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オトノケと御霊信仰の接点と怒りの感情について(感想)

 今回はオトノケ及びダンダダンに含まれる御霊信仰成分についての感想を書き連ねたいと思います。「オトノケ」はCreepy Nuts作詞作曲の、アニメ「ダンダダン」のOP曲です。単行本のダンダダンを5巻まで読んだレベルの感想ですので、ご了承ください。
 まず題名に含まれる御霊信仰についても触れておきます。御霊信仰とは亡くなり怨霊となった者を神様として礼拝することで祟りを鎮めるだけでなく、恩恵をいただくものです。御霊信仰については平将門や菅原道真が有名ですね。
 今や有名な御霊信仰ですが、怒り怨みによる祟りの力を利用する、そしてそのために鎮魂を行うという意味では、ダンダダンの主人公が霊の力を借りて怪異と対決する姿に重なります。

 オトノケではこの怪異側との共存について触れています。もちろん怒りを鎮めるところからはじまるのですが、これが祀る、あがめる、すがるの次の段階なのかもしれないと思いました。
 歌詞からも、盾と矛、デコとボコといった反対の性質ではあるけれども(個人の境界線を設定)、痛みが重なる、君が待つ(怒りの静め方を共感共存寄り添い)ならば暗闇からおさらば(鎮魂)という方針であることが読み取れます。
 つまり御霊信仰的な崇拝による支配ではなく、共存と理解を促す新しい形です。正直驚きました。

 つまるところ私が御霊信仰を未だに少し信じているというのは、お怒りの実力者は怒らなくても普通に実力者というところにあると思っています。
 近場でも怒りのパワーによる支配やパワハラモラハラを見たことがあると思います。怒りのエネルギーとは本来理性的にコントロールするのが一番すんなり行くハズ…それがそうもいかないからとりあえず近寄らない、怒らせない、機嫌を取るといった行動に流れがちです。
 ですがオトノケは語りかけてきます。本当にそれでいいのかと。なんで怒ってるのか、こちらも理性を持って聞けてるのかと。するとデフォルトが怒りっぽく見える人だったり、徹夜続きでカリカリしてたり、ただただ自分が100悪かったり…本当の怒りの問題を見据えることができるでしょう。

 私は上記の行動で損をしたり、怒りに流されてしまう人を他人には思えず、ついつい何かあったんだな…ごく稀にあるよ、と正当化してしまうのですが、ここでもオトノケが語りかけてきます。盾と矛であり、別モンなんだよと。重なるのは一部なんだよと。作曲者の方はメンタルが鬼すごいですね…

以上、御霊信仰に関する専門的な知識はありませんので書き散らしのようなものでした。御霊信仰関係で解釈不一致がありましたらご指摘いただきたいです。

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