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当たり前と、お相撲さん

仕事中に地下鉄に乗っていたら、
どこからかふんわりと甘い香りが漂ってきた。

「これは!」と思って辺りをぐるりと見渡すと、
予想通りお相撲さんが乗っていた。
あの甘い香りは、鬢付け油のいい匂いだ。

そして「ああ、今年も夏が来たんだな」と僕は思ったのだ。

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これを読んで大半の人は「なんで夏なの?」と、
僕と同じエリアに住む方と、ピンとひらめいた方は「なるほど」と思うだろう。

種明かしをすると、僕の住む名古屋は大相撲七月場所(名古屋場所)の開催地なので、毎年7月の前半ごろになるとお相撲さんが移動のために公共交通機関に乗車するのだ。

だから僕は昔からお相撲さんも見ると、ああもうすぐ夏なんだと当たり前のように思うというわけだ。

しかし名古屋から新幹線でわずか1時間で行ける大阪に住む人にとっては、お相撲さんといえば春の風物詩だろう。(大阪場所は3月の中旬)

たった1時間の距離で当たり前が当たり前でなくなるのだ。

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こんな風に少し環境(条件)が変わるだけで、当たり前が当たり前でなくなることって、そこら中にゴロゴロ転がっていると思う。

むしろ大半の当たり前は、万人にとっての当たり前ではないのだ。


しかし僕らは時に、自分にとって当たり前であることを当たり前にしない人に対してフラストレーションを貯めてしまうことがある。

冷静になって考えてみれば、自分にとっての当たり前が相手にとっては当たり前じゃないことなんて大いにあり得るのに、余裕がないとついついそのことを忘れてしまう。


そんな時僕は、お相撲さんの例を思い浮かべる。

夏の風物詩だと思っているのは名古屋の人だけだよ、と。
ところ変われば当たり前なんて簡単に変わるものだよ、と。
そもそもお相撲さんを風物詩とは思わない人もたくさんいるんだよ、と。


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