてしまったな、僕もまったく、文句は言えないさ」

私:「ねえ、最後に教えて……あなたは、なぜ、ためらっている私を見て、私に話しかけたの?」

イカ:「さあね? でも、どうして僕が君に「本当に」話しかけたって言える? 僕はね、人間が犬や猫や虫をキャラとして扱って人間の言葉をしゃべらせるのが大嫌いなんだ。君が「僕が喋っている」と思うのも勝手だけど、ここまで人間と同じレベルで喋らせるなんて、君の苦しみを覗いているようで、最後に、少し、興味深かったよ

私はそっと、小さなイカをフォークに乗せた。

私:「ああ、ねえ、そうだ……私にかけられた呪いをあなたに伝えるわ。
私、生まれてからずっと、食べることが「楽しみ」って思ったことがない。食べる時に、私はあなたのことだけじゃない、殺された動物の命を奪っていること、この瞬間も、これまでもずっと満足に食べられなかった人達のことが思い出されて、食べるたびに罪悪感を感じて、誰と出かけにいっても、食べることが好きなフリをするだけなの。多分、これからずっとね。多くの人間は美味しいものを食べるために生きるわ。それを食べる為に遠くへ出かける。多くの人にとって、食べることは快楽なのよ。でも私にとっては、生きる為に食べるたびに、それが苦しみになる

イカ:「ふん。君は人間らしさをまるで失っているな。まったく、これは、けったいなやつだった」

私はそのイカを素早く口に入れ、軽く一度噛んでみた。
強烈な旨味が口に広がり、私は思わずその身をかみ砕いた。
そのイカの弾力のある身は私に何度も何度も上下の歯を擦り合わさせ、
スープの味と染み込んだ塩味が混ざり、残りの7匹を今までの逡巡を振り切るように、あっという間に平らげた。

私はそのあまりの美味しさを一瞬だけ、「快楽」に近いと感じていた――


それから5日間、私はそのイカのことが全く頭から離れなかった。

「イカが死ぬ前の一撃と、人間として生きる中で死ぬまでに経験する苦しみの蓄積、どっちが苦しいんだろう」

イカは私の口に運ばれる前に、私に決して解けない一つの疑問を残した。そもそも、生き物同士の苦しみを比較するなんて、馬鹿げているかもしれない。だけど私はそうでもしないと、生きること、ましてや、「良く生きる」ことなんて出来ない。生きているからこそ、苦しんでいく。私はイカみたいに、誰かに食べられるとか、殺されるとか、そんな不安を持って生きてはいない。だけど、将来はどうなるか分からない。私もイカのように真っ二つに切り裂かれる時、それは体じゃなくてもそうなることだってあるだろう。

彼は何故私に話しかけたのだろう。偶然パスタを選んだ私に、少しでも多くの苦しみを味わって欲しかったから、など安直な復讐劇にはとてもまとめられない気がする。

知性ある生き物は、何故生きるのか、どうしたら幸せになれるのか、どう死ぬか、という答えのない問いを、時に自分の欲求と反する行為を繰り返しながら向き合っていく。彼が死ぬ前にそれを、誰かとしたかったのだとすれば、それは私で良かったのだろうか。彼が意思を持って私に話しかけたと思うことですら、彼が言うように、私のエゴだろうか。

だけれども、私は、あの時、PayPay残金に余裕があって、もしローストビーフ丼を頼んでいたら、彼は直前まで、殺されたり、死んでいたとしても茹でられて、ソースと絡め上げられることはなかったのかもしれないと思うと恐ろしくて動けなくなる。そうだとしたら、私でない誰かに、最後の彼の哲学を、聞かせていたのだろうか。そして彼は「幸せ」だったんだろうか。

私は、彼には食べ物を食べる時の美味しさが突き抜ける「快楽」を、味わせて欲しくなかった。私はきっとこれまで、自分のくだらないプライドから、食べ物を食べる時に少しでも苦しいと感じることで、生き物の命を奪ったり、食べられない人達に安い同情をしたりして、自分だけが幸せになってはいけないと、足かせをかけたいだけだったんだろう。イカはそれを全部見抜いた上で、あの快楽を味合わせ、生きることの苦しみと喜びを生き物から得ることの意味を、永遠に考え続ける沼へと引きずり込んだ。

全てのパスタを食べ終わった私は、何事もなかったかのように同僚へ「美味しかった」とだけ伝え、レストランを後にした。

私はもうあのパスタを頼むことはできない。多分、ヒメイカは勿論のこと、しばらくはイカもタコも食べることはできないだろう。捕獲され、売られ、メニューとして出され調理されなければ廃棄されるのであれば、生き物、漁業に携わる人達、店の店員は、私が注文しなかったところで、誰も幸せにならないのは知っている。ベジタリアンやヴィ―ガンの方など、信条として食べないことも同じように、私はそれを選択するしかない。

私はイカにそれを「呪い」と言った。
そして彼は私にこの文章を書かせた。
一瞬でも、食べ物から得られる幸せを心に留めたかった。
書くことで、罪悪感も快楽も沽券も全て入り混じった、頭の中が整理されるかもしれなかったから。少なくとも、あのイカ都の出会いを、忘れずに済むから。

一年間に7,000億の生き物が、人間に食べられるために殺されるという。その中の一匹が、私に話しかけることを許し、その会話に意味を持たせる自由があるというのも、人間だけが持つ自由なのかもしれない。
最後に「けったいなやつだった」と言ったイカは、今私の体を構成する一部になった。どうか私が彼を食べたことが無駄にならないように。

私は無慈悲にも「可愛い」と思ってしまったヒメイカに対して、気が付けばこの小説を書いていた。



*理由はちょっと特殊な事情だ。今年から私は小麦粉を極力食べないようにしている。先日もパリ五輪で金メダルを獲得したテニスプレイヤーのノバク・ジョコビッチの著書で有名になった、忌むべき「グルテン不耐性」予備軍にになってしまったから。これは小麦粉に含まれるグルテンを吸収しようとすると、成分に過敏に反応して体にあらゆる症状が発生する症状のことだ。つまり、私はちょっと普通の人より腸が小麦粉に敏感らしい。それまでは毎日クッキー缶1缶、毎食パンなんて当たり前が、半年くらい前から、パスタやパンを食べるだけで異常に腸が張るようになった。小麦粉が含まれる料理はメインの料理としては避けてみると、落ち着いてきた。(実は、悲しいかな、日本人の約1/5が小麦粉を上手く消化できないらしい)最悪の場合、小腸を傷つけることになる。するとどうなるか。最悪、「気分がすごく落ち込む」。「え?どういうこと?」と思った人もいるだろう。だが理由は生理学に基づいている。なんと、私達が幸せを感じるホルモンの一種、「セロトニン」は脳内ではなく、腸の壁で生成される。つまり、腸が傷つくと「セロトニン」の生成が阻害されるのだ…。2月から軽度のうつ病を治療し始めた私にとっては、更なる痛手だった。


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