とじょりん論 006 議連公開質問状の考察③乳揺れの話

全国フェミニスト議員連盟が問題にしたのは『乳揺れ』と『へそ出し』と『ミニスカート』だった。
しかし、Twitter上で議連擁護派と抗議派が当初もっぱら争ったのは『乳揺れ』の是非だったように見える。
『へそ出し』と『ミニスカート』を問題にすると、どちらも現実に市井の人間がしているファッションだから都合が悪いという思惑があったのだろうか。
あるいはアニメ『プリキュアシリーズ』には『へそ出し』と『ミニスカート』のキャラクターが少なくないため「それを女児が見ても大丈夫なら戸定梨香も問題ないだろう」となるため、話題にしなかったのかもしれない。
同じような理由で『セーラー服』を問題にすると、厚生労働省が性感染症の予防啓発で既に『美少女戦士セーラームーン』とコラボした時に炎上しなかったという前例があるため、避けたのだと考えられる。

だから『乳揺れ』ばかりが問題になったと拝察するが、大のオトナが少女の3Dモデルを凝視して「胸が揺れている」「いや、揺れてない」と論争することの、なんと愚かしいことか。
それこそセクハラなんじゃないか?
しかし議論が白熱するとそんな事は頭に思い浮かばないらしい。
議連擁護派は「抗議派はエロに慣れすぎて感覚が麻痺している」と言えば、抗議派は「擁護派はこの程度の揺れに敏感すぎる」と応戦した。
こうなるとただの水掛け論になるので良くない。
一応、私の感覚ではたいして揺れていないように見える。
が、バカバカしいのでそんな感覚を押し通すつもりはない。
むしろ「揺れていたところで何が悪い」と考える。
たぶん擁護派に反論したいがためだとは思うけれど「戸定梨香はそこまで巨乳ではない」と言うのは疑問だ。
私の感覚では十分大きいぞ?というのもあるが、どんな胸の大きさだろうと広告に出るのは問題ないと言った方が私には正しいと思う。
すなわち「乳房が大きかろうが、揺れようが、それを理由にして広告に出られないのはおかしい」だ。

余談だが、日本には『乳揺れ禁止法』というものは無い。
ちょっと想像してみたらわかるが、もしも乳揺れ禁止法が本当にあったら奇妙なことになる。
大相撲はきっと放送できなくなってしまうだろう。
あるいは胸にプロテクターを付けて取り組みをしてもいいが、それを相撲と言っていいのか私には自信がない。
仮に、男性の乳揺れは許されるとしよう。
そうすると市井の女性は(女性だけは)胸が絶対に揺れないようにプロテクターをつけなければならなくなるのだろうか?
それは実に直接的な女性差別に違いない。
大切だからもう一度くりかえそう。
日本には『乳揺れ禁止法』というものは無い。

さて、Twitterで「乳揺れを公共で見せるのは日本だけだ」といった主張を見かけるたびに、私は頭を抱えたくなった。
その主張をした人は世界の何をどこまで見たというのか?
海外事情をたいして知らないから健全だと思っているだけか、欧米はキレイだと空想する鹿鳴館精神を発揮しているのだろう。
だから私は聞き返すのだ。
「ブラジルのサンバは?」と。

私にはサンバで乳は一切揺れないというのは無理があると思うし、そしてどう見てもあれをやっているのは公共の場所だと思うのだ。
「サンバの目的はエロではない」という反論も考えられる。
私はブラジルの事情はあまり知らないから、それが妥当なのかはわからない。
しかし、戸定梨香の目的も交通安全の啓発なのだから、サンバが許されるのならば戸定梨香が許されない道理は無いように思う。
「サンバは伝統文化だから」という反論は?
たしかに、そうだろう。
サンバは伝統文化で、Vtuberは(少なくとも2021年の時点では)伝統文化とは言えない。
しかし、伝統文化だから批判されるべきでないならば、伝統的な男尊女卑は批判するべきではないのだろうか?
私には保守的すぎる態度であると思うし、たぶん多くのフェミニストは私と同じ感想をもつと思う。
現にKuTooの活動を我々は知っている。
KuTooの是非そのものを論じるつもりは今のところないが、それでもKuTooに対して「伝統なんだから黙って従っていろ」というのは間違っていると思う。

