とじょりん論 004 議連公開質問状の考察①

全国フェミニスト議員連盟が送信した公開質問状の考察を進めていく。


そもそも全国フェミニスト議員連盟とは何なのか簡単に説明しておきたい。
全国フェミニスト議員連盟は、1992年2月15日に結成された超党派(つまりどの政党の議員も参加できる)組織である。
公式ホームページ(https://afer-fem.org/)からどんな組織か見てみよう。

2021年時点での活動目標には次の10項目があげられていた。
曰く
「あらゆる女性差別をなくすために、女性差別撤廃条約選択議定書批准のための取り組みを各地で進める。」
「政治分野における男女共同参画推進法の理念を達成するため、各政党・政治団体に対しクオータ制の実施を求め、党内の決定機関ならびに議会の50%を女性にするよう、要請行動を行う。」
「第5次男女共同参画基本計画に、203050が達成目標として明記されなかったことを踏まえ、男女平等政策として、あらゆる政策決定の場に男女がそれぞれ50%となるように働きかける。」
「女性ゼロ議会をなくすため、候補者の発掘、支援、ネットワークづくりに取り組む。」
「機関誌AFER、ホームページ等を活用し、情報発信と会員拡大を積極的に行う。」
「会員相互の情報交換、交流をメーリングリスト等を活用して行う。」
「女性たちをエンパワーメントするため、オンラインなども活用して、セミナー、研修、シンポジウム、調査などを行う。」
「クオータ制を推進する会に参加するなど、女性の政治参画を進める団体と連携する。」
「バックラッシュに抗し、国内外の情報収集・発信などを行う。」
「新型コロナウィルス感染症の影響は、特に女性に大きく、様々な課題解決のため行動する。」
フェミニズムあるいは全国フェミニスト議員連盟独自の用語があり理解しにくいという声もありそうだし、わかった上でツッコミを入れたい部分もあるが、それは『とじょりん論』の趣旨から逸脱するので割愛させていただきたい。
(少しだけ言うと、機会が公平であることと結果が平等であることは単純にイコールで結ばれるわけでは無いのだが、しばしばこれが混同しているように見える)
なんとなく「女性が活躍できる社会を目指している」組織であると雰囲気が伝われば十分だ。

なお、なぜかホームページを見てもメンバーの全容はわからない。
わかるのは世話人といわれる人達ばかりであった。
ただの不備なのかもしれないが、全国フェミニスト議員連盟に所属していることに、まさか後ろめたい気持ちでもあるのだろうか?
千葉県松戸市議員増田薫氏は当議員連盟の代表であり、世話人一覧にも載っていた。
もしも世話人=メンバーということなのであれば、一般人の私にはわかりにくい表現であったと指摘しておく。
2021年での世話人の人数を数えると、56名だった。
そして、2022年11月頃から、なぜか世話人のページが閲覧できない状態になっている。
私がさっきからやたら過去形で書いているのもそのためだ。

もしも彼女達が(メンバーの写真を見ると男性らしき人物も数名見えるが)不誠実な態度をとれば
「やっぱり女は…」
あるいは
「女に責任ある仕事は…」
と言われる要因になりかねない。
決して正しいことではないと断言はしておくが
「女性議員はフェミニストだから信用できない。選挙で女性の候補者に投票するのはやめよう」
と思う人間が出てきても不思議ではないだろう。

本当に女性議員を増やしたいと願っているならば、全国フェミニスト議員連盟には賢明な行動を期待したいところだ。

以下、公開質問状より引用する。

「私たちは、啓発動画に「松戸市ご当地VTuber の戸定梨香」を採用した千葉県警、松戸警察署・松戸東警察署に強く抗議し、当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます。」

注目してほしいのは、『松戸市ご当地VTuber の戸定梨香』の採用を抗議しているのが、松戸市の市議会議員である増田議員であることである。
混乱すると言わざるをえない。
どうして松戸市のPR活動をするご当地VTuberの活動を同じ松戸市の議員が阻止しようとするのか。
もちろん、それは結局のところ、フェミニストとしての活動がより優先されるからなのだろう。
そして、最初から「動画の使用中止、削除を求めます」と要求している事をよく覚えてほしい。
『改善』ではなく『削除』の要求だ。
今後の記事でも解説するつもりだが、もしもこれが改善の要求であれば、その理由はともあれ、受け入れられる可能性はあったのだ。
しかし初手に削除を要求した事が後々までの禍根として残ることになる。
また、謝罪を求めているのも奇妙だが、これは前回までの記事で触れた通りである。

再び公開質問状から引用する。

「本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。 」

くりかえしになるが『女児』という言葉は、ものすごく幼い女性というイメージがあるが、辞書で調べると「女の子」という程度の意味しかないらしい。
ここで『幼女』と書くと「幼い女の子」という意味になる。
似てはいるが意味が異なると言えそうだ。
よって、戸定梨香を女児と表現するのは、あながち間違いとはいえない。(大げさではあるが)
しかし「性的な対象」とか「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長」という表現は穏やかではない。
全国フェミニスト議員連盟は、その理由を次からの文章で説明していくのだが、実は戸定梨香が「性的な対象」である事は議連が解説するのだが、「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長」という部分に対する解説は無い。
女児を性的な対象として見ることが、ただちに「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長」するというのは、不可解な主張だ。
そもそも「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習」が具体的に何なのか説明がないため因果関係の想像すら難しい。
そして、結局今日まで何も説明がなかったわけであるが…

今回に限った話では無いのだが、なぜかフェミニストの主張には先決問題要求の虚偽が多い。
つまり、フェミニストの使う独特のワード(例えば「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長」)は疑うべからざる真理のように敬われ、ひとたび批判すれば「アンチフェミニスト」や「女性差別主義者」等のレッテルを貼られるのである。

いい加減にしてほしい。
もっとも、女性はまともに議論することができないという「偏見及び慣習を助長」したいのであれば、実に妥当な言動であると評価せざるを得ないが…

次回に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?