サンバの話に戻ろう。
「サンバは男も裸で踊っているから平等だ」という反論も思いついた。
しかし、この反論で「だから日本はダメだ」と言う時は、日本各地にある男が裸になる祭りをことごとく不可視化する必要が出てくるのが辛いところだ。
あるいは例の動画に、戸定梨香と一緒に、へそ出しで短パン姿の男の子のVtuberが出演していたら許されたのだろうか?
もしもそれで許されるというのなら、私には恐ろしいことだと考える。
その意味するところは「女は男と一緒じゃないと広告に出られない」ということになるからだ。
それでもなお「日本人とブラジル人は違うから」と主張できるかもしれない。
例えば「ブラジル人はとてもサンバを見慣れているから性的だと感じない」とか。
ただ、それを主張しだすと、さすがに日本人かブラジル人のどちらかを見下しているような感情を仄かしているようで感心しない。
人種差別というほどでは無いかもしれないが、その萌芽は含まれていると自覚した方がいいかもしれない。
最初の主張を変更するだろうか。
すなわち「子供の乳揺れを公共で見せるのは日本だけだ」と。
まず前提として、戸定梨香の説明でも考察している通り、彼女のキャラクターとしての年齢は不明だ。
だから厳密な意味では戸定梨香は子供では無いかもしれないが、たちまち今の考察では関係無い。
サンバの話を引き続き持ち出すとしたら、実際に現在ではどういうルールでカーニバルが催されるかは不明だが、サンバのルーツ的には「人種や年齢に関わらず、みんなが楽しむもの」らしい。
ちょっと想像してみる。
サンバを楽しんでいる少女が何者かからこう指摘されるのだ。
「君は未成年かな?いや、実年齢はわからないけれど子供のように見えるね。子供が乳を揺らして踊るのはどうかと思うな。…あの人?あの人はいいんだよ。乳房が大きいしすごく揺れているように見えるけれど、オバサンだから!」
こんなことを言ったら、サンバのルーツ的に判断すれば、批判は免れないだろう。
「でも戸定梨香は創作物じゃないか!創作物には作者の意図が入っているはずだ!それも卑猥な!」と叫びたくなったら、どうか落ち着いてほしい。
今はその話じゃない。
でも、それを踏まえて、最初の主張を訂正するのは認めるべきか。
「乳揺れを公共で見せるのは日本だけだ」を訂正する。
正しくは「創作物の乳揺れを公共で見せるのは日本だけだ」だ。
私自身は全世界の広告を確認できないので、もしかしたら反論の可能性はあるが、今のところはこの主張なら妥当だと思う。
もっとも「創作物の乳揺れを公共で見せるのは日本だけだ」が「世界では本物の乳揺れを公共で見せている」に対して、どれだけ悪いのかはまるでわからないが。

繰り返すが、例に出しているサンバを本当に批判すべきなのかは私にはわからない。
ブラジルの人には、あれを『性的対象化』ではないと断言できる、何か日本人には知らない前提があるのかもしれない。
どちらにしろ戸定梨香は問題無いと私が考えるのであれば、サンバも許されると考えなければ辻褄が合わない。
サンバを引き合いに出したのはたまたま思いついたからで、世界には女性が踊る伝統芸能は無数にあるだろうと想像する。
それらの場合も同じである。

ただし、以上の議論はあくまで「日本は世界より悪い」に対する反論だ。
もしも「日本も世界も悪い」なら話は別だ。
具体的には、戸定梨香もサンバも「女性の『性的対象化』だから公共から排除すべし」という主張に対しては、以上の議論は役に立たない。
では、その『性的対象化』とは何なのか?
そしてそれがどう悪いのか?
戸定梨香は『性的対象物』なのか?
それについて次回以降考察していきたい。

次回に続く

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